2015年07月18日

殉教者の叫び

統一教会
 西岡泰治
 <2009 冬季 牧会者説教集より>

 12月25日、平戸区域で区域集会を行い、その後、平戸市のほぼ中央にあるザビエル記念聖堂(カトリックの教会)に行き、礼拝堂で祈祷を捧げました。ちょうどその日はクリスマスの日であったため、教会の礼拝堂にはとてもきれいに飾りつけがされていました。私たちが教会に行った時間は夕方5時ごろだったので、既にクリスマスのミサが盛大に行われたあとだったのか、人影がなく、とても静かでした。

 礼拝堂で祈祷をし始めてしばらくたった時、一緒に祈祷をしていたある婦人に殉教者と思われる人の霊が入り、その婦人の口を通して「よう来た、よう来た。うれしい」と叫びました。私はとっさにその婦人の背中をさすりながら、「わかった、わかった。心配しないでください」と祈祷しました。
 このような霊的現象は今まで何度かありました。長崎市にある26聖人の前で還元祈願礼式を行った時にも、殉教者の霊がその婦人を通して次のように訴えてきました。「信仰を強く持ちなさい。私たちはどんな迫害にも耐えてきました。よく祈祷しなさい。伝道は隅々まで行きましたか? あそこにも、ここにもいますよ。こんな時、何をしていますか! どうして動かないのですか」。

 このメッセージを送ってくれた殉教者は今の摂理を知り、私たちがどのような立場に立っているかを知っています。私たちに深刻さがなく、責任を果たしていないことを嘆き、訴えているのです。

 食口の皆さん、このメッセージは全員が深刻に受け止めなければなりません。決して過ぎ去る話ではありません。

 長崎という地は、とてもクリスチャンの多い所です。もともと、長崎の歴史をたどれば、1550年7月、フランシスコ・ザビエルが平戸に宣教に来たのが始まりで、その後、数十万の人々がクリスチャンになりました。1587年、豊臣秀吉がバテレン追放令を出して受難の時代が始まり、1637年の島原の乱まで、数万のクリスチャンが殉教しました。また、一部は隠れキリシタンになっていきました。

 現在、長崎県内にキリスト教会が130あります。平戸は人口2万くらいの小さな島ですが、その中の代表的キリスト教会には、日曜日に子供も入れて約600人が礼拝に参加します。信仰が脈々と受け継がれてきた歴史の重みを感じさせられます。長崎にはほかにも、例えば朝6時からの早朝のミサを100年以上守り続けている教会があり、ある意味では私たちよりも深い信仰を持っていると感じます。

 私自身も日ごろ感じることですが、一つのことを何年もやり続けるには本物の信仰が必要です。真の父母様は朝5時からの訓読会を一年365日欠かさずなされていて、それを何年も続けておられることに敬服せざるを得ません。

 ところで12月25日、私たちが平戸のキリスト教会に行った時、「よう来た、よう来た」と訴えてくる殉教者の本当の願いは何でしょうか。また、26聖人が訴えてきた、そのメッセージの意味は何でしょうか。

 私たちは間違いなくキリスト教の使命を受け継ぎ、聖書の歴史で6000年続いた神の摂理の最終使命者だということです。しかし現実、統一教会は世界中にある数えきれないほどの宗教団体の中では、まだ弱小教団です。日本の中でも100万人以上の信者数を持つ教団はいくらでもあります。残念ながら、統一教会は大きくはありません。しかし、この教団に神様は摂理的最後の使命を託しておられるのです。私たちに選ばれるべき何か特別の条件があったのでしょうか? 皆さん、そのように思いますか?

 よく考えてみればみるほど、私たちには条件がないということがわかります。もともとクリスチャンであった人もわずかでしょう。あるいは一般社会で指導的立場に立っている人も多くはないでしょう。このようなことを考えるとき、次の聖句を思い出します。

 「しかし、わがしもべイスラエルよ、わたしの選んだヤコブ、わが友アブラハムの子孫よ、わたしは地の果から、あなたを連れてき、地のすみずみから、あなたを召して、あなたに言った、『あなたは、わたしのしもべ、わたしは、あなたを選んで捨てなかった』と。恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。見よ、あなたにむかって怒るものはみな、はじて、あわてふためき、あなたと争う者は滅びて無に帰する。あなたは、あなたと争う者を尋ねても見いださず、あなたと戦う者は消えうせる」(イザヤ書41章8〜12節)

 私たちはなぜ統一教会に導かれたのか、はっきりと知らなければなりません。それを私たちの中で明確にできなければ、さまざまな困難を乗り越えることはできません。

 私自身もかつて学生時代に導かれ、この道が本物かどうかはっきりとした神からの答えを知りたいと思い、深夜祈祷を続けたことがあります。毎晩午前零時から2時間、3時間、ある時は朝方まで、何日も何日も祈祷しました。初めのころは深い祈祷ができずに、気がついてみたら祈祷室で寝てしまったことが何度もありました。2週間くらい続けたある日、神様からの声がありました。「私があなたを選んだ。私があなたを立てた」。その瞬間、涙が止めどもなく流れ、その晩、眠ることができませんでした。

 今の時代は多くの困難を伴います。家族の犠牲、肉体的犠牲、そのほか多くの困難が私たちの目の前には横たわっています。しかし、私たちが周りの人々の声に影響されず、天からのメッセージ、神の声に従い、精誠の限りを尽くすとすれば、やがて内外共に必ず勝利することができます。

 人にはだれでも限界があります。愛の限界、祈りの限界、肉体の限界など、さまざまですが、限界を越えるときに神様と出会うものです。神様と出会った体験、すなわち神体験が多い人は信仰の根が深くなります。信仰の根が深い人ほどあらゆる困難が来ても倒れることなく乗り越えることができるのです。

 食口の皆さん、あなた方を召命された神様の愛を確信しながら前進邁進しましょう。そして霊界から訴えてくる殉教者や五大聖人をはじめ、絶対善霊と一つになってみ旨を成就しましょう。


posted by ffwpu at 09:57| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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