世界平和統一家庭連合 河 弦杓
きょうは天国について考える時間を持っていきましょう。
信仰生活をしながら、いつも私たちが願うことは何でしょうか?
神様の世界です。それは理想世界です。理想世界とは幸福な世界と言うことができます。
「我々が信仰する目的は何ですか?」と尋ねられたら、皆さんは何と答えますか。しっかりと答えることができるでしょうか。
私は幼い時、既成教会に通っていました。そして、牧師さんによく「どうしてイエス様を信じるのですか」と尋ねていました。すると、「天国に行くためですよ」と、いつも同じ答えが返ってきたのです。
ですから、天国がどういう所かは分からないけれど、とにかく私たちは天国に行くのだと思っていました。
真のお父様が聖和されてから、「我々は信仰生活をして天国に行こうとしているけれど、一体、天国とはどのような所なのだろうか」と、深く考えることがありました。そして、何人かの食口に、「あなたが考える天国は何ですか」と尋ねてみました。ところが、具体的な答えが返ってきませんでした。
日頃、「天国をつくるのだ! 理想世界をつくるのだ!」と話しはしますが、それが具体的にどのような世界なのかと問われたときに答えられないのです。
これは非常に深刻な問題です。なぜなら、天国がどのような世界かを正しく知らなければ、自分が何をすべきかが分からなくなってしまうからです。原理では人間の堕落の原因を知り、それを解決する蕩減の道を示し
てくれています。蕩減というのは、復帰のための蕩減であって、堕落以前の状態に戻り、さらに神様の創造理想を実現するためのものです。
すなわち、蕩減は罪滅ぼしをするためのものではなく、それ以前の神様の理想世界をつくるための蕩減なのです。そして蕩減は実践を通じて成されます。ですから私たちはまず実践が必要です。
実践してこそ、実現するのです。では実現とは何でしょうか。
結果を通して見ることのできるものになるということです。そう考えると、結果的に、私たちの信仰は何で
しょうか? 神様の創造理想を見える形に実現することです。つまり、統一教会は何をする所かというと、罪を清算して血統を清算し、実践によって神様の創造本然の理想世界を実現する所だというのです。
では、何を実践して、何を実現するのが、神様の理想なのでしょうか? それは「ために生きる」実践と「互いにために生き合う世界」の実現です。ために生きるとは、どういうことでしょうか。ために生きるためには相手が必要です。天国では愛する人がいなければなりません。そして、私心なく、相手を神のように考えるのです。自分の夫が神様であれば、どうしますか。妻が神様だったら、どうしますか。
自分よりも相手を貴く思い、侍って生活しなければならないでしょう。統一教会の究極的な信仰は侍る生活です。
皆さんは、親や子供に侍って生活していますか? 相手に向かって、「自分に侍って生活しろ」というのではなく、相手に侍って生活しなければなりません。そして、その侍られる存在も、相手に侍らなければなりません。互いが互いを尊び合い、侍り合う存在になるのです。
このように与えて受けることを原理では何と言いますか? 授受作用です。授受作用で全て説明ができます。簡単なことです。
例えば、私の心臓はどうなっていますか? 動脈だけが動いて静脈が休んでいたらどうなりますか? 破裂してしまいます。もしそれが、頭の中で起これば脳出血になってしまいます。呼吸も、息を吸って吐いて、それがずっと続くのです。また、その排出された二酸化炭素はずっとそこにとどまっているのではありません。どこに行きますか? 二酸化炭素を必要とする植物、木や草などに行くのです。そして、それを受けて、今度は植物が酸素を出し、人や動物に戻ってきます。
自然は単独で存在するのではなく、互いに受けて与えて、お互いに生かし合うのです。人も同じです。
愛というのはとどまることがありません。授受作用というのは、私とあなたで終わるのではありません。
私とあなた、そして第三者にまで伝授され、拡大されます。
夫婦の一番の中心は何でしょうか? 子供です。夫婦が愛し合えば子供が生まれます。
夫婦だけが、お互いに愛を授受しているのはよくありません。夫婦の楽しい姿を通して子供たちも楽しいし、父母たちはその子供たちを見ながら楽しいし、喜ぶのではないでしょうか。さらには、「私たち夫婦は苦労しても、お前たちは幸せになりなさい」というのが父母の心です。
このような家庭が拡大して社会になり、家庭から社会へと愛が広がることにより、社会全体が楽しく幸福な社会になります。そうなれば、結果的には自分に戻ってくるのです。それで、私たちがうれしくて楽しい世界を実現するために、一つ一つ実践するのです。その愛の広がった所が天国になるのです。
そして、それを実践してこられた方が、正に真の父母様であられるのです。
それでは、真の父母様はどのように生活されたのでしょうか。神様の創造された世界は、愛のために授受作用するようになっています。真の父母様は、その創造理想を実現させるために、実践して生きてこられたということができます。
天国はあすから実現されるものでしょうか? もしそうだとすれば、きょう死ぬとしたら、どうしますか。天国があすから来ることを願いますか? 来年から来ることを願いますか? 私はそうではありません。
きょう、この瞬間から、この場所から始めようと思います。
もし、過去にできなかったことがあったとしても、私たちは、真の父母様のように、神様のように生きようと、決意しなければいけません。きょうこの瞬間から、小さいこと一つからでも実践していこうというのです。
ですから皆さんは、きょうからために生きる実践を通じて、天国をつくっていかなければならないということを肝に銘じてくださいますようにお願いします。ありがとうございました。