2016年03月19日

私よりも私の幸福を願う神様(天地人真の父母様)

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 世界平和統一家庭連合 李 範奭


訓読:
 「これからは先生の事情が皆さんの事情であり、先生の心情が皆さんの心情になり、お父様の事情が皆さんの事情になり、お父様の心情が皆さんの心情にならなければなりません。それを知らなければ倒れます。
カナンの地で滅んでしまったイスラエルの群れと同じになるというのです。
 そのような心をもてば、皆さんに困難があるとしても、その困難は六千年苦労されたお父様の困難と比べ物になりません。皆さんに寂しさと悲しみがあるとしても、六千年のお父様の寂しさと悲しみと比べものになりません。そのようなことを一時も忘れてはいけません。
専念して当然しなければならないのです。そのように心で感じなければなりません。
 それと同時に、何をしなければなりませんか。イスラエル民族は、仲間同士で一つになれずに滅びました。仲間同士がすべて民族の怨讐になったのです。ですから、仲間同士で一つになり、仲間同士で愛することができ、仲間同士で手放すことができず、仲間同士でお互いの祭壇をつなげ、自分の祭壇の中にお父様が臨在され、自分の三位基台が任された分野に神様が臨在できる環境をつくらなければなりません」
(『神様の天宙安息圏と絶対「性」』p.116〜117)

 「人類の縦的真の父母であられる神様の印を受け、実体真の父母の使命を完遂しなければならない私たち夫婦は、今、実体の天一国完成までの最後の三年を残し、いつの時よりも深刻な日々を生きています」
 「天はすでに2013年1月13日を『起源節』として宣布しました。実体的天一国の始発であり、起源となる日がまさに、その日なのです。3年も残っていません」
 「平和の王であられる神様の実体として地上界で摂理を経綸している真の父母様の導きに従い、残った三年間を全力投球、死生決断をしなければならない宿命的な時間が、今日の私たちの前に近づいてきたのです」
 「天が真の父母様を通して明らかにしてくださった『Dデー』を前にして、何を躊躇することがあるでしょうか。すでに919日しか残っていません」
 「私たちはすでに神様の直接主管圏時代に進入しているという点です。皆様、天が宣布したDデーがすでに3年しか残っていないと言いました」
 「今から皆様は、真の父母様の教えを骨に刻みつけて実践する人生を生きなければなりません。選択の余地がありません。今から準備しなければ、間違いなく落伍者になるからです。7000メートルを超えるヒマラヤ山脈を往来し、越冬する鶴(アネハヅル)の勇気と気概を私たちも学ばなければなりません」
(以上、「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」のメッセージから抜粋)



 ラスベガスでの第51回「真の子女の日」の行事の最後に、お父様は「故郷無情」を歌われました。
故郷に帰らなければならない、しかし時はどんどん過ぎていき、2013年1月13日が刻々と近づいてくる。
お父様は切迫した、そのような心情圏を抱えながら、涙を流して歌われたのです。
 その後、宋総会長ご夫妻が歌われました。その歌は、お父様の心情圏にぴったりの歌でした。
時計が壊れてしまったので、時間が止まってしまった。しかし歳月は止まらず、どんどん過ぎてしまうというような歌でした。お父様は今この時、どれほど身悶えしながら過ごされているのでしょうか。

 『原理講論』の総序の書き出しに、「人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている……」とあります。これは私たちの信仰の目的でもあります。私たちだけでなく、世の中のすべての人も幸福を求めているのです。それなのに幸福よりも不幸が満ちあふれ、何が幸せなのか、わからない世の中です。私たち統一食口は、真の幸福を実現しようとして歩んできたのですが、どうでしょうか?

 幸福になるには、どうすべきなのでしょうか? 
キーワードが「私よりも、私の幸福をもっと願われる天地人真の父母様=神様」です。
子供の幸せを願わない親はいません、私以上に私の幸せを願っているのが神様です。
神様の喜びのために人間を創造されたと、創造原理にありますが、それだけを聞くと、「人間は神様のおもちゃなのか?」と思う人がいるかもしれませんが、違います。
人間が四位基台を成し、三大祝福を成就して地上天国、天上天国を完成して喜ぶ姿を見て神様も喜ばれるのです。人間が幸せな姿を見て、幸せを感じる神様なのです。神様と父母様は、地上のすべての人はもちろん、天上のすべての人を幸せにしてあげようというお方です。

 神様と父母様の心情、事情に合わせてこそ、私たちが幸せになれる道が開かれるのです。
堕落は淫乱によってもたらされましたが、神様との関係からすれば、私が神様と別の事情をつくってしまった、神様のみ言に従わずに、自分の事情圏、心情圏をつくってしまったこと、それが堕落です。
神様は神様、私は私−−そうなってしまったのです。
自分、自己を主張するところにはサタンが相対するのです。
 お父様の事情、心情が、私の事情、心情にならなければ倒れてしまうのです。
私の幸福を一番願っているのが神様であり、願うだけではなく、私がどうすれば幸せになれるかを知っておられるのです。お父様の事情、心情に合わせていけばすべて解決していくのですが、神様と自分との隔たりを勝手につくってしまうことが問題なのです。

 堕落は、ただ純潔を失ってしまったことではありません。
もっと大切な内容は、神様の事情と心情から離れてしまったことなのです。
「原理本体論」の最近の教育の中では、「原理本体の本体とは何か、それは神様の心情である」と教えられています。そこから離れてしまったことが堕落なのです。

 今まで歩んできて、頑張ってきたのに、裏切られた、報われなかったことが多くあったかもしれません。
しかし、み言にあるように、神様の事情と心情と一体化すれば、皆さんに困難があるとしても、6000年の神様の寂しさ、悲しみと比べ物になりません。そのようなことを一時も忘れてはなりません、と。
お父様が「故郷無情」を歌いながら涙される、その背景には、どれだけ食口から裏切られ、蕩減の祭物をどれだけ払い、子女を5人も犠牲にされながら、どれほど悲しかったことでしょう。
6000年さかのぼらなくても、お父様の生涯だけを見ても、私が困難であると主張することはできません。
振り返ってみれば、すべて神様の愛であったのです。6000年の神様のつらい心情を知って、神様を慰め、神様の心情を理解することができるようにしてくださった、ありがたい訓練だったのです。

 永遠に神様と共に歩んで行く。その道を開拓されたのが真の父母様であり、父母様はそのすべてを八大教材教本として私たちに相続させてくださったのです。
今までのつらかったこと、そのすべてが神様の心情を自分が体験するためのものであったのです。
 しかし、サタンはささやくのです。「あのときの恨みを忘れるな。つらさを忘れるな」。
ふと我に返り、「そうだ、そうだった」。途端に顔色も暗くなり「許すものか。忘れるものか。感謝するものか」。 このようにサタンは足を引っ張るのです。それをわれわれは越えなければいけません。

サタンを屈服する一番の道は、サタンができないことをすることです。
サタンも自分が愛するものは限りなく愛するのです。しかし、自分の怨讐は愛せず、たたきつぶします。
私たちが自分の怨讐を愛すれば、サタンは頭を下げます。サタンの辞書には「許す」という言葉がないのです。

 お父様はかつて、サタンに侵入されたアメリカを分別するために、「(ニクソン大統領を)許せ、愛せ、団結せよ」と訴えました。今、天地人真の父母定着実体み言が宣布され、直接主管圏に入って行く時、私たちにもその精神が必要です。すべてを許し、愛し、団結しなければいけません。そこから出発です。

 一人ではこのみ旨は歩めません、礼拝を共に捧げる食口がいる、教会があることがどれほどありがたいことでしょうか。あなたがいてこそ私がいる、そういう感謝の気持ちを持ちましょう。
食口同士が一つにならなければなりません。どうすれば一つになれるのでしょうか。 
神様の事情・心情に合わせれば一つになれるのです。

 それでは、自分の心情・事情はだれが解決してくれるのでしょうか。分けて考えてはいけません。
そのように一つになれば、神様が導いて解決してくださるのです。私の親なる神様は全知全能の神様だと信じきってください。65億の人類一人一人を一番幸せにするにはどうしたらいいかをご存じなのが神様です。
その神様の心情・事情を私の心情・事情とすれば、すべての問題を解決できるのです。
私の幸せを一番願っておられるのが神様だと知れば、委ねることができるのです。
毎日、み言を訓読しながら、神様から来る教え、それを信じてください。

 今がどういう時か、宣布文で何と語られているのでしょうか。
 お父様は宣布文の中で、5回も3年しか残っていないと語られています。これが神様の事情・心情です。3年しか残っていないということは、私を解放してくださるための期間が3年しか残っていないということなのです。
 「アネハヅルの勇気と気概……」。今が上昇気流の時です。この気流に乗ってヒマラヤを越えていくには、1羽ではなく、群れを成し、V字をつくって越えるのです。自分ひとりだけではサタン世界を越えられません。神様の事情・心情を私の事情・心情として、食口が一つとなり、3年しか残っていないという切ない天の心情を相続して、天福函を迎えたという象徴的な条件でも立てて出発していきましょう。

 時を失って落伍者になってはいけません。上昇気流が去ってしまったら、凍えて死んでしまうのです。
区域、教会全体が一つになっていけば、難しく見えるヒマラヤを越える道が現れるのです。天の保護圏の中で必ず越えていけるのです。
 神様がいらっしゃる所が天国です。そこではできないことは何もありません。
 教会に足を運んでください。教会に来れることがどれほどありがたいことでしょうか。
そして、み言を家庭に定着させましょう。神様の事情と心情と一つになるところから、私の幸せが出発するのです。
posted by ffwpu at 13:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする