2015年07月25日

サタン屈伏の秘訣

統一教会
 周藤 健
<2009 冬季 牧会者説教集より>

 愛が、人生においてどれほど大切であり、どれほど素晴らしいかということを、私たちはよく知っています。

 では、その愛を見たことがあるでしょうか? だれも愛を見たことがないのです。愛には形がなく、また色も、匂いもありません。それは肉的五官では感じられないのです。

 その見えない愛は、どれほどの力を持っているのでしょうか? そのことについて今日まで、私たちはあまり知らずにきました。

 愛が人間を変え、世界を変え、歴史を変え、全人類の運命をも変えるような力を持っているのですが、そのことを本当にわかった人は、だれもいなかったのではないでしょうか。

 これまで人々は、この世界を変えたいと思ってきました。そのために、何百万、何千万人を粛清してでも、この世界を制覇して変えようとしてきたのが共産主義です。

 しかし、世界の半分以上を制覇したかのように見えた共産主義も、この世界を本質的に変えることはできませんでした。武力や権力、お金では世界を根本的に変えることはできないのです。

 では、愛はどのように世界を変えることができるのでしょうか? 愛にはそのような力があるのでしょうか? その解答を真のお父様が教えてくださっています。
 1979年12月30日聖日、真のお父様が米国のベルベディアで、朝6時から語られた説教「摂理から見たアベルの正道」の中で語られています。

 そのころ、真のお父様の通訳は、韓相吉先生(36家庭)でした。韓先生の通訳は、真のお父様の勢いに比べていつも物静かでしたが、この時ばかりは、お父様の勢いそのままでした。

 真のお父様は汗だくで語られ、韓先生もまた汗だくで通訳されたのです。食事も取らず、トイレも行かれず、午後5時半まで11時間半、ぶっ通しで語られました。

 カインは、いつも大きな基盤を握っています。しかし、アベルはいつも何もないところから出発しなければなりません。カインの背後にはサタンがいて、すべてを握っているのです。無一文で裸一貫のアベルが、どのようにしてカインの手からすべてを、神様に捧げさせることができるかということです。

 イエス様が来られた時も、そうでした。真のお父様が来られた時も、何もなかったのです。しかし、キリスト教は最大の基盤を持っていました。その中でもカトリック信徒は、現在十億人を超す最も大きな団体です。その基盤は本来、真のお父様のためにあったのです。

 そのように、カイン圏はすべてを持っているのですが、真のお父様には何一つとしてありませんでした。

 カインの背後にはサタンがいて、そのサタンを屈伏させなければ、カインの本心は目覚めないのです。それでサタンを屈伏させるために、サタンができないことを成し遂げなければならなかったのです。 サタンはお金を持っているので、お金を見せても屈伏しません。また、サタンは人材を持っているので、人材を見せても屈伏しません。そればかりか、サタンは権力、学問、哲学、神学をもってしても屈伏したためしがないのです。

 過去にサタンを屈伏した神学者がいますか? サタンを屈伏させた哲学者がいますか? ソクラテスはサタンを屈伏させましたか? プラトン、ヘーゲルはどうでしょうか? 学問でサタンは屈伏できないのです。真のお父様は、それをよく知っておられたのです。

 「原理」でサタンが屈伏しますか? 皆さんは「原理」があれば、サタンが屈伏すると思うでしょう。しかし、そうではありません。サタンは「原理」を実によく知っているのです。

 モーセは岩を2度打った時に、サタンに侵入されました。なぜ1回目ではなかったのでしょうか? それは1回目は、堕落したアダムを打った立場の蕩減復帰だったのですが、2回目は来るべき第二アダムを打った立場、すなわちイエス様を打った立場なので、それが罪となり、サタンが奪って行ったのです。

 ということは、モーセはその「原理」を知りませんでしたが、サタンはその「原理」をよく知っていたということなのです。この「原理」は、モーセから3600年を経て、真のお父様が明らかにされたのですが、お父様が発表される3600年前に、すでにサタンは知っていたのです。 そのように考えてみると、サタンに原理講義をさせれば、素晴らしい講義をするでしょう。実に深く、厳密な講義をすると思うのです。ですから「原理」だけをもってしても、サタンは屈伏しないのです。では、何によって屈伏するのでしょうか?

 真のお父様の偉大な発見は、サタンが及ばないその一点を見つけたことです。それが犠牲の愛なのです。

 本来、愛は喜びの愛ですが、復帰摂理における真の愛は、犠牲の愛となって表れるのです。この犠牲の愛、それだけはサタンができないことなのです。

 皆さん、サタンが自分を犠牲にして他の幸せのために尽くしている姿を見せたことがありますか? サタンが祈祷室に入って涙を流しながら、神様に「どうか、このかわいそうな人たちが、一日も早く解放されて、あなたの前に帰ってくることができますように」と、祈っているのを見たことがありますか? 

 サタンが路傍に立ち、一生懸命に人類の幸せのために訴えるのを見たことがありますか? サタンは自分を犠牲にして、他の幸せのために生きることはできないのです。なぜなら、サタンの本質は自己中心だからです。もし、サタンが自分を犠牲にして、他の幸せのために尽くすなら、もはやサタンはサタンであることができないのです。

 皆さんが、他のために犠牲になり、尽くすとき、それまでついてきたサタンは、離れていくのです。屈伏するのです。

 「今までの君は自己中心だったから、おれと同じクラスメートだった。生涯の親友だったのに、私を裏切ることをするのか!」と言って、サタンはついに離縁状を出すのです。これがサタン分別です。

 真のお父様のメッセージの中心は、そのように己を犠牲にしたとき、サタンはついてくることができなくなり、皆さんの前に屈伏していくということです。そして、サタンが去って行けば、カインの本心が目覚めて、神様のみ言を聞き、そのカインが持っているすべてを捧げてくるのです。これがサタン屈伏の秘訣、すなわち、長子権復帰なのです。

 サタン屈伏のこの秘密を探し出し、その秘密が絶対的に不変の真理であることを確信し、生涯を懸けて実践してこられたのが真のお父様なのです。

 真のお父様は、興南収容所での証しをされたことがあります。 

 興南収容所の工場では、病気であっても働かなければなりません。ある時、ある病人が働いて帰ってきて、与えられた食事を一口、二口、口にした瞬間、ガクッと倒れ、そのまま死んでしまったのです。 そこに二人の囚人が走って行きました。それを見ていた真のお父様は、倒れた人を助けようと走り寄ったのだと思ったそうです。ところが彼らは、今死んだばかりの死人の口をこじ開け、残っていたご飯を口から引き出して食べたというのです。

 そのような所であっても、真のお父様はご自分に差し入れがあれば、すべてを囚人たちに分け与えられました。真のお父様は、サタンのできないことをしていらっしゃるのですから、みな感動するのです。

 ある時、囚人たちがお風呂から帰り、服を着替えようとすると、自分たちの上着のポケットが少し膨れていました。ポケットを開けて見ると、新聞紙に包まれた、はったい粉(麦を炒って粉末にしたもの)が入っていました。

 それを見た囚人たちは、どれほど感動したことでしょうか。囚人たちは、それをだれがくれたのかと尋ねる者はいませんでしたが、だれがくれたのかを知らない人もいませんでした。

 それから囚人たちが廊下を通って外に出ようとした時、真のお父様が外から帰って来られ、ばったり出会ったのです。

 囚人たちと真のお父様は、しばらく見つめ合ったまま立っていたそうです。すると、その囚人たちの目から、熱い涙がはらはらと流れ出たのです。その涙は、感謝の涙であり、慕わしさの涙であり、尊敬と畏敬の涙だったのです。

 それをご覧になっている真のお父様の目からも、熱い涙が流れ出しました。その涙は、いとおしさの涙でした。

 真のお父様は、「その時、先生の胸は喜びに震えたよ。皆さんもそのような経験がありますか?」とおっしゃいました。私たちが「ありません」とお答えすると、「先生にはそれがあるんだよ」と語られたのです。 

 このように真のお父様は、地獄の底をも天国に変えていくことができるお方なのです。天国というのは場所の名称ではありません。愛がある所が天国なのです。

 牢獄でも、ダンベリー刑務所でも、北韓の興南収容所でも、どこでもいいのです。真の愛のある所が天国なのです。冷たい風が吹きすさび、雪の吹きつける所でも、その雪をも溶かす愛のある所が天国なのです。

 反対に、どんな暖かい所でも、美しいビルディングの中でも、きれいに飾られた部屋でも、そこに愛がなかったら、そこは地獄なのです。真のお父様はしらみと一緒に生活されながら、そのしらみさえも幸せにするお方なのです。

 ですから、興南という地獄において、生命より大切な食べ物を犠牲にしながら、囚人たちが食べて幸せを感じるその姿を見て、うれしくてたまらないという真のお父様の心情の前に、どうしてサタンが文句を言うことができるでしょうか。

 サタンは、その人たちから去って行き、一人、二人とお父様のところにやって来て、「一緒に行かせてください。死んでもいいから、あなたについて行きたい」という人が、12人を超えたのです。

 イエス様は、12人の弟子をすべて失って牢獄に入ってしまいましたが、真のお父様はその牢獄から12人の弟子を復帰したのです。その勝利の基準があったので、イエス様の十字架を蕩減復帰し、真のお父様は興南から解放されることになりました。これが1950年10月14日です。

 真の愛の前にサタンが屈伏したのです。自分を犠牲にして、相手の幸せを喜ぶ、その真の愛の心情の前にサタンはどうすることもできなかったのです。


posted by ffwpu at 10:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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