2016年01月30日

天一国は絶対信仰によって成される !

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 世界平和統一家庭連合 沈 吉來

なぜ宗教が必要なのでしょうか。宗教は民族と国家を超えることができるからです。
なぜ宗教は民族と国家を超えることができるのでしょうか。神様という超越された方を信じているからです。この現実世界のいろいろな壁を越えていける力を持っています。

お父様の自叙伝により、宗教がどれほど重要であるかを知ることができます。
 宗教の役目は何かを考えてみましょう。
堕落した世界において、良心基準は絶対的ではありません。原理から見るならば、宗教の第一の役割は、「神様を教える」ということです。創造主たる神様、精神世界の根本存在として、神様を教えています。また霊界を教えてくれます。人間が堕落した存在だということも教えてくれます。救われなければならないわれわれであり、正しい善の基準を中心として生活することを教えるのが宗教です。

本日の説教題「天一国は絶対信仰によって成される!」のように、私たちが創建する天一国は神様の国です。神様が宗教を立てた目的は、愛と平和な世界をつくることでした。

 天国は政治、経済、科学のみによって実現されるのではなく、根本的には、神様と人間の関係、神様の愛を相続した心情関係を中心として創建されるのです。そして神様を中心とする天一国を創建するには絶対信仰が重要です。

マタイによる福音書16章13節から21節までに、イエス様と弟子たちの会話が出てきます。
あちこちで迫害される中で、イエス様は弟子たちに聞きます。
「人々は人の子をだれと言っているか」。その答えは、洗礼ヨハネであったり、エリヤであったり、あるいは預言者の一人であったりというような内容でした。そこでイエス様は弟子たちに、「あなたがたはだれと言うか」と聞きます。ペテロは「生ける神の子キリストです」と証しします。
イエス様は大変喜ばれました。「あなたはさいわいである」と、ペテロを祝福し、天国の門を開く鍵を与えられます。イエス様は弟子から慰められ、祝福を与えられました。

ペテロが救い主キリストであると証ししたのは歴史的事件でした。
メシヤ、救い主として来られたイエス様でしたが、栄光の主ではなく、寂しい立場になってしまっていました。律法学者、パリサイ人は受け入れず、イエス様をサタン、悪魔と呼んで迫害します。
洗礼ヨハネは、イエス様を一度はメシヤと証ししながら、一番弟子となって行動を共にすることができず、イエス様のメシヤとしての道をふさいでしまいました。

 イエス様は失敗した洗礼ヨハネの立場を復帰しなければならず、惨めな状況の中を歩みながらも、メシヤとしての歩みを残さなければなりません。その心を一番理解するのはだれでしょう。それは弟子たちなのです。ですからペテロがイエス様をメシヤとして証したことは、歴史的大事件なのです。
なぜ大事件かと言えば、信仰を中心として神様とイエス様と弟子が結ばれたのです。メシヤの存在、使命を明確にしたのです。

 ペテロに祝福を与えられましたが、注意も与えられました。会話の内容はここだけの話にして、世間の人々には知らせないようにされました。イエス様はメシヤでありながらも、堂々と宣言することができないのです。イエス様が置かれた立場は、洗礼ヨハネの位置を取り戻さなければならない立場だったので、そのようにせざるを得ませんでした。そうして、イエス様は十字架にかけられながらも、神様のひとり子として堂々と勝利圏を打ち立てられ、この地上に再臨主を送ることができるようにしてくださいました。

 このイエス様の心情世界を明確に明かされた方は、真のお父様しかいません。
既成キリスト教会から異端だと迫害されましたが、イエス様の無念な思いを解放してさしあげた方は真のお父様しかいません。お父様が再臨主であるということが、このことを通して理解できます。
イエス様の実体再臨ですから、神様の心がわかり、イエス様の心がわかるのです。
 しかしイエス様が来られた当時のユダヤ教の律法学者、パリサイ人と同様に、神様によって準備された当時の韓国キリスト教界の方々はお父様を受け入れることができませんでした。そのため、信仰の深くない、教養の深くない者たちを集めざるを得ませんでした。

今の私たちはキリスト教の信仰も持たず、路傍で拾われたような立場です。本来準備された方たちを失ってしまった中での再臨摂理の難しさを痛感します。
 本来なら1945年から1952年までの間に、お父様を中心として天国が出発できていたはずなのですが、残念ながら、そのことを私たちは実感できていません。ねじれて回りに回り、落ちに落ちてしまったので、本来の世界の真っすぐな心情がわからないのです。大変難しいメシヤの摂理です。この内容を知れば知るほど、蕩減復帰摂理の難しさを痛感します。
神様の王権を取り戻し、歴史的アベル・カインを蕩減復帰し、真の家庭を取り戻し、真の王国を取り戻さなければならないのです。
 お父様がされることを、私たちは理解することができません。しかし結局は、お父様がおっしゃるとおりに進んでいます。よく理解できなくても、お父様のために尽くした精誠は、何十倍、何百倍と実っていきます。

 私たちにとって、真の父母様はどのような方でしょうか。
先生、師のような立場であり、また統一教会の教祖、牧師です。
しかしそれ以上に、私たちの父母、親という心情圏にならなければいけません。

 私自身の個人的な体験では、み言を聞き始めたばかりのころ、メシヤのような方は父のような方でなければならないと感じたことがあります。真のお父様よりも年上の方もたくさんおられましたが、みな「お父様」と呼ばれるのです。

 お父様は私たちのメシヤであり、再臨主であり、救世主です。そして私たちの父母なのです。
真の子女様方は言うまでもなく、真の父母様が実の父母ですが、祝福家庭は真の父母様の祝福を通して血統関係、親子関係に連結されました。以前、國進様は平和大使に向けて「お父様は愛国者でも、宗教指導者でもありません。メシヤ、救世主、父母と実感してほしいです」と語られました。
どんなVIPでも、そのように実感しないといけないのです。

 真の父母様は、どれほど自らを犠牲にしながら世界を救うために尽くしてこられたでしょうか。これが親なる父母、真の父母様のお姿なのです。
 私たちは天一国を建設して、氏族メシヤになっていこうとする者たちです。何を中心として氏族メシヤになっていこうとするかと言えば、これは父母様との心情関係であり、父母様との親子関係から生じる絶対信仰です。私たちを通して氏族、家系を救う摂理が進んでいるのです。
真の父母様はどのような方なのか、もう一度確認しながら新しく出発していく私たちとなってまいりましょう。


posted by ffwpu at 12:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする