2015年08月01日

絶対信仰を持って国を背負う人生

統一教会
 河村政俊

訓読:『牧会者の道』p.46〜p.47より
 「アブラハムを見てみましょう。神様は偶像商である彼の父親から、彼を分立させました。彼は、家族、祖国、物質的な富、そして、すべてのものを捨てなくてはなりませんでした。そのように、サタン世界から彼を断絶させることにより、彼は、カナンに入っていくようになったのです。神様は、彼を鍛錬し、彼をして、彼自身の民族だけでなく他の民族、さらには怨讐のためにも泣くことができるようにさせながら、摂理を発展させました。

 神様は、彼に祖国を離れ、他国に行くようにさせながら、このことをなされたのです。彼は、ジプシーのように流浪していったのです。彼は、いつも切実な心情で泣き、祈祷し、神様が自分の祈祷を通して人々を救ってくださることを願いながら生きました。それで神様が、彼の子孫たちが天の星のように、地の砂つぶのように繁栄するであろうと、祝福されたのです。

 聖書を見ると、私たちは、神様がアブラハムを祝福され、彼を無条件に愛されたような印象を受けます。しかし、そうではありません。アブラハムは、愛する家族、祖国、物質的な富、そしてその他のすべてのものをあとに残して、神様が選ばれた未知の地に行き、いつも神様と人々のために涙を流すことにより、サタンから自分を分立しなければなりませんでした。彼は民族のために多くの祈祷をし、国のために多くの苦痛を受けたのです。

 そのような条件を通して神様は、アブラハムを信仰の祖先として立てることができ、また数多くの後孫が繁栄するように祝福できたのです。このような内容は、聖書には記録されていませんが、神様が彼に祝福を与えたのは、そのような背景があったからなのです。

 アブラハムもノアと同じです。偶像商の息子、アブラハムは、サタンが一番愛する人でした。しかし、神様は賢く愛らしいこの息子を奪ってきたのです。アブラハムが願ってきた世界は、彼の父親の思いとは違いました。怨讐の息子ではあったけれども、考えることがその父とは違っていたのです。アブラハムは、自分の家族のためだけでなく、未来のイスラエルを心配する心を持っていたのです。そのようなアブラハムを神様が奪ってきたのですが、どのようになったでしょうか?成長していた時には、彼の家族や親戚が、自分の味方だと思っていたのに、そのすべてが怨讐となってしまったのです。その上、自分の国と氏族から離れ、自分の父母に反対してからは、アブラハムの行くことのできる家がどこにあり、親戚がどこにあり、国と世界がどこにあるのかというのです。それこそ、一人残されたのです。そのためにアブラハムは、行く先々で試練と苦痛を受けるようになったのです。エジプトに行った時には、パロ王が彼の夫人を奪おうとしたり、どこへ行っても追われる身となったのです」


 きょうは三大宗教の信仰の父として慕われているアブラハムの歩みを検証しながら、信仰の歴史的教訓を受け継いでいきたいと思います。


 アブラハムは、もう一人の信仰の父として知られているノアから10代目、偶像商テラの長子として生まれました。サタンの最も愛する位置にいたアブラハムを神様が奪ってくる摂理でした。

 アブラハムは「親族に別れを告げて、私が示す地へ行け」という神様の言葉一言ですぐに旅立ったのでしょうか。私は、すでにその背景が整えられていたと思います。神が近づいて導いたアブラハムは、幼いときから本質的な性質がはぐくまれたと思います。また、アブラハムの母は信仰的で愛情深い女性であったに違いありません。なぜならばアブラハムは、ソドム・ゴモラが滅びると告げた天使に必死になって、ソドム・ゴモラの人々を思って守ろうと神様に掛け合ったのですが、人に対するその愛情は、母の情を受け継いだからだと思うからです。

 父のテラは偶像商でした。アブラハムは長男なので、父の仕事を受け継がなければならない立場です。しかし、神様が導くアブラハムは、偶像を神として拝することができませんでした。アブラハムは、父の仕事を引き継ぐことができません。父と、このことで論争したかもしれません。長い年月、アブラハムは、そのことで悩んだと思われます。

 そんな時、神様から「アブラハムよ、アブラハムよ」と声が掛かりました。神様は、「親族に別れを告げて、私が示す地へ行け」と命令されたのです。

 尊愛する父や母と別れることは、つらく悲しいことです。アブラハムの出立は、真夜中だったに違いありません。反対する父を退け、悲しみで泣いてすがる、愛する母を振り切る自信がないと思うからです。親族に別れを告げることは、身が引き裂かれるような悲しい出来事だったに違いありません。皆さんの中には、「統一教会に行くのなら、親子の縁を切って行け」と言われ、絶対に切れない、切ってはいけない親子なのに、この道の歴史的な重要さを確信して、いつかはわかってくれる時が来ると信じて、泣いてすがる母の手を振り切って来られた方もおられると思います。

 ところで、統一教会に来る人は、親孝行の人が多いと聞いています。親の立場から見ると、「何人かの子供の中で一番出来のいい子供で、将来を期待していた子供が、よりによって統一教会に行ってしまうとは……」と嘆くのです。皆さんは、親族に別れを告げたアブラハムと同じ道を来たことになります。

 話のついでですが、全く反対の立場の人もいます。「どうしようもなかった極道息子が、統一原理を聞いて別人のように立派になった」と喜ぶ父母もいました。そういう父母は、証あかしがあるので、すぐに父母伝道ができます。また、悪女が烈女に変身したら、夫は大喜びで教会に感謝するでしょう。しかし、そういうパターンは少数で、熱心に信仰すればするほど、夫の反発に遭っている婦人が多いのではないでしょうか。しかし、その精誠と努力は、歴史が記憶し、神様が理解してくださっています。

 話を元に戻します。アブラハムの人生は、何度も愛のゆえに身を引き裂かれるような、心情の十字架の道でした。飢饉でエジプトに行ったとき、アブラハムは妻のサラと兄妹であるとしました。絶世の美女であったサラを妻にしていることをねたんで、アブラハムを亡き者にしようとする者が現れる恐れがあったからです。実際、エジプトとゲラルを訪れた時、サラに見惚れた、エジプトのパロもゲラルの王アビメレクも、サラを妻にしようとしました。

 アブラハムの歩む道は三大祝福を復帰する道です。堕落前のアダムとエバが兄妹であったことを蕩減復帰する意味があったのです。祝福を受けた夫婦が聖別期間、兄妹として歩むように、神はアブラハムにも兄妹として歩むようにされたのです。拒めば殺される場面で、妻を差し出さなければならなかったアブラハムは、その後、食事がのどを通ったと思いますか。夜にすやすやと眠れると思いますか。アブラハムは、夜も寝ずに、神様にサラを守ってくださいと談判祈祷をしたに違いありません。また、サラも純潔を守るために命懸けで、知恵を絞り、パロが近づけないようにしたに違いありません。そんなアブラハム夫婦を神は守り導き、サタンに奪われた三大祝福を取り戻すための路程を歩んだのです。

 最後は、三種の供え物の失敗により最愛の息子、イサクを捧げることになったのですが、子を持つ親ならば、だれもがその行為を信じられないと思います。

 アブラハムは、ヨブのような信仰を持っていたのです。ヨブは、愛する家族が打たれて死んだ時、このように言いました。「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名は、ほむべきかな」。神を信頼したヨブと同じように、アブラハムは神様を不信することは絶対にありませんでした。しかし、燔祭を行うモリヤの山まで1日あれば行ける距離を3日間かけて行ったのは、目に入れても痛くないほどかわいいイサクと、1日でも1時間でも長く一緒にいたかったアブラハムの父としての気持ちからでした。アブラハムにとって自分の命よりも何十倍も大切なイサクを捧げるということは、身を引き裂かれる以上につらく苦しいことであったに違いありません。

 皆さん、私たちはある意味で、アブラハムやノアと同じ立場に立っています。ノアは箱舟を造り始めた途端、気が狂っていると非難され、迫害されました。私たちも、ある日突然、神様から召命されました。神様の愛に出合い、人類を救おうとされる親としての悲痛なる心情に触れて、足りないながらも立ち上がったのです。神様の前に財物も人生もすべて捧げて献身的に歩む私たちの姿は、この世の人々にとって、異常な姿に見えるのは当然です。気が狂ったとか、だまされているなどと言われ、今日まで迫害が続いてきたのです。

 ところで、ノアやアブラハムが神様に召命され祝福されたのには、彼らが公的な立場を貫く人間だったことが大きいと思います。ノアが自分の家族だけの救いを考える人であったならば、洪水から逃れるために、あれほど巨大な船は必要ではないでしょう。彼は、すべての人が箱舟に入って救われるように祈り、努力したはずです。アブラハムも、ソドムとゴモラが滅ぼされると知って、神様と掛け合って滅ぼされないように努力しました。

 私たちも、個人としての立場で、神の召命を受けたのではありません。氏族を代表して立てられています。また、日本は母の国として国家的な使命があるので、日本の兄弟姉妹は、国が背負うべき国家的な使命をも担っているのです。国の運命までも左右する重大な立場に、私たちは位置づけられているのです。だから行く道は険しく、背負っているものが重く感じるのです。しかし、天一国実現の暁には、苦労した者が栄光を受けるのです。それゆえに皆さんは、神の国の英雄になる戦いの最前線にいるのです。

 ゴールは見えてきました。今、必要なのは、ノアやアブラハムに負けない絶対信仰の実践です。その苦労が多いほど、皆さんの子孫は限りない栄光を受けるでしょう。初心を貫徹できる勝利者になりましょう。


posted by ffwpu at 11:51| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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