2015年05月09日

主の訓練を受けてこそ我々は成長し完成する

小笠原康浩.jpg統一教会
 小笠原康浩
 <2009 春季 牧会者説教集より>

聖書訓読:
 「また、子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、『わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである』。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい」
(ヘブル人への手紙第12 章5〜15 節)

 統一原理の偉大さの一つが「成長して完成する」という原理です。そして、万物と人間では成長して完成するまでの違いがあります。万物は自然の力で成長して完成しますが、人間は自然の力、プラス何ですか? 人間の責任分担です。人間は責任を果たしながら成長して完成するということです。ですから、人間は責任を果たさなければ成長も完成もしないのです。

 このような考え方は、どんな宗教にもありません。キリスト教にも仏教にも儒教にもないのです。お父様が発見したのです。偉大な原理です。成長期間は一気に完成ではなく、何段ありますか? 蘇生、長成、完成の三段階です。

 人間は肉身と霊人体があります。肉身は万物ですから、自然の力で成長し完成しますが、霊人体は責任を果たしてこそ成長し完成します。蘇生期は「旧約の信仰」で、「してはいけない」というみ言を実践して成長します。長成期は「新約の信仰」で、「こうしなさい」というみ言を実践して成長します。完成期は「こうなりなさい」というみ言を実践して成長し完成します。蘇生期を完成した霊人体を霊形体といい、長成期を完成した霊人体を生命体といい、完成期を完成した霊人体を生霊体といいます。完成した霊人体、生霊体で夫婦が一つになってこそ天国に行きます。

 完成した人間が天国人となり、その人の心が天国です。真の愛で完成した人の心が永遠の天国です。ですから、私たちは成長して完成しなければなりません。

 きょうは天気が良くて気分がいいとか、きょうは雨で気分が悪いとか、良いことがあったから気分がいい、悪いことがあったから気分が悪いと、それで終わってはいけないのです。私たちの価値観は、いかに私が成長でき、完成できるかでなくてはなりません。悪いことがあっても私の成長と完成にプラスになれば、それは良いことでしょう? すべてが自分の成長と完成のためにあるのだと考えれば、悪いことなど何もありません。

 私たちは悪いことがあれば落ち込み、良いことがあったら喜んで、それで終わってしまいがちです。そこには成長して完成するという原理観がないのです。だから、病気が治れば喜び、事故に遭えば悲しみ、商売がうまくいけば喜び、夫婦がうまくいかなければ悲しむ。その次元の信仰が、ご利益信仰と言われるものです。ご利益が悪いというのではなく、それだけでは意味がないのです。成長してこそ問題が解決するのです。成長は考えない、問題さえ解決されればそれでいいというのが堕落人間の考えです。成長して完成するという考えがないのです。

 我々は訓練を受けなければなりません。お父様のみ言に「教会は天国生活の訓練所である」というのがあります。教会は天国生活の訓練所ですから、我々は教会で訓練を受けなくては天国人になれないし、天国に行けません。その訓練は軽い訓練でよいのでしょうか?

 厳しい訓練が良いのでしょうか?

 日本の女子バレーが東京オリンピックで金メダルを取りました。バレーボールは背が高いほうが断然有利です。日本はいちばん背が低いにもかかわらず、優勝しました。決勝戦はソ連対日本でした。日本人はソ連の選手の胸ぐらいしかないのです。勝った要因は何でしょうか? それは激しい練習です。我々で言えば訓練です。当時、大松博文監督という有名な鬼監督が、本当に死ぬほどの訓練をしました。その訓練に日本の選手はみなついていったのです。不平不満があったでしょうか? 挫折があったでしょうか? 逃げたいという思いがあったでしょうか? そうであれば、優勝できるはずがありません。彼女たちは、鬼の大松監督の地獄の訓練を克服したのです。

 何かを成し遂げるためにはそうでなければできません。お父様は大松監督の比ではありません。私たちをどこに導いてくれるのでしょうか? 何もしないで金メダルをつかむことができますか? 何もしないで成功することがあるでしょうか?

 私たちは永遠の幸福を手に入れるには成長し完成しなければなりません。生霊体にならなければなりません。そのためには訓練を受けなければなりません。だれが訓練してくれますか? どうしたら完成できるのかを知っている方でなければ指導できません。その方が神様と真の父母様です。 聖書のヘブル人への手紙第12 章5節〜5 節を拝読します。(聖書参照)

 主に訓練されなければならないのです。主はどのように私たちを訓練してくれるのでしょう? 私たちに与えられる環境はすべて神様が与えてくださる環境です。神様はいろいろな環境を私たちに与えて訓練されます。

 お父様の路程では「興南の路程」がありました。神様は興南という環境をお父様に与えたのです。私たちの環境は、私たちを訓練される神様が見守る環境です。そこで激しい訓練を受けなければなりません。神様は憎くて訓練するのではありません。私たちは成長して完成しなければ幸福にはなれないのです。堕落人間はごまかして、楽をして幸福になれる方法はないかと考えるのです。不正をしてでも幸福になろうとします。しかし、それでは永遠の幸福は得ることができません。神様と真の父母様の訓練で成長し完成しなければ、永遠の幸福には至れません。責任分担を果たしながら成長して完成してこそ永遠の幸福に至れるのです。

 では、どんな訓練がいちばん成長して完成する早道でしょうか? それが伝道です。伝道は簡単には勝利できません。伝道するためには徹底して対象者を愛していかなければなりません。私たちの愛の訓練です。3人伝道したということは、3人を命懸けで愛した結果です。伝道は簡単にはできません。信仰の勝利、愛の勝利なくして、簡単にできることではありません。ですから、12 人伝道した人は、12 人を命懸けで愛した人だという証拠です。

 成長して完成するわけですが、どの方向にどうやって完成するかの基準は真の父母様です。私たちの目標は真の父母様です。「子は親のするようにするするものだ」というように、真の父母様に似るために、私たちは氏族的メシヤ活動をするのです。真の父母様の勝利圏を相続する道が氏族的メシヤを勝利することです。メシヤの道が真の父母様の道ですから、氏族的メシヤの道が真の父母様に似るための道なのです。それは結局、伝道を勝利することです。お父様のようにまず3家庭を立て、12 家庭、36 家庭から430 家庭まで勝利していきましょう。まずは3家庭です。


posted by ffwpu at 14:16| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする