2015年08月15日

栄光の王子になろう

統一教会
 権相來
 <2009 冬季 牧会者説教集より>

訓読:『天聖経』「祝福家庭」「祝福の意義と価値」(p1210)
 「先生が生涯で最も貴いと考えたものとは何でしょうか。祝福です。皆さんにとっても、人類歴史始まって以来、最高の贈り物は、祝福です。

 今日、皆さんは、まだ真の父母と完全な因縁を結ぶことができないでいます。ですから、その因縁を結んであげるためにしてあげるのが、統一教会の祝福です。

 祝福を受けた人は、霊界に行っても先生が永遠に責任を負います。先生が主管して指導します。祝福とは、このように先生と永遠の因縁を結ぶものでもあります。

 祝福をしてあげるということは、天の全権を委譲してあげることを意味します。

 祝福は、天国の門を開くことであり、天国は、子女をもって家庭が入っていく所です」


 再臨復活された興進様が日本に来られた時の話を聞いたことがあります。教会が汚くて怒られたという話です。「神様が教会にいらっしゃるのに、なぜ汚いのか」と……。次の訪問予定の教会は、その話を聞いて、一生懸命掃除をしました。そして教会に訪問されたときに、「事務所に行きましょう」と言われました。すると、事務所はめちゃくちゃでした。「事務所には神様はいらっしゃらないのか」と怒られました。それを聞いた次の訪問先の教会は、事務所まで来られるということで一生懸命掃除をしました。その教会に訪問された興進様は、礼拝堂を見られ、事務所を見られて、事務所の机の引き出しを全部開けて見られました。引き出しの中はめちゃくちゃで怒られました。次の訪問予定の教会はその話を聞いて、引き出しまで全部見られるのできれいに片付けました。興進様は次に台所まで見て、「ここには神様がいらっしゃらないのか」と怒られたそうです。

 ですから、神様に侍る私たちは、家も教会も、どこでもきれいにしないといけません。それが神様に侍る基本的な姿勢です。皆さん、きょうこのように礼拝堂、事務所をきれいにして気持ちがいいでしょう。神様も気持ちがいいと思います。

 宋榮錫・全国祝福家庭総連合会総会長(編集注:当時)が、お父様に質問されたそうです。「お父様! なぜ国家的メシヤ、祝福家庭を苦労させるのですか?」。お父様の答えは、「霊界に行ったら、祝福家庭が一番高いところに行かないといけないのに、もしそこに行かなかったら、先生の面子が立たないんだよ」と言われたそうです。それは何を意味しているのでしょうか。

 歴史において神様のために命を捧げた人はたくさんいます。われわれ祝福家庭が霊界に行ったとき、メシヤに会ったことがなくても命を捧げた人が並んでいるところで、どのような話ができるでしょうか?
 
 われわれは真の父母様に出会い、メシヤに出会いました。祝福まで受けました。この祝福の価値がどれほど大きいものかを『天聖経』の「祝福家庭」から一部訓読しましたが、それだけでなく、恩赦も受けました。このような恩恵を受けたわれわれは苦労しましたが、今まで神様についていった方々より多く苦労しているでしょうか? それ以上にならないと、霊界に行っても、顔を上げることができなくなるというのです。それがお父様の答えでした。

 お父様は、われわれが霊界に行って、天国に行くだけでなく、命を捧げて神様のために頑張った数多くの人よりも高い霊界に行くことを願っていらっしゃるのです。

 インドの聖者サンダー・シングは、伝道するとき、裸足でヒマラヤ山脈を越えていった有名な方です。その方は神様に祈りました。「神様、私に神様がいらっしゃる証拠を見せてください。そうすれば、私は生涯神様のために生きます」。そのように祈りました。すると朝、光の中にイエスが現れたのです。それで、彼は神様のために生涯生きることを決意したのです。

 サンダー・シングの有名な話があります。ある日、チベットの人と二人でヒマラヤを越えて伝道に行くと、途中、雪の中で倒れている人がいました。サンダー・シングは隣の人に「この人を背負って山を下りましょう」と言いましたが、チベットの人は、「われわれも大変なのに、この人まで背負ったら、みんな倒れますよ。だから無理です」と言って、先に歩いて行ってしまいました。しかしサンダー・シングは、そのまま置いて行くのは心苦しかったので、背負って雪道を歩いて行きました。ある程度歩いて行くと、背中の人の意識が戻ってきました。背負って歩くので、汗が流れ落ちるほど熱くなり、その体温によって背負った人も温かくなってきたのです。

 さらに進むと、また一人、雪の中に倒れていました。よく見ると、最初に一緒に歩いていたチベットの人でした。自分のことだけを考えて先に行った人は、倒れて死んだのです。そこで、サンダー・シングは悟るようになります。「人は自分一人生きようとすると死ぬのだ」と。「死なんとするものは生きる」と、聖書にもありますが、そのことを目の当たりにしたのです。

 サンダー・シングは悟った後、40日間の断食をしました。どうしたらイエス様の十字架の痛みを感じることができるか。それを悟るために、雪の山を裸足で歩いて伝道することを決意しました。そのようにして、雪山で裸足で生涯を送った方です。

 歴史において、そのように生きた人はたくさんいます。日本に踏み絵の話がありますが、韓国にもあります。釘の上を歩いて足から血がにじんだとしても神様を裏切らない、そのような道を歩んだ方はどれほど多くいるかわかりません。それをお父様は知っていらっしゃるので、霊界に行ったときに自慢するものがあるのかと言われるのです。祝福を受け、メシヤに出会った者として、一番高いところに行かなければならないのに、そのような資格を備えているのかと言われるのです。だからお父様は祝福家庭を苦労させるのです。ただの苦労ではありません。み旨のためにする苦労です。神様のために、真の父母様のための苦労です。霊界では、そのような苦労の証しが必要です。

 われわれは何のために苦労しているのでしょうか? 神様は何をなさりたいのでしょうか? なさりたいことは四つあります。人間の解放と万物の解放、そして霊界の解放と神様の解放です。何のためのみ旨、摂理かと言えば、以上の内容になります。

 人間は堕落し、神との関係が断絶して、神の心情、神の心を知らない者になり、サタンの性質が入りました。人間と人間の関係も切れてしまいました。人間を見る時に、神様の目で見ることができず、サタンの目で見るようになりました。そのような人間が集まったので、関係が切れてしまったのです。人間と万物の関係も切れてしまったので、万物は正しく主管する真の主人が現れることを望んでいます。本然の人間が現れることが万物の解放です。

 霊界の解放は、歴史上、だれも考えなかったことです。霊界にも多くの人が住んでいます。地上と全く同じです。体があるかないかの違いです。そこには地上では考えることができないような地獄があります。そこに先祖がいるので、解放しないといけないのです。霊界に行っている人もみな、本来神の子だからです。地獄まで解放しないと、神様が解放されないのです。

 人間が解放されなければ、万物が解放されないし、霊界が解放されません。そののちに神様が解放されます。神様は親なので、最後に解放されます。親は子供が解放されない限り解放されません。神様がなしたいことは、人間が解放されることです。解放において重要なカギを握っているのが、人間なのです。

 一般的なキリスト教においては、人間が神様を解放するということは考えません。それはとんでもない話です。神様は創造主であって、人間は被造物です。被造物がどのようにして神様を解放するのか。話にならないというのです。神様が人間の罪を救うということはあっても、人間が神様を解放するということはありません。人間が神様を解放するという統一教会は偉大です。

 なぜ、人間が神様を解放することができるのでしょうか? それは父子の関係だからです。親は子供によって解放されるのです。神様は人間によってのみ解放されるようになっているのです。どのようにすれば、われわれは神様を解放することができるのでしょうか? もちろん人間が解放されなければなりませんが、祝福を受けて罪を清算すれば解放ですが、それで終わりではなく、心情で神様を見るようにならなければなりません。

 子供にはお母さんの本当の姿が見えないのですが、その子供が大きくなって、お母さんになって、初めてお母さんが見えるようになります。それは目で見るのではなく、心情でわかるようになるということです。自分が親になった時、初めて親が見えるのです。人間が神様を知って、人間が神様にならないと見えないのです。

 ですから、堕落人間には神様が見えないのです。世の中には、神様がいないと思っている人がたくさんいます。神様が見えないからいないと言っていますが、堕落したので見えないのです。堕落した目では神様を見ることは絶対ありません。親になり、子供を生んだ時、初めて私の親はこんなにも苦労したのかと思うのです。それでなければわからないのです。その時、初めて親が見えるのです。神様も全く同じです。人間が神様にならないと、神様を見ることができないのです。

 人間が解放され、本然の立場に立つということは、心情の解放です。親なる神様と通じる心情です。

 成熟した子女は、どのようにして親に楽をさせるかを考えます。親孝行の心情です。自分が基準ではなく、父母が基準になります。父母の立場で物を見て考えていくのが、成熟した子女です。それが、お父様が願われる基準です。

 親はいつも子供のことを考えています。永遠に幸せになることを願っています。真の父母様はどうなのでしょうか。われわれのことをどのような心情で考えていらっしゃるのでしょうか。祝福家庭が永遠に、地上だけでなく霊界まで、神様のもとで自慢しながら生活できる者になることを願っておられます。

 きょうのみ言の中に「祝福を受けた人は、霊界に行っても先生が永遠に責任を負います」とあります。われわれは本当に福があります。しかしお父様は、われわれに霊界に行っても恥ずかしくない祝福家庭になってほしいのです。神様の摂理の中で苦労し、命を捧げた多くの殉教者たちにも恥ずかしくない祝福家庭になってほしいと思います。霊界で祝福家庭を証したいのです。今の苦労が霊界での証しになるでしょう。

 今の苦労は栄光の苦労なのです。すべての苦労に勝利した人は、栄光の王子になるというお父様のみ言です。栄光の王子になりましょう。


posted by ffwpu at 10:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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