2015年03月28日

一途に従い行きましょう!

統一教会
對馬 豊
<2011 秋季 牧会者説教集 P.72~77>

訓読:『原理講論』第1章「創造原理」 第3節創造目的 「神の喜びのための善の対象」から

 きょうの説教の題は、「一途に従い行きましょう!」です。

 今、毎日朝の伝道出発式前の9時40分から10時までの20分間、原理講義をしています。その中で、「これは、皆と分かち合い、確認しなければ」と思わされた部分がありましたので、きょうはその内容を中心として、お話ししたいと思います。鍵になる言葉を黒板に書きますので、皆さんも書き留めてくださればと思います。

 初めに、『原理講論』を訓読します。第1章創造原理、第3節創造目的の(2)「神の喜びのための善の対象」から、3色刷りでいえば、黄色の部分からになります。(以下、訓読しながら鍵になる言葉を黒板に板書)

 皆様、どう思われますか? 「個性を完成した人間は、神の宮となって、神と一体となるので、神性を持つようになる」。これは、メシヤのことを証しているのであり、真の父母様のことを言っているのではありませんか? 一体、今まで誰が「完成した人間はこれこれ、こういう方です」と説明した人があったでしょうか? 高い所からは、低い所が全部見えるのに対して、低い所からは高い所の一部分しか見えないものですね。だから、完成した人間を説明できるのは、完成した方しかいらっしゃらないのです。

 特に最初のこの三つは、イエス様が既に語られた内容でした。「神の宮」は「この神殿をこわしたら、わたしは3日のうちに、それを建てるあろう」と、十字架の死後3日目に復活されることを、ご自身を神殿、つまり神の宮に例えながら語られたことが分かります。

 「神と一体」に関しても、弟子が「主よ、わたしたちに父(神)を示して下さい」とお願いしたのに対して、「私を見た者は、父を見たのである」と答えられて、ご自身が神様と一体であることを示されました。「神性」を持つようになるには、本当に立派に生きた人を見れば、人間はやっぱりとても偉大な存在だと感じますね。例えば、マザー・テレサの生涯を知れば、神々しく生きた方ではないでしょうか。神々しくは、「かみ・かみ・しく」と書きますが、完成に近づいている人を見れば、本当に神様を感じますね。

 次の部分に移りますと、「神の心情を体恤することによって、神のみ旨を知り、そのみ旨に従って生活するようになる」です。「神の心情」について、初めて語られたのが、真のお父様です。ちょうど2000年前、イエス様が「神と人間は親子だ」、「神様は私の親だ」と宣言することを通して、祭司長や律法学者などによって「神を冒ぼう瀆とくする者」、「異端
者」として追い詰められて殺されたのと全く同じく、真のお父様も「子供を失って悲嘆にくれる、かわいそうな神様」、「愛しても報われることのなかった孤独な、涙の切れるいとまのなかった神様」として神様を紹介することで、「神を冒瀆する者」、「異端者」として迫害を受け、6度の牢獄の道を歩まれたのでした。

 ところで皆様、真のお父様は、その初めから、「もし、この真理を発表すれば、世界中が反対し、自分の人生がめちゃくちゃになる」と、ご存じであり、それを覚悟して、この道を出発されたのだということを知っていましたか? 1975年の日本武道館での講演の最後に、そのことを語っていらっしゃいます。真のお父様が、神様に尋ねられて、「ほかに道はないのですか?」。(神様)「誰かがやらなければいけない。誰かが……」。「それで、その道を志して、数十年。……誰が落胆するでしょうか! その時の心は、年が過ぎ、しわが増え、髪の毛が白くなっても、変わりません」。すさまじいまでの決意を持って、この道を出発されたお父様でした。

 ある先輩食口が、真のお父様に尋ねたそうです。「なぜ、こんなにも反対され、迫害を受け、牢屋にまで入りながらも、この道を行くのですか?」と。それに対しての、真のお父様の答えは、「私は、神様の涙を見てしまったのだ」だったそうです。「神の心情を知った」という、そのことのゆえに、絶対に引き下がることはできない。死をも我が行く道を塞ぐことはできないという強い誓いの心。しかし、イエス様のように、最善を尽くしながらも、死んではいけない。それで、「我は、不具になってもかまいません。命一つだけは残してください」と祈られたお父様だったと聞いたことがあります。

 そのように、神様のご心情を、歴史上初めて、人類に紹介した方が、真のお父様でした。天地創造の時に感じた、希望の心情。人類誕生の時、そしてアダムとエバが純真無垢に成長し、美しく輝いていた時に感じた喜びの心情。しかし、その愛が裏切りに遭い、夢と希望とが無残にも奪われた時に感じた衝撃! その悲しみの心情。信じることのできない堕落人間を相手にしながら、気の遠くなる歳月、いつ実現するという保証もない救いの摂理のために、報いのない愛をひたすらに投入し続けなければならないという苦痛の心情。「かわいそうな神様を解放しなければならない!」。これが、真のお父様の原点になっているわけです。

 私たちは、その真の父母様の弟子であり、(カインの)子女ですから、次元は違っても、相通じる動機の原点を持つべきです。私たちも、神様との深い心情因縁のゆえに、絶対にそのお方を裏切ることは、死んでもできない! そのような関係をいかに持つか。そのための最高の教材として、以前お渡しした「李イ 相サン軒ホン先生の21日間断食の証」があります。私も祈りながら、神様の心情を尋ねて、身もだえして格闘しました。その時に出会った私の神様! 感じた神様の心情の世界について説明すれば、その日がきのうのようです。今でも、その思いがよみがえって、涙が出てきます。

 例えば、年老いたノアじいさんが、誰一人として理解者もなく、家族までも心からの協助者・同参者でない中で、重い丸太を、山から切り出して、玉の汗を流しながら、「フーフー」言いながら引きずり歩くその孤独でみじめな姿。そして、それをご覧になりながら、「かわいそうなノアよ。すまない! しかし、私の声を聞くことができたのは、お前たった一人だったのだ! 頑張ってくれ!」と、涙を流して、信仰を全うすることを祈っていらっしゃった神様でした。

 次に、「神のみ旨を知り、それに従って生活する」です。例えば、現在、世界に20億人以上のクリスチャンがいますが、「神のみ旨」は何ですかと聞いても、明確に答えられる人は多分一人もいないでしょう。一緒に考えてみてください。クリスチャンはイエス様の再臨を信じています。キリスト教神学によれば、イエス様は十字架でその使命を全うして昇天されたとなっています。では、成すべきことをすべて成したのに、何のためにわざわざまた来るのかというのです。

 キリスト教から復帰されてきた兄弟がいたので、そのことを質問してみました。「イエス様は、何のために再び来られるとクリスチャンたちは信じているのですか?」。「最後の審判をするためかなあ?」と彼は答えました。最後の審判は知っていますよね。イエスを信じて亡くなった人たちが墓からよみがえり、信じている人たちと共に空中に引き上げられ、永遠に天国で暮らし、それ以外の人たちは、永遠の火の刑罰を受けるようになるというものです。そんなことをするために来られるなら、来ないほうがいいぐらいじゃないですか? 神様は、そんなことをされる方ではありません!

 私たちは「神のみ旨」を明確に知っていますよね? それは地上・天上天国実現であり、全霊界までも含めた全人類の救済ですね。つまり、全人類の祝福完了と、神主権の国の実現ということになります。理想家庭を取り戻し、創造理想を成し遂げる。それが「神のみ旨」です。

 それでは最後に、次のページの黄色い部分を訓読します。「個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ『犯罪行為をすることができなくなる』ので、絶対に堕落することがない」です。

 皆様、神様が共に住んでいらっしゃる真の父母様です。そのお方のみ言が真理であり、そのお方が善の本体であり、善の絶対基準です。そのお方がなされることは、すべて善だというのです。

 一つ、最近の例を挙げましょう。アフリカ・ナイジェリアにおいて、現職の大統領が、就任後最初の正式的国賓として真の父母様を招待して大会が行われました。本当に素晴らしいことでした。

 大会の翌日、朝の訓読会の時間に、お父様のみ言が長く続き、「もう飛行機に間に合わなくなってしまう!」ということで、文亨進世界会長が、訓読会が終わったと言って、「神様王権樹立勝利億万歳!」をし始めたそうです。お父様はそれを叱られ、ついには叩かれたとも聞いています。

 皆様、どう思われますか? 真のお父様にとっては、これが最後になるかもしれないアフリカ巡回です。飛行機に乗り遅れることよりも、アフリカのメンバーにもっと与え続けたいと思われたのではないでしょうか? つまり、神様が、訓読会を続けることを願っておられたのです。「でも、飛行機に乗り遅れたら、困るじゃないですか」と思いますか? 飛行機が何かのトラブルで、出発が遅れるということはよくあることではないですか。神様を信じるように、真の父母様を信じて、ゆだねる世界が求められていると思います。

 かつて真のお父様は言われました。「私は、罪を犯したことがない」と。そうです。真の父母様は、私たちのような者が測ったり、判断したり、ましてや批判するなどということのできるお方ではないのです。それはまるで、30センチの物差しで地球の大きさを測ろうとすることにも似て、無理なことであり、本当に愚かなことだというのです。そこに「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」が必要になるわけです。

 では、「絶対」とはどういうことでしょうか? 何があっても変わらないということですね。環境や人によって、変わらないということです。どんな試練があっても、現状が厳しくても、人から褒められても、無視されても、です。

 日本にはいい言葉があります。「一途に」という言葉です。皆様、父母様を信じたのですね。信じている、それ以上の境地だと思います。ちょうど、自分の両親を、親であると信じているのではなく、愛の因縁のゆえに、当然そうであると強い絆によって結ばれている、そのような関係かもしれません。一旦、信じたのであれば、「一途に」信じ、従うべきではないでしょうか。「一途に」「ひたむきに」従い行くことを通して、エバが真の夫だけを見つめて行くべきだったのに「脇見」をして失敗してしまった、その失敗も蕩減復帰されていくと信じます。真の父母様に、「一途に従い行きましょう!」アージュ。


posted by ffwpu at 10:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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