
李海玉
<Today’s WORLD JAPAN2014年天暦12月号 P.22~29>
二〇一三年十一月二十日、新潟県新発田市で「新潟教区特別集会」が開催されました。以下は、この集会で宋龍天・全国祝福家庭総連合会総会長夫人である李海玉先生が語った内容の一部を翻訳し、整理したものです。なお、タイトルは編集部で付けました。 (文責・編集部)
美しい国、日本
美しい都市、新潟に来てとても感謝します。(拍手)しかし、何よりも皆さんに会えてとても幸せです。お元気ですか。(はい)朝ご飯、おいしく召し上がりましたか。(はい)(拍手)冷たい雨が降る中、お集まりくださり、ありがとうございます。(拍手)【ここまで日本語で語られる】
日本語を勉強したい思いはあるのですが、時間の都合がつかなくて語学学校に行くこともできず、メモ用紙に書いたとおりに読みました。発音も良くないでしょう? いろいろな意味で、申し訳ありません。(拍手)私は今まで、「英語がうまくなりたい」と思ったことはありますが、「日本語ができるようになりたい」という思いは、一度も持ったことがありませんでした。しかし、日本に来てからは、日本語が上手にできないということに対して、本当に胸が痛みます。
先日、私は、三か月間のコースで日本語を学ぼうと、語学学校に登録しに行きました。ところが、授業が(二〇一三年)十月一日から始まるというのです。真のお母様のご来日と重なるので、「約二週間、授業を抜けてもいいですか」と担当で勉強させたら良いではないですか」と話していました。ところが、彼らの反応は、特にうれしそうには見えませんでした。「子供たちも、あまり行きたがらない」と言うのです。むしろ日本が良いというので、私は心の中で、「本当に不思議だな」と思いました。なぜなら、特に韓国人の場合、子女がイギリスに行って勉強するのをとても喜び、そこで暮らすことを願ったからです。
ですから、私はずっと、「なぜ日本人は、祖国を離れて生活するのをあまり好まないのだろうか」と、日本人を理解できずにいました。ところが、日本に来て生活してみると、そのような日本人の思いと態度が理解できるようになったのです。ここ、日本よりも良い所はないというのです。(拍手)
日本のように、どこに行っても清潔で、人々が親切な所はありません。海外者に尋ねたところ、「それでは、受講を許可することはできません」と、断られてしまいました。ですから、いまだに一人でひらがなを書きながら、日本語を勉強しています。申し訳ありません。(拍手)一生懸命頑張ります。
私は以前、日本の宣教師のかたがたに会うたびに、「ヨーロッパに来てください。ヨーロッパはとても良い所ですよ。子女たちも送ってください。イギリスで毎日ニュースを見ると、日本では地震や津波が発生するというので、自然もあまり美しいものではないと思っていました。ところが、そうではありませんでした。自然が非常に美しいのです。特に、この新潟に来て驚いたのが、スイスよりも美しいということです。(笑い)(拍手)
東京から新幹線に乗って新潟に来る途中、窓の外を眺めていたのですが、雪に覆われた山と、その手前に紅葉で色づいた山が同時に映える風景を目にして、驚きました。秋と冬という二つの季節を同時に抱きかかえている、これほどまでに美しい山々を見たことがなかったのです。スイスに行ったときも、冬であればただ冬の山であり、秋であればただ秋の山であって、冬の山と秋の山を同時に見ることはなかったのです。(拍手)本当に、日本の驚くべき、美しい自然を楽しむことができました。
そして、新幹線を降りると、非常に端正な制服を着た男性が、ゴミ袋を手に立っていました。私がそこにゴミを入れると、そのかたはゴミを受け取りながら、「ありがとうございます」と言うのです。ゴミを捨てて「ありがとう」と言われたことは、私の人生でただの一度もありませんでした。(笑い)このような国が、世の中のどこにあるというのでしょう。
日本で生まれ育った皆様が、他の国に行って暮らしたくないというのは、あまりにも当然なことであると思いました。
きょう、冷たい秋雨の降る中、早朝からバスに乗り、ここに駆けつけてくださった皆様に、心から感謝申し上げます。皆様を心から愛しています。言葉というものは、自分の心情と感情、そして、意図を完璧に伝えるには、足りない面が多くあると思います。しかし今、他の表現方法が見当たりません。
昨晩、教会に到着し、祈祷するために両目を閉じたのですが、感情が激しく込み上げてきました。私は、皆様と個人的に親しくお会いする機会はありませんでしたが、昨日、祈りをささげる瞬間、皆様の思いが私の心の中にさっと飛び込んでくるような感覚を覚えたのです。
聖和に向かって駆けていかれた真のお父様
きょう、私の足りない講話を始めるに先立ち、聖書のヨハネによる福音書一四章12節の聖句を奉読いたします。
「わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである」
これは、イエス様が弟子たちに語られたみ言です。イエス様はこの地上にメシヤとして来られ、数多くの奇跡を行いながら、神様の能力を示してくださいました。しかし、このときイエス様は弟子たちに、「(あなたたちが)大きいわざをする」というみ言を下さったのです。
真のお父様は霊界に行かれましたが、今、どこにいらっしゃるでしょうか。
真のお父様は、東洋人としては珍しい、がっしりとした体つきをされていました。現代医学と真のお父様の体力を鑑みれば、真のお父様は百二十歳まで十分に生きることができたはずです。聖和なさる前に健康診断を受けられたときも、真のお父様の身体年齢は六十歳から七十歳だということでした。九十歳の老人とはとても信じられないほど、ご健康だったのです。
ところが、真のお父様は私たちの誰もが避けたがる肉身の死に向かって、駆けていかれたのです。まるで、イエス様がご自身に十字架の死が迫ってきているという事実を知りながらも、それを避けることはなさらなかったのと同じです。お休みにならなければならないのに休まれず、ご自身を火花のように燃やしながら歩まれたのです。
なぜそのようになさったのでしょうか。私は個人的に、(真のお父様が)神様の元に行かれ、私たち食シッ口ク が真のお父様よりもさらに大きなことを成すことができるようにしてくださるために、そのように走っていかれたのだと思います。
真のお父様は、百二十歳まで地上に生きていらっしゃらなければならないのに、まるで突進するように、霊界に行かれました。そうだとすれば、私たちは真のお父様の代わりに、残った人生を生きてさしあげなければならないのではないでしょうか。皆様、百二十歳まで生きたくないですか。(拍手)霊界に行かれた真のお父様も、「そうだ。私の代わりにあなたたちが、百二十歳ではなく、百四十歳まで生きて、新氏族的メシヤの使命を必ずや完遂し、私の元に来なさい!」と語られているのではないでしょうか。
(拍手)
神様の祝福の公式を知った最も知恵深い道
私は二日前、清平に行ってきました。私はそこで、区域長修錬会に参加している区域長のかたがたにお会いしました。ところで、ちょうどそのとき、私の娘も、清平に来ていました。娘は日本にお嫁に来て、東京で娘を一人生み、今、二人目の子女を妊娠しています。妊娠中に精誠をささげるために、四十日清平修錬会に参加していたのです。修錬会の一日のスケジュールが終わった夜十一時になって、ようやく娘に会うことができました。
娘はオーストラリアで育ったのですが、オーストラリアやニュージーランドの方に住む人々にはあまり心配事がありません。人生が非常に楽しいというのです。世の中に、悩むべきことがないのです。そのせいか、私の娘も非常に楽観的な性格です。人生について深く悩んだり、神様の摂理を前にして涙を流しながら心配することがあまりないのです。ただひたすら、幸福なのです。
ところがその日の夜、娘が私の手を握りながら、「お母さん、日本の食口をどうか助けてあげてください」と、涙を浮かべて言うのです。私は心の中で、「日本の食口に、清平で何か大変なことが起こったのか」と思い、「何があったの」と尋ねました。
すると娘は、「日本に来るまでは、日本の食口がとても苦労しているということを漠然と知っていましたが、いざ日本にお嫁に来て、日本の食口と一緒に生活してみると、彼らが実際にどのような困難の中で天のために献身的に歩んできたかということを知り、涙を止めることができませんでした。本当に、日本の食口が幸せになれるように、そして、自負心と誇りを持って堂々と信仰することができるように、助けてあげてください」と言うのです。
私は、目に涙を溜めながらそのように話す娘の姿を目の当たりにしました。今まで、娘のそのような姿を見たことがなかったので、私も深く感動しました。娘は続けて、「お母さんとお父さんが日本にいる間、日本の食口が背負っている重荷を軽くしてあげてください。そして、日本の食口が幸せになれるように助けてあげてください」と、涙ながらに語りました。
私はその瞬間、心から感謝しました。「天の父母様(神様)、天地人真の父母様、不足な私たちの家庭を日本に送ってくださり、私には絶対にできないような子女教育をこのように私の子女にまで施し、この娘が日本という国を前にして涙を流すことができるほどに成長させてくださったことを感謝いたします」と祈祷をささげたのです。
その後、私は娘に、「日本の食口は、本当に頭が良いのよ」と言いました。そして、「世の中の人々は、神様の祝福の公式を知らないの。公式が分からないから、ただ自分が生きたいとおりに生きて、死んでいくのよ。だけど、日本の食口は神様の祝福の公式を知っているから、今まで神様の摂理を知ることができずに死んでいった全ての先祖の分までも自ら解決して、さらにこれから生まれる自分の子孫の未来の分までも、自ら精誠条件を立ててから(霊界に)行くのよ。その姿を前にして、かわいそうだ、悔しい、不公平だと思うのであれば、それは人間的な考えよ。むしろ、日本の食口はとても知恵深いので、そのような道をあえて行くのよ。成熟したかたがただから」と話しました。
子供は、幼いときは自分が食べることしか考えません。しかし、母親はどうでしょうか。母親は、子女が熱心に食べていれば、自分が空腹でも、「私はおなかがいっぱい!」と言って、それ以上、ご飯を食べません。同じ人間でも、成熟した人と成熟していない人では、その犠牲の次元が違うのです。ですから、「母の国」という驚くべき神様の祝福によって受けたその内容が分からなかったときは、日本はただ自分が生きたいとおりに生きていたのですが、「母の国」の使命を知ったその瞬間、子供から母親へと霊的な成長を遂げたのです。
真の父母様は、二〇〇三年に私たち夫婦をヨーロッパに送られる際、突然、私たちをショッピングセンターに連れて行ってくださいました。そして、そこで私の服を選んでくださったのです。その服にはきらきら光る装飾物とレースがついていて、当時の私は着るのがとても負担に思われる服でした。それで、畏おそれ多くも、「お父様、私はこのようなデザインの服を着るのは少し気が重いです」と申し上げたところ、真のお父様は、「あなたは背が低いから、このような派手なものを着なければならないんだ」とおっしゃるのです。
このとき、私の足りない点を補ってくださり、また、短所を短所としてごらんになるのではなく、かえって誇ろうとされる真の父母様のご心情を感じることができました。
私たちを信じて常に共にいらっしゃる天の父母様
創世記一七章1節から8節を読むと、次のような内容が出てきます。神様は、子女のいなかったアブラハムが九十九歳になったとき、彼の前に現れ、「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。……あなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。……わたしはあなたと後の子孫とに……カナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう」と、まるで今日の政治家が選挙で国民に公約をするように、祝福の約束をしてくださったのです。
そのとき、神様はアブラハムに、このようにも語られました。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」(創一七・1)、「あなたと後の子孫とは共に代々わたしの契約を守らなければならない」(創一七・9)
九十九歳の老人であれば、私たちはその姿を想像することができるのではないでしょうか。足に力が入らず、がくがくしてまともに歩くことさえできず、目もよく見えないことでしょう。歯もたくさん抜けて、まともに食べ物を噛か むこともできず、耳もよく聞こえないなど、体のどれ一つとっても、完全な所がないことでしょう。しかし、そのようなアブラハムに向かって、神様は、「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」と語られたのです。
その日、娘は私と話をした後、神戸にいる姑に預けてきた三週間も会っていない自分の娘(李海玉先生の孫娘)と、インターネットを通して顔を見ながら通話をしました。
電話がつながり、神戸にいる姑が、孫娘を見せてくれました。画面に映った孫娘が、おばあさん(娘の姑)を見ながら日本語で上手に話をしていました。孫娘が明るく笑う姿が、画面に映し出されていました。私の娘は、その画面を魂が抜けたようにじっと見詰めながら、笑っていました。私は後ろで、その娘の姿を見ながら、彼女が私のことを考えることもなく、私を見てもいないけれども、自分の子供を見詰めながら明るく笑うその姿を目にして、とても幸せでした。
私は私の娘を見詰め、彼女は自分の娘を見詰め、孫娘はその側にいる祖母をじっと見詰めながら、明るく笑っているのです。私たちは互いに向かい合うこともなく、それぞれが一方を眺めながら、互いに幸せを感じたのです。(笑い)誰かを深く愛せば、自分のことを見詰めてくれなくても、ただその人が幸せであるという事実だけで、幸福なのです。
私も、母親として子供たちに、ただ彼らが幸せであることを願うばかりです。それ以外に、特別に願うことはありません。全能なる神様、完全なる神様が、不完全な人間を眺めて幸せを感じられると
いうのは、理論的に考えれば、話にならないことでしょう。ところが、このように九十九歳の老人である、まともに歩くこともできないアブラハムを眺めながら、神様は「全き者であれ!」と語られ
るのです。その言葉の意味は、「しっかりやれ!」というよりも、「あなたならできる。あなたは全き者になれる」ということです。アブラハムは、「私がこの年になって子女を生むことができるだろ
うか。何ができるというのだろうか」と、全てを諦めていたのですが、神様は諦めることなく、「いや、あなたは全き者になれる。なぜか。あなたは私の子女だからだ!」と語られたのです。
今日、天の父母様は、時にとても担えないような重荷を私たちに下さることもあります。しかし、それは、私たちからすれば担うことができないような荷であっても、天の父母様や天地人真の父母様は、「できる。あなたならできる。それは、なぜか。私が助けてあげるからだ」というみ言を下さるのです。
きょう、ここにはお父さんがたもたくさん来られていますが、父親の平均身長が一メートル七十センチだとして、赤ん坊が父親の肩の上に乗れば、その高さは二メートルを超えるのです。二メートルの高さから下を見下ろしても、父親の肩の上にさえいるなら、赤ん坊は怖がりますか、怖がりませんか。怖がらないのです。逆に、面白がります。恐れがありません。
そのとき、初めて子女は、「お父さんが私の側にいれば、恐れるものなどない」ということを、本能的に悟るのです。私たちは前だけを見ていて、後ろから私を眺め、見守っている神様がいらっしゃるということをよく忘れてしまうのです。このように大きな腕で私たちをかき抱いていらっしゃるのに、(その神様を)私たちは見詰めることもせず、感じることもせず、関心もないので、恐れを感じるのです。しかし、その存在が分かるようになれば、怖くなくなります。心配がなくなるのです。
遺言を残してでも成していくべき新氏族的メシヤの使命
最後に、創世記五〇章24 節、25節を見てみたいと思います。そこには、ヨセフの遺言が出てきます。皆様がよくご存じのように、ヨセフはエジプトの総理大臣でした。今で言えば、アメリカのオバマ大統領くらいの人物です。当時、エジプトは超強大国だったのです。そして、ヨセフはエジプトの全国民から愛されていました。
(ヨセフの父親である)ヤコブが死んだとき、全国民が七十日間、痛哭しながら嘆き悲しんだと記録されているのです(創世記五〇章3節)。なぜそのようにしたのでしょうか。それは、ヨセフのためでした。ヨセフに対するエジプトの全国民の愛が、それほど大きかったというのです。そのようなヨセフが、死ぬときに、神様が準備された約束の地に、私の骨を携えていきなさいという遺言を残しました。
そこには、「ピラミッドも必要なく、墓も必要ない。あなたたちがいつか、神様の約束されたその地に入るとき、私の骨も携えていき、神様が私の先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地に埋葬しなさい!」という意味が込められているのです。
ですから、実際にモーセがエジプトを出発してカナンに向かうとき、「モーセはヨセフの遺骸を携えていた」と、出エジプト記(一三章19節)に記録されています。
今日、私たちは新氏族的メシヤの使命を、真の父母様から受けています。イエス様が持たれたタイトルであり、再臨主として来られた真のお父様が持たれた「メシヤ」というタイトルを、今日、私たちが氏族的レベルで受け継いだのです。その私たちが、仮に百二十歳、百四十歳まで生きてから霊界に行くとすれば、果たしてどのような遺言を残すでしょうか。「私の子孫たちよ。あなたたちは苦労するな。苦労は私がたくさんしたから、あなたたちは金持ちになって暮らしなさい!」という遺言を残していきますか。もしそのようにすれば、皆様の子女たちが神様の祝福を受ける人生を歩めるでしょうか。そうはならないでしょう。
しかし、「愛する私の息子、娘よ。私は新氏族的メシヤの使命を抱いて最善を尽くしたが、その使命を全て果たすことはできなかった。だから、あなたたちは私の代わりに新氏族的メシヤの使命を全て成し遂げて、あなたたちが住むその地に私の遺骨を埋めてくれ。そして、必ず天一国を成してくれ!」という遺言を残せば、それを受け取った子女は、決して道を踏み外すことはないでしょう。このような遺言の内容は、絶対に忘れることができないのです。
ヨセフの遺言が、後代に永遠に残りうる素晴らしいものとして残ったのは、それが単に趣のある言葉で構成されたものではなく、彼の生き方がそのまま自然に溶け込んだ、人生の結晶体としての遺言だったからです。
皆様も子女を集めて、「私の使命である新氏族的メシヤの使命を、あなたたちがどうか実体的に成し遂げて、この国を『摂理的母の国』という磐石の上に乗せ、子孫万代、さらには全世界が敬拝をささげることのできる天一国として造り上げてくれ!」という祝福の遺言を残さなければならないのではないでしょうか。(拍手)
きょう、短い時間、皆様に不足な話をさせていただきましたが、皆様が百歳、いや、百二十歳まで長生きし、意味のある人生を送ることができますように、心から願っています。さらに、真のお父様の分まで長生きして、実体的天一国を建設する勝利者となれるよう、切に願っています。皆様、大変ありがとうございました。そして、本当に愛しています。