2014年11月15日

感謝と体験の生活

柳 根汀.jpg統一教会
 訓読:『天聖経』p.793〜
 「神様は、なぜ天地創造をしたのでしょうか。神様と人間と被造世界との関係を何を中心として結ぶかという問題を見てみるときに、それは知識でもなく、権力でもなく、お金でもないのです。それは愛の因縁を結ぶためだというのです。

 それゆえに、皆さんが生まれたのは、愛のゆえに生まれたというのです。愛のゆえに生まれ、愛を中心として暮らし、愛の結実の世界、愛の実の世界へ行くのです。愛の実の世界とは、どのような所ですか。そこが霊界なのです。その行く所、愛の結実を収穫する所が霊界なのです。霊界は、真実に生きた愛の内容を中心として評価を受ける世界です。それでは、その評価する主人は誰かというと、それが神様だというのです」
 

 皆さん、おはようございます。先ほど訓読したみ言は、神様が天地創造をなさった理由についてのみ言です。皆さんはどう思われますか? 統一教会の教えは素晴らしいではありませんか? その教えが素晴らしいと確信し、感動した方々が今ここに集まっていらっしゃいます。私たちはどの宗教の教えよりも、どの信仰者よりも神様についてよく知っているし、神様に侍る生活をしている成約聖徒たちです。霊界についてもそうです。そして真の愛についてもそのように学びました。ために生きることについても学びました。しかし、そのみ言をどのように実践しているのかを悔い改めながら、私たちの日々の信仰生活をどのようにして行くべきかを、共に考えていきたいと思います。
 一般的に宗教とは何なのかと考えてみると、キリスト教的な観点であれば、イエス様の復活に対する確信と聖霊の体験ではないでしょうか? ですから、イエスを信じ一生懸命に祈り、聖霊を体験すれば素晴らしい信仰者だと言えるでしょう。

 現在のキリスト教は、イエス様の復活から始まりました。そしてこのイエス様の復活から50日目に、信徒120名が集まって祈祷していた時にペンテコステが起こりました。聖霊が降臨してきたのを体験したのです。ペテロはこの恵みのゆえに、1日で3000人を伝道したといわれます。使徒の一人のステパノはあまりにも熱心に伝道したので、当時のユダヤ人たちから迫害を受け、石で撃ち殺されました。その際、ステパノは聖霊体験した喜びにより痛みを感じることなく、笑いながら死んでいったといいます。その迫害の現場にいたのがサウロ(パウロ)でした。サウロは迫害する立場でしたが、ある日、イエス様が現れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と語られました。その聖霊体験を経て、サウロは回心し、キリスト教に多大な貢献をしました。一人の聖霊体験がどれほど素晴らしいか、一人の聖霊体験から今のキリスト教会の大きな基盤ができたのです。

 だからといって、きょうの話が聖霊の体験をしましょうというのではありません。
 統一教会の誇りは何でしょうか? それは勝利された真の父母様です。そうであれば、真の父母様を通して私たちの信仰のあり方、日々の生活のあり方を相続すべきだと思います。真の父母様の勝利は何でしょうか?み言を宣布されたことでしょうか? 「原理」を究明されたことでしょうか? もちろんそれ自体も素晴らしいですが、そのみ言を成就されたことです。個性完成、家庭完成……天宙までの勝利の基準を立てられました。そして一番の業績は、神様を解放してさしあげたことです。このような観点で考えたとき、統一教会の教えの核心は何でしょうか? それはみ言の成就です。個人的な次元、家庭的な次元、氏族、民族……拡大していきます。問題はみ言の成就です。

 皆さん、勝利された真の父母様から何かを相続し、体験すべきだと思いませんか。真の父母様の一日の歩みを考えてみましょう。朝2時30分ごろに起きられ、体操、瞑想、祈祷、訓読などで一日を始められます。亨進世界会長が完全に相続され、実践しておられますが、私たち自身はどうでしょうか。どのように相続し、実践しているのかを考えなければならないのではないでしょうか。それは私たちがこだわらなければならない伝統とも言えるものだと思います。

 朝起きて瞑想して、何かを体験したことがありますか? 瞑想を通して神様の創造の心情が深く悟れたとか、真の父母様の苦労の路程を心情的に相続できたなど……。そして祈祷の内容が成就できたとかの体験はどうでしょうか? 何かを実感として体験しなければなりません。何か大きな目標の祈りだけではなく、具体的な内容の祈祷をして、それが成就したという体験ができるよう努力すべきだと思います。

 お父様のみ言の中に、霊界についての内容がたくさん出てきますが、霊界をどのようにわかるでしょうか。清チョン平ピョンを通していろいろと教育を受けていますが、それに対しての確信は人それぞれ違うと思います。その違いはどこから来るのでしょうか? それは霊界についての体験を通しての確信の度合いの違いだと思います。広島の韓国婦人の証しを聞いてみると、亡くなったおじいさんが協助してくれるという話をよく聞きます。具体的に言いますと、精誠条件についてとか、今の摂理に同参するのが霊界の先祖にとってどれほど大きな恩恵であるかとか、中心者をよく支えてあげなさいとか、兄弟みんなが一つになって精誠を尽くしなさいとか、いろいろと教えてくれるそうです。そのような体験を通して、霊界と先祖が協助するということに確信を持っているというのです。

 先ほど訓読したみ言の中に、愛の結実というみ言がありましたが、愛の結実は実践と体験でなければ得ることができないものです。しかし、それを実践に移すのは簡単ではないことを感じるのではないでしょうか。統一教会の教えの基準は、どの宗教よりも高い基準です。最初からそのすべてをなそうとするのは無理なことですので、小さなことからでも体験を通して何かをつかんでほしいのです。

 今の時代は、昔より豊かな生活をしていることは間違いありません。食べ物も豊富であり、生活環境も良くなりました。しかし、ある意味では昔より課題が大きいと感じていませんか? 親子の問題、夫婦の問題、兄弟関係、家庭全般的な問題、社会倫理問題など……。このような問題は、なぜ起きるのですか? 知識や権力、お金などを大事にすることによって本質的な愛を失ってしまう傾向にあるのではないでしょうか? かえって、貧しい時のほうが親子の情関係が良かったのではないでしょうか。つまり愛というのはお金で、あるいは教育で完成させることはできないということでしょう。体験と実践を通して得るものなのです。

 皆さんは何か悩みはないでしょうか? その悩みを中心者に相談したことはないでしょうか? もしあるとしたら、中心者の指導はどのようなものだったのでしょうか? 私の体験として言えるのは、授受作用がうまくいっていないのではないでしょうか。「しっかりと授受作用していってください」との指導を受けていませんか? それについてどのように考えますか? 私たち統一教会の食口の中で授受作用を知らない人はいないでしょう。しかし、それが実践できていないことが私たちの課題として指摘されるとすれば、私たちが努力すべきことは、知的なものではなく、実践し体験することにもっと努力すべきではないでしょうか?

 皆さんの周りに難しい環境に置かれている人がいますか? 彼らに関心を持ってあげてください。ところで、難しい環境は私たちにどのような意味があるのかを考えてみたいと思います。難しい環境に置かれている人たちをよく見てみてください。彼らこそが本当の意味で神様に出会っているかもしれません。少し間違えれば、私たちは彼らより深刻に神様との会話ができていない、あるいは彼らより深刻な祈祷ができていないのではないかを考えたことがありますか? 痛みを伴わない成長はあり得ないのではないですか? 彼らはその痛み、苦難を通して、私たちよりもっと成長し、もっと神様に近づいているかもしれません。

 ここである方の証しを紹介したいと思います。この方は李ジュシルさん(66歳)という韓国の女優さんです。1993年、彼女は乳がんの第3期の診断を受けました。命はあと1年もないと医者から言われました。がんの細胞が肋骨にまで転移し、完治は不可能であると言われました。しかし、彼女はあと1年もあると思い、残された1年を感謝の気持ちで大事に、大事に生きる努力をしました。1年しかないのであれば、きょうの一日を10年のように一生懸命に生きようという姿勢でした。女優ですので、舞台に立って劇も演じました。今まで自分を愛してくださった方々に恩返しするつもりで一生懸命に取り組みました。

 しかし、苦痛を耐えられなくて、死んでしまったほうがよいのではないかと思ったときもあったそうです。一番大変なときには体重が35キロまで減ってしまったそうです。しかし、たとえ舞台で倒れたとしても、今まで自分を愛してくださった方々に恩返しする道は舞台に立つ道しかないと思い、一生懸命にやっているうちに痛みも忘れてしまったそうです。

 そして奉仕活動をしたそうです。自分も大変だけれど、愛されていない青少年たちのためにボランティア活動をしたそうです。そうしているうちに、余命1年と宣告されたのですが、その1年が過ぎ、2年、3年…今は17年もたっているそうです。

 彼女は言っています。「がん患者たちへ希望の証人になります」と。 「この病気は私にとって恩寵です。生きていることだけが恩寵ではなく、私がもしがんを克服できなくて死んだとしても、私に与えられた時間の貴さ、そして新しい世界に目が覚めたこと、それ自体だけでも、がんは私に大きな恩寵です」と言っています。それで韓国では李ジュシル療法という用語が出てきました。闘病中でも笑顔を忘れないで一日を10年のように生きればよいのだというものです。

 勉強にも熱心だったそうです。今年2月には博士学位まで取ったそうです。この方の感謝の生活はどうでしょうか? そしてこの病気を通して得たものはどのようなものだったでしょうか? 自ら証されたように、がんは自分にとって大きな恩寵であったと言っています。病気という大変な体験を通して得たものです。知識やお金では到底得ることのできない貴いものを得たのです。

 亨進世界会長の姿はどうでしょうか? たくさんのことを勉強されたことも素晴らしいですが、それより素晴らしいのは、他の宗教に入られ、共に暮らしながら体験を通して体得されたことが素晴らしいのではありませんか?

 皆さん、私たちが真の信仰者になるためには、どのように生きていったらよいでしょうか? 先ほど、ある女優さんの証しをしましたが、真の父母様はどうでしょうか? 私たちが経験することのできるすべてを、真の父母様はすでに経験、体験され、克服し、勝利してこられました。皆さんが今、越えなければいけない高い山があるとしたら、それがどうしても難しいと思われたら、よく考えて、よく祈ってみてください。間違いなく、その山を既に真の父母様が越えられ、その足跡がどこかに残っているはずです。ただ悩むのではなく、真の父母様のその足跡を探してください。そして、それを相続し、そのように歩
んでみてください。必ず勝利の道があるはずです。解決できないものはないはずです。

 皆さん、どうか小さなことでもいいですので、何か真の父母様の勝利の証しを相続し、自分のものとして体験する努力をしてください。そして祈りの威力を体験できるよう努力しましょう。すべてを神様にゆだねる心情で深刻に祈ってみてください。その家庭に神様の祝福があるはずです。皆様の勝利の体験を期待します。カムサハムニダ。


posted by ffwpu at 15:24| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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