2015年08月22日

人間は神様の聖殿

統一教会
 鈴木高雄
 <2009 秋季 牧会者説教集より>
訓読:『天聖経』「成約人への道」第1章人生観より(p.1421)
 「もし人間の先祖、アダムとエバが堕落しなかったならば、どのようになっていたでしょうか。アダムとエバは、神様と一つの体になり、神様と同じ立場に立ち、神様の創造の威厳を継承し、神様が創造後、お喜びになられたのと同じ位置に立つことになっていたはずです。神様と人間の間で、そのような関係を結ぶようになるのです。堕落していない本然の人は、神様の聖殿になるのです」(54-64、1972.3.11)

 「アダムとエバは、神様の息子、娘であると同時に、神様の聖殿です。彼らが共に成長し、聖殿が完熟するように造られたなら、神様がアダムとエバの中に入ってこられるというのです。そして、完成したアダムとエバが神様を中心として聖なる式を挙げれば、それは何ですか。神様と一つの体になるということです。神様は内的な神様になり、私たち人間は実体をもった神様の体になるというのです。

 コリント人への第1の手紙第3章16節を見ると、『あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか』というみ言があります。信じて救いを受ける人も神様の聖殿になるのですから、本然の人類の真なる先祖の位置に進むその方たちにおいては言うまでもないというのです」
(54-139、 1972. 3.22)

 聖殿建設の摂理が始まって50日がたちます。土台ができた人、枠組みができた人、そろそろ建設が始まった人など、皆さんはどれくらいでき上がりましたか。自分自身の身体が神の宮になり、家庭も神の宮になれば、万物も向こうから寄ってきます。自分がどのような神の宮になるかということが問題です。皆さん一人一人が宮大工として、立派な聖殿を造っていただきたいと思います。

 きょうは「人間は神様の聖殿」という題目です。
 人間は堕落しなければ神の宮になるはずでした。堕落していなければ、神様の摂理の起源に一致してこの地上に誕生して、摂理の一部として生きているはずです。そういう人が、天命に生きる人です。明確な神様の意志と一つとなって、いかに天命に生きるかということです。神様はビジョンを持っているけれど、具体的な身体がないので、神様の手足となってビジョンをつくり上げていくのが、私たち人間です。神様の一部分として生きる人の人生は、神様の摂理と一致した方向に生きることができるのです。

 例えば、坂本龍馬です。イエス様の亡くなったのと同じ33歳で、誕生日の日に亡くなっています。大政奉還の使命を果たし終えて、すぐに暗殺されました。しかし、生きている時は、それほど有名ではなかったようです。明治天皇の皇后の夢に現れたり、日露戦争の時、東郷平八郎の夢に現れて、「このような戦い方でやれ」と戦略を教えて、そのようにしたら本当に勝った。皇后も夢に現れた人物の名前を知らなくて、宮内大臣が何枚も写真を見せて、坂本龍馬だということがわかったのです。日露戦争のころには忘れられていた人物だったそうです。

 私は大学に行くまでは、ほとんど本を読んだことがなかったのですが、読んで感動した本が、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』でした。その本にも書いてあるように、龍馬は天命に生き、日本の復帰摂理の一コマ、一員として神様に用いられて生き、死んでいったのです。また北条時宗もそうでした。無 学祖元禅師に仕え、座禅をして神風を呼び起こし、モンゴルを撃退させました。彼もその後、すぐに亡くなっています。まるでモンゴルを撃退させるために生きた人のようでした。

 真のお父様の「私たちは復帰摂理を完成させフィナーレを飾る存在として生きている」というみ言があります。皆さんは、復帰歴史を完成させる存在として生きているという自覚を持っているでしょうか。あるいは、一人一人は神様を完成させるために存在しているという意識を持っているでしょうか。神様は完全な主体として存在していらっしゃるので、私たちも完全な対象として立たなければなりません。私たちが完成するということは、神様を完成させることなのです。神様的価値を持って生きる、もっと言えば、宇宙を完成させるために生きているという自覚を持っているかということです。

 「スピリチュアリティ」という言葉があります。「ガイアシンフォニー」という映画に出てくる言葉で、皆さんも、ぜひ見てほしいと思います。監督の龍村仁という人は、約1万5000個もの実をつけたトマトを育てたことで有名な植物学者、野澤重雄を、その映画の中で紹介しています。5000個ものトマトの実を実らせるトマトの木を撮影したのですが、事情があって、実の熟した時期を1週間も過ぎて撮影せざるを得ませんでした。ところが、トマトはその撮影までもちこたえたのです。龍村監督が撮影を終えて東京に戻った翌日の夜、全部のトマトの実が熟して落ちたそうです。それは、まるでトマトが撮影されるのを知っていたようだというのです。

 そして、「母なる地球(ガイア)はそれ自体が大きな生命体であり、私たち人類はその心、すなわち想像力を担っている存在である。その私たちが今、何に気づくかによって、地球の未来も決まってくる」と言います。言い換えれば、私たちが聖なる母なる大地の一部、神様の一部「神の宮」をつくっているということになります。いくつかの映画がありますが、映画に登場する人はみな、天命に従って生きている、地球の代表として生きている。そのように、私たちは宇宙の一部として生かされている立場だというのです。

 映画の中にはもう一つ、サーファーのジェリー・ロペスという人の話があります。高層ビルよりも高い30メートルから50メートルの大きさの大波になると、中が空洞になっていて、それでその大波のことをチューブというのですが、その大波に乗るのです。まず50メートルの波に上がり、次にチューブの中に入っていくのです。波の中にのみ込まれてなかなか出てこない。そして10秒くらいたってチューブのトンネルから出てくるのです。波に乗る前に必ず瞑想して、波との一体化、地球との一体化、神様との一体化をイメージするそうです。波に挑戦するとか、大会で優勝するとかは一切考えないそうです。自分が波と完全に一体化する、自分が波の一部になり、地球の一部になっている……。気がついたら、自分が波に乗っていたというのです。波の中で何を考えているのかというと、ずっと瞑想しているそうです。

 自分は、神様の一部となって、使命を果たしていく立場だというのです。人は、それぞれに生まれた目的があり、神様、宇宙に生かされている立場なのです。その意味を知って生きるのと、知らないまま生きているのとでは全然違います。皆様は、住んでいる地球や家系や家庭を代表してここに来ています。自分を神様や宇宙の一部として意識しているのか、関係ない自分として生きているのか、地球的価値観を持って生きているのか、自分は一人で生きていると思うのとでは、大きく違ってきます。聖書に、「あなたがたは神の宮であって神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」とあります。神の御霊の宿っている私だと意識していますか。聖殿摂理を、またか、と捉えるのか、それとも自分と家庭、夫婦親子の関係を、神様の住まわれる聖殿にしようと歩むのか、どちらでしょうか。

 教会では聖殿摂理がスタートした50日前から瞑想会をしています。皆様、これを摂理勝利のためのただの条件として捉えていませんか。

聖殿摂理を通して自分が神の宮になるために、日々、真剣に自分に気づこうとしていますか。信じられない、見えてこない、とてもできそうにないことをしようとしているのです。自分の堕落性と罪との闘いです。スピリチュアルなものすごい闘いです。この闘いを通していけば、摂理が終わった時には、きっと大きな光が家庭に現れてくると思います。一般の人でも地球レベルでしている人が、こんなにたくさんいるのです。ましてや私たちは、神様を完成させるというみ旨をなしているのです。

 皆さんは、「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれたら、どう答えますか。本来は、私たちの仕事は、神様と人の役に立つこと、神様のみ旨を完成させることなのです。その仕事を通して神様のみ旨、天命を果たしているのだということです。教会での仕事も、これを果たすためにしているのです。教会にただ来ているだけとか、礼拝に参加しているかどうかとかは関係なく、教会を出てから、自分が摂理とみ旨と歴史にどうつながっているかが問題です。神様とつながっていなければ、自己満足です。生活と自己満足のためだけに生きているほど、むなしいことはないと思います。

 家系を見れば、皆、先祖と氏族を代表して来ていることがわかります。家系から押し出されてきた目的と、神様の歴史とみ業に一致した立場で歩んでいるのか。かけ離れた人生だとしたら、むなしい人生です。そういう意味で考えれば、神の宮として完成するということは、天命に生きること、神様に生かされた命として生きることではないでしょうか。内的な霊的自分を完成するという摂理なのです。できない人や、しなくていい人はいません。皆できるようになっています。

 与えられた天命を、残された期間に勝利してほしいと思います。何よりの天命は、伝道することです。歴史上の有名な人たちも天命に生きたので、私たちも生活のために生きるのではなく、天命を持って生きてほしいと思います。


posted by ffwpu at 10:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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