2015年05月16日

宇宙の根本原理

板谷安一.jpg宇宙の根本原理
統一教会
 板谷安一
 <2009 冬季 牧会者説教集より>

 「宇宙の根本原理」ということで、ひととき考えてみたいと思います。宇宙の根本は、神様と人間の父子の関係です。文鮮明先生が説かれた宇宙の根本は、「神様と人間が親子の関係である」ということです。真理の一番の中心が「親子関係」であり、このことが最も重要ではないかと思います。

 多くの人たちは、世の中を見ながら、神様がいるのに、なぜこのように不平等なことがたくさん起こるのだろうかと、理解できなくて、神様をののしっています。アフリカでは飢餓で多くの人が死に、戦争もあります。現実だけを見るなら不平等です。それを見て、「神などいるものか」と言う人はたくさんいます。
 文先生が発見された神様は、世界の65億の人たちすべての真なる親の立場に立ち、すでに霊界に行っているすべての人の親の立場に立っている方です。そのことを示す、文先生の次のようなお話があります。霊界で、ある人が神様に「天国に一緒に行きましょう」と言うと、神様は「天国に行けない」と言われます。「私が行きたいところは地獄の底だ」と神様は言われます。堕落のゆえに、地獄の底にいる神様の息子・娘を救うために、「地獄に行きたい」と言われるのです。このように、宇宙の根本は父子関係になっています。

 きょう、話したいのは授受法ということです。宇宙の根本原理の一番の中心は、授受法(授受作用)であるということです。

 すべての存在には、陽性と陰性があります。人間には男性と女性があります。心と体が一体化して、男性と女性が調和するなら、そこに神様が臨在され、すべての力が生まれます。そのようになった人間は、互いにために生き合うようになります。

 ために生きるとは、自分の事情を100パーセント捧げることです。ある人は、子供のために自分の事情を100パーセント捧げるでしょう。また、お父さんのために、あるいは夫のために、自分の事情を100パーセント捧げる人もいるでしょう。これが、ために生きるということです。結論的に言うと、自分の事情を100パーセント捧げる人を持っている人は、幸せな人です。それは伝道対象者かもしれません。

 100パーセント、自分の事情を捧げる対象を持っている人は、幸せな人です。なぜならば、私たち人間は、事情を100パーセント捧げるように創造されているからです。本来の人間の生き方がそのようになっているからです。ために生きるように創造されています。ために生きる存在がいる人は幸せな人です。逆に、ために生きる人がいない人は、なかなか幸せにはなれません。

 人間は愛に敏感です。だれもが愛されることを願っていますが、宇宙の法則として、愛を受けるための方法は一つです。愛を受けよう、受けようとしても、愛を受けることはできません。どうすれば愛が来るでしょうか。方法は一つです。ために生きることです。すなわち、愛を与えることです。これは宇宙の法則です。愛を与えれば、愛は来るようになっています。このことは、私たちが意識していかなければならないことです。ために生きることであり、愛を与えることです。ですから、自分の事情を100パーセント捧げる人をたくさん持っている人が幸せな人です。

 お父様の哲学は、四位基台哲学と言われます。世界会長は、「授受作用をして、四位基台をつくって、真の愛を相続します」ということをよく言われます。四位基台を造成できるかどうかによって、その人が幸せになれるかどうかが決まります。四位基台には、個体的四位基台、家庭的四位基台、主管的四位基台があります。人生が豊かになるかどうかということも決まります。

 授受法は宇宙の根本法則です。すべての力は、授受法(授受作用)という法則によらずして、発生することができません。

 生きる力とかやる気というのも、授受作用から発生します。この法則によると、力は単独では出ません。これは重要なことです。自殺者が出るのは、授受作用をすることができないからです。無気力になるのは、本当の意味で愛してくれる人と出会えていないからであり、本当の意味で愛する人がいないからです。愛し、愛されることによって、力が出ます。

 無気力や自殺の原因は、愛し愛される関係がないことです。“群衆の中の孤独” という言葉がありますが、そのようになると、力が出ず、心からの交わりもできません。信仰生活の中で、そのような課題を解決する努力をしていく必要があります。このような問題が解決していくなら、それは神様の喜びです。そのために統一教会があると言っても過言ではありません。そのために、文先生がいらっしゃいます。

 人は、さまざまな悩み事を持っています。解決できないと思っている悩みもあります。皆さんに悩みがあっても、周りにもっと悩んでいる人がいるなら、相談に乗ってあげて、「私は、このような人生を送ってきました。小さい時から、小学校、中学校、高校と、このような人生を送ってきて、このように努力して解決してきました」と言って、3人の問題を解決してあげたら、自分の問題は解決するでしょう。霊界が解決します。

 私たちは、自分の人生を“為に生きる” ために使うべきです。

 生まれつき盲人の人がいたとします。そのことをのろって死ぬ人もいるでしょう。生まれつき目が見えない人は、その人だけでなく、ほかにもたくさんいます。その気持ちがわかるのは、目が見えない人しかいません。目が見えないけれども幸せな人生を送っている人がいたなら、その人の存在はかけがえのない意味を持ちます。それは、自分の人生の一つの使い方です。

 自分を愛してくれた人を思い浮かべてください。その背後には、神様がいらっしゃり、真の父母様がいらっしゃいます。神様と真の父母様に喜びをお返しすることのできる、この一週間を送りたいと思います。


posted by ffwpu at 10:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする