2015年03月14日

神様の最高の贈り物

田中敏明.jpg統一教会
 田中敏明
 <2012 春季 牧会者説教集 P.87~95>

訓読 :『天聖経 』「祝福家庭 祝福の意義 」P1332〜1334
 「先生が生涯で最も貴いと考えたものとは何でしょうか。祝福です。皆さんにとっても、人類歴史始まって以来、最高の贈り物は、祝福です。

 今日、皆さんは、まだ真の父母と完全な因縁を結ぶことができないでいます。ですから、その因縁を結んであげるためにしてあげるのが、統一教会の祝福です。

 祝福を受けた人は、霊界に行っても先生が永遠に責任を負います。先生が主管して指導します。祝福とは、このように先生と永遠の因縁を結ぶものでもあります。

 祝福をしてあげるということは、天の全権を委譲してあげることを意味します。

 祝福は、天国の門を開くことであり、天国は、子女をもって家庭が入っていく所です。

 祝福とは、永遠の宝物です。子孫万代を今から出発するという、一つの契約です。ですから、それを汚す時には一族が関係します。イエス様を十字架につけることによって、一国家が関連することになったように、一族に連結されます。

 祝福とは、歴史が追求してきた万民解放の門を開く鍵なのです。

 祝福を受けるということは、とてつもない事実です。祝福を受けた人は、神様の代わりに『私が定めれば、天宙も定める』という心で、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が備わってこそ、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。

 神様の祝福は、絶対的に公的なものです。その祝福は、ある個人だけのためのものではなく、またある家庭だけの、ある国家だけの、ある世界だけのためのものではありません。神様の祝福は、宇宙全体のためのものです。

 『祝福』という言葉は、福を祈るということです。祝願するの『祝』という字です。福を祈るのに、どんな福が一番貴いのでしょうか。愛の福が一番貴いのです。統一教会は、そのような意味で『祝福』という言葉を使うのです。一番貴いもの、宇宙の公約を代表した一番核心的な起源が、男性と女性が結合するところから始まるので、その祝福が一番偉大だというのです。

 その偉大なものが福を祈れば最高の福になるので、統一教会では結婚式を『祝福』と言います。初めて来た人々は、こういうことを知らなければなりません。統一教会で『祝福を受けた』というのは、今日この世で『福を受けた』というのとは違います。神様の立ち会いのもとに、真の父母を通じて結婚式をしてもらったということです。

 今、あのイギリスの王室にある530.2カラットのダイヤモンドは、昔アフリカでは石ころの扱いを受けていたのです。ダイヤモンドが世界で最も貴い宝石になることを、誰が知っていたかというのです。きらきら光るのを見て、単なるガラスの塊だと思っていたのではありませんか。

 全く同じです。この貴い祝福を受けたことは受けたのですが、これがダイヤモンドであるにもかかわらず、単なるガラスだと考えているのです。何も知らずにいたのが、先生から話を聞いてから『ああ! 貴いんだな』と言っているのです。

 祝福の中で一番重要なものとは何でしょうか。お金ではありません。名誉でもありません。いかなる権力でもありません。息子、娘が栄えていくことです。

 皆さんがそれを知らなければなりません。祝福の中で一番良い福とは何でしょうか。息子、娘が天の愛を受けることができるように生まれることです。それは立派に生まれることです。

 すると、どうなるのでしょうか。その息子が私より神様の愛をたくさん受ければ、恩恵を受けるようになります。そうではありませんか。山の谷間の向こうからこのように下りてきた電線のようなもの、この送電線のようなものを見れば、伸びていますが、ここでぎゅっと引っ張ればピンと張るのです。同じように、子供が天の愛をたくさん受けるようになれば、私がそれだけ落ちたとしても、ぐいっと上がることができるのです。恵みを受けるのです。 祝福の場に参加する人がいるならば、彼はただそのまま一人の男性、あるいは一人の女性という立場で参席してはいけません。その場は、今まで6000年間この世に来ては逝った数多くの男性、あるいは数多くの女性を代表した場です。その場に皆さんが招請を受けたという認識をもたなければなりません。皆さんは、そういう事実を、内情的な心情で体恤しなければなりません。

 祝福が成される今の時は、どのような時でしょうか。今は、神様の願いが成される最高の時であり、6000年間苦労してきた神様の恨が終わる時であり、この地へ来られ、御苦労された神様の息子、すなわちイエス様の願いが成される時です。それだけでなく、人間が創世以後、初めての愛が始まる時であり、万物の歓喜と尊貴と栄光を受けることができる時です。神様にとっても、この日がどれほど良いでしょうか。罪悪がみな消え、光明の太陽が昇った明るい天地を迎える日、全ての自然が和動し、全ての万象が踊る明るい朝、勝利の朝を迎える日です。

 先生は今、現実はこうですが、後日、先生が祝福した者の中から最後に残った一人が、世界的な人的資本として残り、栄光を受けることを希望して生きています」


 いよいよ2011年を閉じて、2012年に向けて出発しようとする時です。2011年をどのように終えて、2012年をどのように出発していくのか、そこが焦点です。

 私たちには、さまざまなことが起こります。お父様がいつ霊界に行かれるか分かりません。分からないけれど、必ずそういう一日が来るでしょう。その時に、「お父様が生きておられたら、こうしておけばよかった」「あのようにしておけばよかった」と、そういう悔恨の言葉を語る愚かな者になることがないようにしないといけません。
 私たちは自分の命がどこまでもつでしょうか。これは分からないでしょう。「私は永遠に生きる」という人、いますか? 肉身は寿命が来てその使命を終え、霊人体はそう遠くない将来、必ず霊界に行きます。土でできたものは土に帰る。天から来たものは天に帰る。その時に、「あのようにしておけばよかった……」と言うことがないようにしなければなりません。

 2011年を閉じて、いよいよ2012年が始まるというのです。Dデーは2013年の1月13日です。しかし、2013年は13日しかないので、実質的には2012年が勝負です。「2013年に入ったら頑張ろう」と言うわけにはいきません。

 では、何をどのように勝負をしていくのか。お父様が霊界に行かれたとしても、私たちが、統一家の伝統、統一教会の伝統、統一教会人としての伝統、祝福の伝統をいかに守るのか。いかに立て、いかに守るか。子々孫々、永遠に持続していく基台をいかに立てることができるかということです。

 例えば、礼拝があります。礼拝は、神様に礼拝を尽くす。本来、韓国では、3日前から特別にお祈りする婦人の基台があります。その方たちが3日前から礼拝の準備をされるのです。

 それで、礼拝は神様と出会う場所です。心と体の整備・準備をして礼拝を迎えるのです。「霊とまこととをもって父を拝する時が来る」と聖書にあります。それが今です。礼拝は、心霊と真理のみ言を中心として準備されます。この場は、心霊に満ち、真理のみ言が語られていく場所なのです。

 ですから言葉だけはないのです。言葉だけならDVDで見ればよいのです。言葉だけなら、文字でよいのです。この場に参席するには、いろいろな事情があるでしょう。しかし、あらゆる事情を超えて礼拝を守るのです。朝の訓読会を守る、公的集会を守る、あらゆる事情を超えて、その場に同参させていただく。そこに精誠があるのです。

 その精誠は天が取られるでしょう。だから「話を聞きました」というのと、その場に同参して直接み言を頂くのとでは、受ける心霊的恩恵と真理の恩恵の基準が違うのです。「こんな話だったのよ」と聞いて受けるレベルとは、全く違います。

 かつてお母様が日本に来てくださった時、「礼拝は何度でも行ったらよい」とおっしゃいました。今、世界会長もそのようにされています。ですから、この礼拝は8時から始めています。

 皆さんは礼拝はできるだけ前で受けようという意識をお持ちでしょうか。本来、礼拝の始まる前、遅くとも15分前には来て、祈りをもって礼拝に備えるべきです。そのことによって受ける恩恵は大きいのです。備えある者は生きるのです。そういうことを、今、非常に感じさせられます。

 人間に託された5パーセントという問題があります。神様だけでみ旨は成就できないのです。神様のみ旨は、唯一・絶対・永遠・不変です。しかし、み旨が成就できるかどうかは相対的です。神様の責任分担と人間の責任分担があるのです。人間は責任分担を果たすことによって、神様の創造性と万物世界に対する主管性が与えられます。神様は、人間に万物の主管主という立場を与えるため、祝福を与えるために責任分担を与えられたのです。動物がビルを造ったとか、線路を敷いたという話は聞いたことがありません。人間は、今は宇宙にまで行く時代です。これからは陸地よりももっと広い海へも行くでしょうし、宇宙へも行くのです。活動圏がさらに広くなっていくでしょう。

 ある先輩が「堕落したとはいえ、人間も創造性がありますね」とお父様に質問しました。「ありますよ。しかしそれは神様の創造性ではない」とお父様がおっしゃったそうです。では、神の創造性とはどのようなものでしょうか。少なくとも、人間よりもはるかに高いでしょう。

 頭脳を100パーセント使っている人はいるでしょうか。何パーセント使っているでしょうか。この頭脳がフル稼働したら、このようなものではありません。人間が持っている頭脳が本格的に活動を始めたら、人間はこのようなものではないのです。なぜでしょう。人間は神の息子、娘であり、神様の威厳を表すものだからです。無限の可能性がなければなりません。

 三大祝福と言います。神様を中心とした個性完成、神様を中心とした家庭完成、神様を中心とした万物主管の完成。四大心情圏、三大王権復帰完成。このみ言に希望を持って、この道に来たのではないでしょうか。では、希望を持って来たその道を、私たちはいつ成就しますか、成就できますか。 

 神様は、自分の元にみんな帰ってきてほしい。全員が帰ってきてほしいのです。しかし、人間には託された5パーセントの責任分担があるのです。ですから自らの主体的な意志によって、自らが決定し、自らが責任を持って、真の父母を通して神の元に帰っていかなければならないのです。神様は、今も人間に責任分担を託しておられます。ですから最後は、自分の意志によって覚醒していかなければなりません。自分の意志によって確定し、責任を持っていくべき時を迎えました。今はそういう段階に入っています。全員が帰って来られるようにしなければなりません。真の父母を信じる者は救われて、信じない者は救われなくてもいいと思えますか? 思えません。全員が、真の父母の恩恵を受けてほしいと思います。

 私に関わる全ての方々が、真の父母様の恩恵を受けていただきたいのです。どのようにして、私に関わるあらゆる方々に、真の父母様のお名前とみ言と業績を伝えていきますか? どのように伝えますか? 簡単ではありません。

 真の父母様の最大の恩賜、恩恵は祝福です。真の父母様にお会いしたら腰痛が治ったという人がいるかもしれません。それも恩恵かもしれません。真の父母様にお祈りしたら子供が受験に受かった。それも恩恵かもしれません。しかし、真の父母様の最大の恩賜、恩恵は血統転換、祝福なのです。

 祝福とは何でしょうか? 祝福は血統転換です。すなわち神様の息子、娘として生まれ変わることができる、神様の息子、娘に戻ることができるのです。

 人間は堕落してサタンの血統に零落してしまいました。そして人間は霊的に鈍くなったのです。これから全てを完結していかなければなりません。平和メッセージに「これ以上遅らせる時間はありません」と書かれています。もう時がありません。2000年後に、3000年後に悟っていては間に合いません。天のタイムスケジュールでは、もう時がありません。「神様にはもう時がありません」と、はっきりと平和メッセージを通して宣言されています。Dデーまで1年と1カ月足らずしかありません。いつ勝負しますか。今、勝負するしかありません。

 真の父母様のお名前とみ言と業績をどのように証していきますか。どうしたら真の父母様を伝えることができるのか、この日本民族に、この地の人々に。どうすれば真の父母様を理解できるように伝えられるのか。やはりこの地の歴史を知らずしては難しい場合が多いでしょう。

 「神様」と言えば拒絶するが、「第一原因」と言えば分かる。「霊界」と言えば拒否するが、「異次元」と言えば受け入れる。ということは、その人の分かるかたちで、その人の度量に応じて、その人の持っている角度から入っていってあげれば、分かる世界があるのです。誰に対しても同じように語っていたら、難しいのです。

 では、真の父母様や真の父母様の最大の恩賜、恩恵である祝福を、どのように伝えたらよいでしょうか。工夫しなければなりません。

 私たちは今年(2011年)の初めから、何を始めましたか。自叙伝配布、そして自叙伝書写です。書写とは何でしょうか。書写そのものは、千葉の地にも日本のどこにも、その歴史があります。一番大事なことは、どのみ言を書くかということです。私たちは真の父母様の自叙伝を書写します。それを毎朝、きれいな環境の中で、身なりを整えてみ言を3回以上訓読し、それを白い紙に書くようにして、私の心に書き写します。そして感謝の献金をし、父母様のお写真が入ったお守りを携帯します。そういう人に天の恩恵がないはずがありません。多くの恩恵が与えられます。

 そうして、愛天愛人愛国の生活基準はどうだったでしょうか。喜びと感謝と希望、そして掃除です。これらを毎日チェックして、さらに向上させていく生活をしていらっしゃる方に、恩恵がないわけがありません。そうすれば、「このみ言はすごい」と感じてくるようになります。書写を行えば行うほど恩恵が与えられます。自叙伝の大きな価値を感じて向かい合えば、もっと深い世界で、もっと大きな視野で、父母様の世界を感じていかれるのではないでしょうか。「この自叙伝はすごい」、「この人物はすごい」と。このような闘いをしています。

 自叙伝は100万冊を超えました。ベストセラーです。「では、さぞかしこの本は日本に多大な影響を与えているのでしょうね」とサタンが間違いなく質問してきます。それなのに、この本を家や教会の倉庫に置いておいてよいでしょうか、悪いでしょうか。論外です。いずれこのみ言は必ず独り歩きをします。

 自叙伝は、これからもっと大きな役事をします。その自叙伝を証す洗礼ヨハネとして書写が出発しているのです。伝道のための新しい手段ではありません。この本は、これほどの価値があるのだということに目覚めさせてあげるために準備したものです。それが書写なのです。

 いよいよ、父母様のお名前と業績を、最大の恩賜、恩恵である祝福を証していくのです。そのためには、自分の家庭が祝福家庭として証し得る基準を早く立てていかなければなりません。証していこうとすれば、いろいろな問題が起きるかもしれません。しかし、問題が起こることが問題ではありません。いろいろな問題があったとしても、夫婦が一つになって、親子が一つになって、喜びと感謝と希望を持って出発していくのです。すなわち、「神様、愛しています」、「神様、ありがとうございます」、「神様、お疲れさまでした」、「神様、おめでとうございます」、「神様、よろしくお願いします」です。   

 神様の最高の贈り物を持って証し、人々を導いていきましょう。


posted by ffwpu at 11:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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