2015年10月03日

家庭は愛の学校

統一教会
櫻井隆能
<原理復興会講話集 P.139〜149>

【はじめに】
 最近、私たちは新聞やテレビを通して、家庭内暴力や家庭内事件をよく目にするようになりました。このような事件を見る度ごとに、私は、他の事件とは違って、「何か、入ってはいけないところに入ってしまった」という一種の緊迫感を覚えます。そしてまた、知らないところで、何か良くないことが起こっていっているのではないかという不安がよぎります。できるだけそれを見ないようにするのですが、また同様の事件が起きると、かえって私の心の中に深く刻み込まれていくようです。それが、きょうお話しする「家庭崩壊」という現実です。今も、私の中で、それを否定する気持ちは強いのですが、勇気を出し
て客観的に現実を直視することが必要です。

【崩壊する家庭】
 そこで、今日の家庭の状況を、いくつかのデータを通して見てみたいと思います。家庭崩壊の状況を端的に表すのが離婚件数ですが、平成14年をピークに若干の減少傾向にあるとはいえ、平成20年は約25万1000組と高い数字でした。40年前(昭和45年)と比べると、約2.6倍になります。平成20年の婚姻件数が約72万6000組ですので、3組のうち1組は離婚するという計算になります。

 次に生涯未婚率について見てみます。生涯未婚率とは、50歳を過ぎても、一度も結婚したことのない男女をいうのですが、平成17年のデータでは男性は15.4%、女性は6.8%、平均で11.1%です。これは50歳以上の9人に1人は結婚したことがないということです。この数字は急速に伸びており、近い将来4人に1人が結婚しないようになるという推計もあります。結婚しないということは、家庭というかたち自体をつくらないということです。

 また、昨年内閣府が実施した成人5000人に対する「家庭に対する意識調査」では、「必ずしも子供を持つ必要はない」と答えた人が、全体で42.8%、男性は38.7%、女性が46.4%でした。しかも20歳代では63.0%、30歳代では59.0%と高い数値を示しています。万が一、このとおりになったとするならば、家庭は夫婦のみの家庭が増え、親子関係を持たない家庭が増えていくこととなります。

 実際に、夫婦のみの世帯は昭和55年からの25年間で約1.6倍に増え、平成17年には全世帯の約2割に及んでいます。一方、親子の形態を有する世帯は、昭和55年では全世帯数の約3分の2であったのが、平成17年には全世帯数の約半分になっています。
 
 今日の家庭において、このように夫婦関係が壊れたり、また初めから夫婦関係や親子関係を持とうとしないことは何を意味するのでしょうか? 夫婦関係や親子関係は、私たちの最も身近な人間関係です。人と人のつながりが希薄になっていることを表すのではないでしょうか?

 人と人とのつながりにはいくつかの種類があります。例えば、同じ日本の国に生まれたということで、日本の法律がお互いを結び付けてくれます。これは法的なつながりです。次に契約的なつながりがあります。共通の目的を持って、ある特定の人とつながることがあります。しかし、今、私たちが問題とするつながりは、そのような法律的、契約的なつながりではありません。心のつながりであり、愛情によるつながりを言います。

 さて、この愛情という言葉ですが、よく使われる言葉ですが、それだけにいろいろな意味合いを含んだ言葉です。ここで愛についての先人の名言を少しご紹介します。例えば、インドの詩人でありノーベル賞作家であるタゴール氏は、「愛は、理解の別名なり」と語っています。また日本の哲学者である西田幾多郎氏は、「知は愛、愛は知」と語っています。またロシアの文豪トルストイは「愛は惜しみなく与う」と語っています。ほかにもたくさんの名言がありますが、ここではこの愛という言葉を、「理解しようとする心」、「与えようと心」として理解していきたいと思います。

 今日、家庭が崩壊し、人と人とのつながりが希薄になっている状況は、私たちの愛情、すなわち人を理解しようとする心、人に与えようとする心が弱くなってきていることの表れではないかと思います。

【愛と生命】
 それでは皆さん、「あなたが一番大切にしているものは何ですか」と聞かれたら、何と答えられますか? それぞれ大切にされているものはいろいろあるかと思いますが……。では、「愛と生命では、どちらが大切ですか」と聞かれたら、いかがですか? もちろんどちらも大切で、私たちには両方とも欠かすことができない、絶対に必要なものです。しかし、あえて愛と生命を比べたときに、どちらがより中心的で、原因的なものかということです。

 ある人は、「生きて生命があってこそ、人を愛することができる。だから生命が愛よりも中心的であり、原因的だ」と答えるでしょう。正にそのとおりであり、一人の人間を見るならば、それは全く正しいと言えるでしょう。

 しかし、その生命がどのようにして誕生したかを考えてみると、両親の愛情があって誕生したわけです。生物学的に愛がなくても生命は誕生し得ると主張されるかもしれませんが、その誕生した生命は、両親や周囲の愛情があってこそ、保護されはぐくまれることができます。愛の保護なくしては、生命は生きることができません。すなわち、私たち一人一人の生命は、他者の愛によって存在しているというのです。これを否定することはできません。したがって、愛が生命より、より中心的であり原因的であるということです。

 また皆さん、私たちはみな等しく喜びを願いますが、どのような喜びを願うでしょうか? 喜びの種類は、百人百様あると思います。しかし、それらは大きく三つに分類することができます。

 まず一番目は、健康であることの喜びです。何でもおいしく食べることができ、ぐっすり休むこともできる。身体に痛む所や不自由な所が全くない。このように身体が心の望むままに働いてくれることの喜びです。二番目は、人との間の喜びです。家族の中で、友達同士の中で、職場の中で、そして地域の中で、人との触れ合いを通して受けるさまざまな喜びがあります。三番目は、物が与えてくれる喜びです。万物は、多くの刺激と喜びを与えてくれます。

 ではこのような喜びを私たちはただで、無償で得ようとするのでしょうか? それはできないことです。例えば、私たちの健康は、私たちが自分自身の身体をよく理解し、しっかり管理してこそ保たれるものです。すなわち私の心が身体をよく理解し愛することが必要です。また人との間においてはどうでしょうか? 私の周りの人に、一方的に良いことだけを与えてくれることを願いますか? そのような人には、だれも近づこうとはしません。私が、人を理解し、その人に喜びを与えようとするからこそ、その人も喜びを返してくれるのです。物においても同じです。物は私たちに喜びを与えてくれますが、逆に、その物があることによって、奪い合い、争うことがあります。では物が間違ったのでしょうか? 違います。私たちの物に対する接し方が間違ったのです。物に対しても、理解と愛が必要だということです。このように私たちが願う喜びのためには、必ず私の愛の心が必要だということです。

 以上のように、愛は生命の根となるものであり、また喜びの根となるものです。言い換えれば、愛なくしては、生命も喜びもなくなるということです。愛が本当に重要であるということです。

 このことは私が言うまでもなく、だれもが理解していることでしょう。問題は、理解してはいるが、そのとおりに実行できていないところにあります。

 例えば、人はあの世に行くころになれば、愛する子供や孫に一番大切なものを残してあげたいと考えるでしょう。皆さんは何を残されますか? 家や土地を残されますか? 財産を残されますか? これらは必要なものではありますが、一番としては不足です。今、愛が生命と喜びの根であることを見たのですから、私たちはこの愛する心を子供や孫に残してあげなければならないのではないでしょうか? 昔の武士や商人の中には、子孫のために家訓を残していかれた方がいらっしゃいます。人の生き方を残されたのです。ここに上杉謙信公の「家訓十六ヶ条」があります。これを読んで感じるのは、家訓を残す伝統は、心を残すという、私たちが忘れてしまったことを思い出させてくれるようです。

【愛は家庭で学ぶ】
 それでは、このような大切な愛を、私たちはどこで学ぶのでしょうか? それは家庭です。家庭とは、血がつながった家族たちが暮らす所を言います。しかし、血のつながり以上に、実は、愛でつながった家族たちが暮らす所です。この家庭では、大きく四つの種類の愛を学ぶようになります。まずは父母の愛です。そして子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛があります。それでは、その一つ一つについて簡単にご説明しましょう。

 四つの愛の中で、一番柱となる愛は父母の愛です。父母の子供に対する愛情です。父母の愛の特徴は、与えたことも忘れ、見返りを求めようとはしない愛です。子供を愛し育てながら、子供の養育費を請求しようと考えている親はいるでしょうか? いないはずです。また父母の愛は、永遠に変わらない絶対的な愛です。子供の出来が悪いといって、他の子と取り替えることができますか? できません。このような不変的かつ完全犠牲の愛が父母の愛です。

 次に子女の愛があります。子供が親に返す愛です。幼い子供のころは、だれでも親から一方的に愛されることを願います。親から愛されないと、不機嫌になったり、不平不満をぶちまけたりします。しかし、親からの愛が子供の心の中に蓄積されていきますと、反対に、子供は親に愛を返すようになります。

 皆さん、漫才コンビの麒き 麟りんの田村裕さんをご存じですか? 『ホームレス中学生』という本を書かれた方です。その本の中にこんな一文がありました。「そのとき、お母さんの顔が浮かんだ。もしお母さんが見ていて、そんなことをしようとしていると知ったら、どんな顔をするだろうか。それを考えると、とても盗む気にはなれなかった」。彼がパンを盗もうとした時、亡くなったお母さんのことを思い出して、思いとどまったという場面です。ここに私は、彼のお母さんに対する深い愛を感じました。

 また皆さん、暴力事件で引退した朝青龍関をご存じでしょう。彼は記者から「現役時代の思い出の一番は?」と聞かれた時、ハンカチで目頭を押さえながら、当時小結だった彼が、「モンゴルから初来日した両親の前で、横綱を破った一番」を挙げていました。いろいろ言われた彼ではありますが、この言葉に、彼の両親に対する深い愛を感じます。このように子供が親に返す愛が子女の愛です。

 そして兄弟姉妹の愛があります。兄弟姉妹がお互いに愛し合うことです。血のつながった兄弟姉妹といえども個性は全く違います。この個性の違う人をどのようにして愛することができるでしょうか? それはお互いに同じ親から生まれ、同じ親から愛されているという認識から生まれるのではないでしょうか? 隣の兄弟姉妹をいじめたり無視したりすれば、親は悲しみ、兄弟姉妹を温かく愛すれば、親は喜びます。親を喜ばせたいと願う子女の愛が、身近な兄弟姉妹を愛するようにさせるのでしょう。

 また、この兄弟姉妹の愛が拡大して、人類愛へと発展していきます。昔、笹川良一氏がテレビのCMの中で「世界は一家、人類はみな兄弟」と語っていたのを記憶しています。この言葉のように、人類が同じ親から生まれ、同じ親から愛された兄弟姉妹であると認識すれば、民族を超え、人種を超えた人類愛が実現することでしょう。

 最後に夫婦の愛があります。男性と女性は肉体的にも、心の世界においても、大きく異なります。夫婦といえども、元は血のつながらない赤の他人です。この異なった二人が、どのようにして一つ屋根の下で一緒に暮らすことができるのでしょうか? それはお互いの愛の心なくしては不可能なことです。

 子供は成長して大人になり、やがて結婚します。したがって、夫婦の愛は、子女の愛、兄弟姉妹の愛を通して完成するようになります。すなわち親に愛を返す子女の愛が、夫婦の愛の完成の根底にあるのです。両親の子供に対する願いとは何でしょうか? それは自分たちのように夫婦が愛し合って、子供をもうけ、幸せになってほしいということではないでしょうか? そのような両親の願いにこたえたいと思う子女の愛は、結婚して夫婦となって、子供をもうけようとするのです。たとえ夫と妻の意見が合わなくて反発し合ったとしても、両親の「夫婦が愛し合って」という願いは、夫婦をしてその葛藤を越えさせていくのです。しかし、これだけならば夫婦はお互いに忍耐だけしかないように見えます。そうではなく、夫婦の愛は大きな喜びをもたらしてくれるのです。妻は、男性では絶対に得ることのできない喜びの世界を夫に与えてくれるし、夫は、女性だけでは絶対に得ることのできない喜びの世界を妻に与えてくれるのです。このことを両親は知っているので、子供たちに夫婦が愛し合うことを願うのです。

 以上のように、私たちは四つの愛を家庭で学ぶのです。この中で中心となるのは、先ほども申し上げたように、父母の愛です。父母の愛が柱となって、子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛が完成していきます。しかし、父母の愛が不足すると、子供は愛を返すのでなく、愛の不足分を要求するようになります。そして兄弟姉妹や周囲の人にも愛を要求し、争いが起こり始めます。またそのような男女が結婚しても、お互いに要求しますから、最後には別れてしまうようになります。また、親の愛が不足し、与える愛が生まれてこないと、結婚する意味を持つことができず、生涯独身で生きるようになります。

【祖父母の役割】
 それでは最後に結論を申し上げます。人を理解しようとする心、与えようとする心、すなわち愛の心が、生命と喜びの根となることを理解していただき、そのような愛が家庭で学ばれていくということをご理解いただけたらと思います。そして、その重要な家庭が、今崩壊しつつあるという現実を知っていただいて、家庭の再建に共に頑張っていただきたいということです。

 きょうは高齢者の方々にお話しさせていただいているわけですが、高齢者の方の役割は大変重要です。四つの愛の中で、柱となるのは父母の愛であると申し上げました。父母の愛は与えても忘れる無償の愛です。家庭で父母の中の父母が祖父母であり、地域社会の父母の役割が正しく高齢者の方々です。すでに現役の一線を退かれた方が多いと思いますが、心の教育、愛の教育においては最前線に立っておられます。皆様方の役割が家庭と地域の未来をつくっていきます。家庭が崩壊しつつあるこの現状を、足元から立て直していくことにご協力をお願いします。

 なぜこのようになってしまったのでしょうか。戦後教育の問題、物資の氾濫、時代の流れなど、いろいろ言われますが、いずれにしても、克服していかなければなりません。まずはあきらめない心が必要かと思います。時代が変わっても、国が変わっても、宗教・思想が変わっても、家庭は変わらずに続いてきました。みんなで協力して、変わらない家庭の姿を構築していきましょう。


posted by ffwpu at 10:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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