芳賀幸一
<2011 春季 牧会者説教集より>
信仰を出発する動機はいろいろあると思います。病気が治りたい、家庭問題やさまざまな問題を解決したい、そして真理を求め、メシヤを求めて来られた方もいると思います。
私は特に問題意識はありませんでしたが、このみ言を聞いて「これこそ真理だ」という確信を持てたので入教しました。そしてもう一つ、ここに来たら自分が変われると思ったからです。教会に来て強く感じた印象は、この人たちは輝いている、自信と確信を持っている、思いやりがあり愛がある、ということでした。
そして信仰を深めれば、私もあのようになれるかもしれないという希望でした。その思いが、家族に反対されても信仰を持つことのできた大きな力になりました。個人差もあると思いますが「自分を変えたい」という願望はだれにでもあると思います。そして努力すれば、間違いなく創造本然の自己に生まれ変わることができるのが、統一教会の信仰の道です。それが第一祝福である個性完成に至る第一歩です。
入教したときは3年もすれば個性完成ができると信じていました。しかし、現実はそんなに甘くはありませんでした。
素晴らしい原理のみ言があるし、み言の完成実体でいらっしゃる真の父母様がいらっしゃるわけですから、成長して完成できないことはないはずです。しかし、理論的には正しいとわかっても、そうできない自分がいるのです。まさにパウロがローマ人への手紙7章22〜24節で、「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」と嘆いたように、清くなろうとすればするほど、罪との葛藤で苦しむようになります。
そしてその闘いは、私たちだけでなく、私たちの先祖も同じような闘いをしてきたのです。仏教でいう「因果応報」を考えると、先祖が勝利してくれた点は私たちも勝利しやすくなりますが、先祖が勝利できなかった点は蕩減として残され加重されてくるので、私たちが勝利するのは容易ではないということになります。
例えば、先祖が苦しいときにいつも逃げてしまっていたら、子孫もすぐ逃げ出したくなります。先祖がどんなに苦しくても逃げないで勝利してきていれば、子孫も困難に負けない強さを持つようになります。私たちの先祖には素晴らしい先祖、功労を積んだ先祖がいるので導かれたわけですが、罪を犯した先祖もたくさんいます。そして罪を犯した先祖がいれば、私たちも我知らず、同じような罪を犯しやすくなります。
大母様は、「先祖を見ると、私と同じような人生を送った方がいます」と語られていますが、私たちの目に見えない力が働いていて、先祖と同じ繰り返しをさせようとしているのです。
そして罪の原点が人類始祖の堕落にあったわけです。ヨハネによる福音書8章44節にあるように、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪霊から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」ということになります。個人差はあっても、この罪の中でもがき苦しんでいるのが人類なのです。
では、この罪の因縁をいかにして変えることができるでしょうか。
お父様はみ言の中で、次のように語られています。
「このような歴史的な悪の結果としてもたらされた、その因縁の不純分子として生まれた私自身であることを発見したとすれば、もし神様がいらっしゃるなら、神様はどんな作戦をされるでしょうか。これを維持させる作戦ではなく、破壊させる作戦をされるのです。反対の道に、反対になる極の方向を経て生かす運動をせざるを得ないのです。このような結論が出てくるのです」
「私たち人間は、何をしなければならないのでしょうか。神様は原因的存在で、人間は結果的存在ですから、原因的存在のために生きなければならないのです。それで、『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』(マタイによる福音書22章37節)と言ったのです。逆になっているのです。それから、『生きんとする者は死に、死なんとする者は…て』と言います。では何の目的もなく死にますか。神様のために死のうとする人は生き、自分のために生きようとする人は死ぬというのです。それを知らなければなりません」
サタンと悪なる先祖から来た習慣性と逆の道を行かなければなりません。人間は自分の欲望のままに生きれば生きるほど、サタンの方向、悪い先祖と同じ方向に行ってしまいます。ですから自己を否定して、神様を中心として絶対信仰を持って生きることによって、悪い運命を良く変えることができるのです。そして最終的に祝福を受けて血統転換することによって、サタンとの血縁関係を切ることができるのです。
そして神の子として重生されることによって「あなたがたは自分の父、すなわち神様から出てきた者であって、神様の思いどおりを行っている」と言えるようになれたら最高です。
このようにして、今までサタンの罪の縄目で苦しんでいた私から解放されるのです。今まで悪い運命だと嘆いていた人が、最高に幸福な人生を送ることができるようになります。このことを先祖が願い、万民がどれほど願ってきたでしょうか。しかし、これは一朝一夕に成されるものではありません。毎日、神様と真の父母様に侍る信仰生活の積み重ねによって成されるものです。
この最高の救いの道を先駆けて歩めることに感謝し、日々復活、日々重生の道を歩んでいきましょう。