
三輪 誠
<原理復興会講話集2 P.94~97>
皆様、おはようございます。原理復興会にお越しくださり、ありがとうございます。きょうは「統一原理」を紹介する上で、「人生の目的を知ろう」という題でお話ししたいと思います。
2011年、新しい年を迎えましたが、今春卒業の大学生の中には、まだ就職が決まらず、焦っている方も多数いることでしょうし、心配されている親御さんも多いと思います。1月現在の就職率は68.8%です。3人に1人がまだ就職が決まっていないということになります。実際、求人倍率は前年の1.62倍から下がって、1.28倍ですし、5000人以上の大企業の求人倍率は0.47倍で、特に大企業が狭き門となっています。
全国の民間企業の求人総数は前年の72万5000人から58万2000人へと19.8%のマイナスとなりました。何社も応募しても全く就職が決まらないという大学生が大勢いるということです。就職は今後の人生を大きく左右しますから、そのことを考えると、本当に大変な時代になりました。
一方で、大学進学率は1989年には約25%でしたが、20年後の2009年には50%を超えました。実に2人に1人が大学に進学していることになります。しかし残念ながら、本当に専門的な分野を学びたいということで大学を目指し、学生生活を送っている学生がどれだけいるでしょうか?
最近の就職希望状況を見ても、経営が安定しているという、「寄らば大樹の陰」という考えの学生や親御さんがほとんどで、小さな会社で経営が安定していなくても、自分の学んできたことが生かせると思い、チャレンジ精神を持って就職活動している大学生は少ないのではないでしょうか。何かの目的を持って、大学に入学したいという学生が少ないのは確かなことです。もちろん何か資格を取って将来の就職に備えようと考えている学生もいるとは思いますが……。ただ、これだけ不況が続き、社会情勢が変化している中では、安定を求めたいというのは仕方がないことでもあります。
私事で恐縮ですが、私も30年以上前に大学進学を目指し、特別この分野を学びたいという明確な目的、目標もないまま大学を受験しました。もちろん高校受験から大学に進学するということを念頭に置いていたことは確かです。ですから良い大学に進学するというのが一つのゴールでもありました。そしていざ大学進学となった時、どの学部を目指すかということで悩みました。もともと理系は苦手でしたから文系を選択し、その中で特に決め手はなかったのですが、法学部に入りました。その時、将来の目的は大学生活の中で見つけようと考えていました。
あっという間に時間が過ぎて、大学4年生になり、就職を考えなければならない時期を迎えました。その時から、私は悩み始めました。何を目指したらいいのか、さっぱり分からなかったのです。法律を学んでいるからといって、弁護士や検事になりたいと思ったことは一度もありませんでした。ただ父が公務員でしたから、漠然と、私も世の中のためになる仕事でもあるし、公務員になれたらいいなと考えていました。しかし、公務員になるのは、当時も大変難しい時代でした。そのような中で、私は自分という存在をもっとよく知る必要があると思い、いろいろな本を読んだりして、自分自身の人生を深く考えるようになりました。
皆様は、いかがでしょうか? 考えたことはありませんか? 私がどうしてこの世に生まれてきたのか、生まれてきた目的は何か、私の人生の目的とは何か、私という存在は偶然生まれてきたのか、などなど。皆様の中には、そんなことは重要な問題ではないと思っている方も多いのではないでしょうか。しかし「生まれる」という表現を見ても、この表現は受動態ですから、そこには私の意志とは関係なく、何かの力によって生み出されたと考えるのが妥当ではないでしょうか。そして、生まれてくるからには、何か目的があるはずです。そうです。間違いなく、すべての存在には存在目的があるはずです。
例えば、ここにあるコップも、水を入れる、飲み物を入れるという目的を持って作られました。製作者は使用用途に合わせて、どんな形にするか、どんな大きさにするかという構想を持ち、それに合わせて形を作り上げたはずです。つまり何の目的もなく存在しているものは何もないということです。
私たち人間は、一人も例外なく、この世に生まれ、いつかは死んでいきます。生まれたからには、何か目的があって生まれてきたはずです。そしていつ死ぬかも、自殺でもしない限り、自分では分かりません。長くても100年程度の人生です。中には死んだら無になる、すべてが終わると考えている方もおられるでしょうが、本当にそうでしょうか。
誰もが幸福を願いますが、その幸福も一時的な幸福ではなく、永遠の幸福を願います。結婚すれば、永遠の愛を誓い合います。私たちは本性的に永遠なるものを求めているのです。死んだら無になるのであれば、先祖供養をする必要もないのではないでしょうか。そう考えると、死ということも意味のあることであり、すべてが終わってしまうのではないと考えるのが妥当であると思います。つまり死は終わりではなくて、通過点である、その先に何かがあるということです。
さまざまな疑問を持ちつつ、私は就職し、その後しばらくしてから「統一原理」と出合いました。そこではっきりとした人生の目的を知ったのです。疑問に思ってきたことがすべて解決されました。本当に良かったと思っています。
この「統一原理」を解かれた文鮮明先生は16歳(数え)の時、劇的な神様との出会いをされ、み旨の道を出発され、91歳になられた現在も、元気に歩んでおられます。一昨年、『平和を愛する世界人として』というタイトルの自叙伝が出版され、日本においても100万部のベストセラーとなっていますので、ぜひご一読ください。
今、日本はもちろん世界が混沌とし、行き詰まっています。船で言えば、はっきりとした目的地が分からず、行く当てもなく、ただ波に揺られるままに行くしかないような、どうしたらよいか分からない、とても不安な状態です。誰もが将来に対して大きな不安を持って生活しています。はっきりとした人生の目的を知らずに生きることほど、不安で心配なことはないはずです。人は何のために生まれ、結婚をし、家庭を築くのか、国とは何か、死を迎えるとはどういうことか。「統一原理」を通して、今まで分からなかったことがはっきりとしてきます。
ぜひ皆様もここで「統一原理」を学び、自らの人生の目的をはっきりと知って、より豊かな素晴らしい人生を、より幸福なる人生を送ってくださるようにお願いします。
ご静聴ありがとうございました。__