藤田敬三
<2011 春季 牧会者説教集>
訓読:天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会のみ言から
「皆様、真の父母様は、すでに人類のための遺言を準備し、残しました。一生に6度、7度も生死を行き来する獄苦を経ながらも勝利し、準備した遺言です。永遠なる人類の教材、教本として8種類の本を残しました。冊数としては1000冊を超える分量です。『文鮮明先生み言選集』、『原理講論』、『天聖経』、『家庭盟誓』、『平和神經』、『天国を開く門 真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』、以上の8種類の書籍です。これらの教本は、皆様が霊界に入っていっても読み、学ばなければならない本です。決して人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。天がかわいそうな人類を救援するために下さった天道を教える教本だからです。
皆様は、今からまず皆様の家庭から上記に列挙した教材・教本を中心として訓読会の伝統を立てなければなりません。一つの家族三代が新しい一日を始めるに当たって、まず天のみ言を訓読し、新しい心で訓読の人生を実践する伝統を立てなさいというのです。霊界と肉界が同時に真の父母様に侍り、同じ天道のみ言を毎日訓読する世の中をつくろうということです。このようになれば、いくらサタンが皆様の血統に乗じて蠢動するとしても、訓読会の伝統の前では立つ場がなくなるのです。
正午定着的基準で影のない人生を生きていくそのような家庭に、神様の祝福が下らないとすれば、だれに下さるというのでしょうか。このような天の家庭がこの地に満ちるとき、この地球星は自動的に『One Family Under God』のみ旨が完成した地上・天上天国となるでしょう」
「ここまで来れば、『一人の人間として、万人の祝福の中で自らの人生を振り返り、満足して余生を楽しむ資格がある』と称えることでしょう。『あらゆる重荷をすべて下ろして、もう思い残すことなく“人生90年の成功”を誇って暮らしなさい』と言うでしょう。しかし、私たち夫婦の生涯は、世俗的な目で見るそのような次元の人生ではありません。人類の縦的真の父母であられる神様の印を受け、実体真の父母の使命を完遂しなければならない私たち夫婦は、今、実体の天一国完成までの最後の3年を残し、いつの時よりも深刻な日々を生きています」
きのう(2010年12月4日)、韓国・ソウルにおいて天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会が行われました。真のお父様は、天一国創建の日、神の国実現の日が必ずやってくる、必ず成ると宣言されました。準備はすべて整い、あとは私たちが責任を果たすだけだと語られました。
「天一国」をもう少し具体的に話せば、キリスト教がローマの国教になりましたが、400年の大迫害の時代は、クリスチャンたちは信仰を表に出すことができず、礼拝も地下の墓地の一画、いわゆる「地下墓地」で集会をしていました。
何年か前、その場所を見学に行った時にはびっくりしました。洞穴をくぐり抜けると、広くなった空間がありますが、そこに通じる坑道にはいくつもの横穴があって、そこに棺があるのです。まさに墓地の中を通り過ぎると、広い空間があるのですが、そこで礼拝をしていたのです。今はその上に記念教会が建っています。そのような所で礼拝をせざるを得ず、クリスチャンというだけで迫害され、人権が認められず差別されていたのです。
しかし、ローマ帝国は退廃し、奢侈に流れていきました。社会の風潮がだんだんと悪くなり、世の中の道徳が乱れるような中で、クリスチャンたちは、質素・倹約・真面目・正直に信仰生活をして、そのことが目立つようになり、見直されるようになりました。ついに313年、コンスタンチヌス大帝によってキリスト教が公認されました。クリスチャンたちの信仰が認められ、公認されたのです。そして、堂々と礼拝ができるようになりました。キリスト教信者であるということがむしろ誇りになったのです。そして、さらにテオドウス一世によって国教になるのです。具体的には政治的な統治者がいるのですが、その王も法王の前にひざまずき、法王が国王を祝福しました。そのようにして国教になっていきました。
これが、私たちが目指している「天一国」です。国を指導する心の役割を私たちの教会がしていくわけです。その前にどうしても一つの門を通って行かなければなりません。それが公認ということです。認知されることです。私たちの行っている統一運動が、天一国創健に向かって乗り越え勝利しなければならない内容であることがわかるならば、先頭を切って歩みたいという現象、行動が起きてくるというのです。
きのうの韓国・ソウル大会は、11月22日のワシントン・ニューヨーク大会、27日のラスベガス・フーバーダム大会に続き3度目ですが、この時のみ言は、以前のみ言に指示事項をプラスして語られました。お父様は、90歳を超えて、ここまで来れば「一人の人間として、万人の祝福の中で自らの人生を振り返り、満足して余生を楽しむ資格がある」、また「あらゆる重荷をすべて下ろして、もう思い残すことなく『人生90年の成功』を誇って暮らしなさい」という立場であるけれども、しかし私は、「いつの時よりも深刻な日々を生きています」言われるのです。
「Dデー」までわずかしか残っていないということが、み言の最初の部分に書いてあって、このみ言が決意・宣言文のような内容の文章から始まっています。私たちが信じる再臨のメシヤ、真の父母様がそのように歩んでいらっしゃるので、私たちも当然、毎日が忙しいのです。安らかな人はいないと思うのですが、深刻な人はどのくらいいるでしょうか。天のことを心配し、真の父母様のことを心配し、また、目的・作戦・行動の一致が一体化の道ですから、私たちの教会は今、何の目的で、どのような方向に向かっているのか。そのようなことに関心を持ってください。中心的な立場で責任を持って歩んでいらっしゃる方においては深刻です。
きょうの結論ですけれども、私たちが訓読会の伝統に立つ者になれば、きょうの訓読のみ言のように、「このようになれば、いくらサタンが蠢動するとしても、訓読会の伝統の場では立つ場がなくなるのです」。すなわち、私たちは生まれながらにして原罪を持っています。祝福によって原罪は清算されました。しかし、信仰生活を通して自犯罪は犯さなくなったとしても、遺伝的罪と連帯罪が残っています。これを興進様と大母様が清平の役事でもって清算しようとしてくださっていますけれども、完全にはなくなっていないのです。
次は連帯罪です。李舜臣将軍の話になりますが、1590年代に日本では文録・慶長の役、韓国では壬辰倭乱が勃発しました。豊臣秀吉の出兵によって多くの韓国人が犠牲になったのですが、その時、日本では茶道に使う茶碗が貴重な宝だったのですが、韓国では先祖祭祀に使う特別な器だったのです。その器を秀吉に持ち帰ったところ喜ばれたので、たくさん持ち帰りました。貴い器をそのように使われることは、韓国人にとっては侮辱されたようなものです。陶器を作る職人や、最後には儒学者まで拉致して連れ帰りました。
その時の韓国軍は李舜臣将軍が出てくるまでは連戦連敗で、王様は漢城(現在のソウル)や平壌まで捨て、さらに義州まで逃げて行きました。李舜臣将軍は海戦において連戦連勝しましたが、その時、最初に闘った相手が藤堂高虎でした。私たちと関係の深い人物が出てきた瞬間に、私たちに連帯罪が存在するとはっきりわかります。私たちは日本人というだけで連帯罪があります。
サタンが蠢動するきっかけがあれば、中間位置にいる私たちは、間違いなく、サタンの側に行きます。逆に、善なる精誠条件を立てれば、神側に行きます。私たちが精誠条件を捧げて神側にいるということを確認した立場で、み言と真の愛をカイン圏に伝えに行くこと、これが伝道であり、自然屈伏の内容です。そのようにして最終的に正午定着、影のない人生、そして罪悪のかけらもない真の愛の発光体になっていく私たちに必要な内容が、「訓読会の伝統に立つ者になりましょう」ということです。厳密に言えば、「訓読会の伝統に立つ家庭になりましょう」ということです。その家庭は三代の家庭が望ましいということです。それが天の願いです。個人の段階で「私が精誠条件を捧げています」ではないのです。
私たちが一つになって、目的・作戦・行動を一つにすることによって神様の業が目に見える形で現れるこの一週間です。サタンの業は分裂です。分裂は自滅です。私たちは一つになって、天運があり、生命と希望にあふれる教会となって、今週一週間頑張っていきたいと思います。