2014年11月08日

「成」

朱柄奎統一教会
 朱柄奎
 <2011 春季 牧会者説教集より>


み言:『平和神経』平和メッセージ12「後天時代にいる私たちの使命」)から

 最近、私たちは終末を感じさせられるような多くの報道を目にしたり、話を聞くことがあります。それでは果たして現実において具体的に天変地異として審判の時がやって来るのでしょうか。

 聖書を見ると、対照的な二つの話があります。一つはソドム・ゴモラの審判です。神様のみ使い2人がソドムにあるロトの家を訪れますが、町の男たちがロトの家を取り囲み、そのみ使いたちと関係を持とうと騒ぎ立てます。天使は男性として現れますので、それは同性愛ということになります。事実、ソドムは同性愛が蔓延していました。ロトはみ使いたちを守ろうと、自分の2人の娘を差し出そうとしますが、拒まれます。み使いたちは主の使いとして、この町を滅ぼすために来たことを告げ、家族を連れて町から逃げ出すように促しました。ロトたちが示された地に着くと、ソドム・ゴモラの町は硫黄と火によって審判されてことごとく滅ぼされていきました。
 もう一つはヨナの話です。アッシリアの首都ニネベという町にはたくさんの人々が住んでいました。しかし、人々の不義をご覧になって神様は預言者ヨナに「悔い改めなければ、その町を滅ぼす」ということをニネベの人々に伝えるように命じられました。ヨナは自国に敵対していたニネベの人々を助けることはできないと拒否し、船に乗り込んで逃げようとしました。しかし、その船が嵐に遭い、難破しそうになったため、乗船していた人々はそれぞれが信じる神に祈りを捧げました。それでも嵐は収まりません。ところが、不信仰なヨナは船底で眠り続けていました。船員たちは、この災難がだれのせいかを知るためにくじを引くことにしました。そして当たりくじを引いたのがヨナでした。結局、ヨナは荒海に投げ込まれることになりました。ヨナは大きな魚に飲み込まれ、魚の腹の中で悔い改めることにより腹から吐き出されたのです。

 そしてニネベで伝道を始めるようになりました。ヨナの忠告により人々は悔い改めるようになり、そのうわさは王にまで達し、王も悔い改めるようになりました。神が約束された審判の日がやって来ましたが、神様がニネベの町を審判されることはありませんでした。ところがヨナは、せっかく審判についての預言を人々に宣べ伝えたのに、実際に審判をなさらなかった神様に対して不平を言い、不信を抱きました。

 この二つの話から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。全能なる神様であったとしても、条件なくしては何かをなさることができない神様であることを知ることができます。ですから、自然現象として起こるすべてのことも、また奇跡と思えるようなことも、原理原則に従って起こることであり、条件なくして起こることではないのです。

 昨年、アイスランドで大きな噴火がありました。これは自然現象でしたが、何かの神様の啓示、警告であるとも言えます。ソドムが滅んでいったのも自然現象でした。近年、スマトラ沖地震で大きな被害があり、尊い人命が奪われました。

 日本でも頻繁に地震が起きています。これらはすべて自然現象には違いありませんが、単なる自然現象ではなく、人間の精誠条件をもってこれらをずらすことも、合わせることもできる神様です。このように自然現象を大きくするのも、小さくすることもできる神様です。

 それでは、このように緊迫した時代を生きる私たちにおいて、なすべきことは何でしょうか。私は毎年、一年を始めるに当たり、天から一文字を頂いて出発します。例年であれば、韓国において祈り、一文字を頂くのですが、今年は天暦時代がスタートし、1月1日(陽暦)に韓国に行くこともなくなりましたので、あらかじめ祈り求めました。そこで与えられたのが「成」という一字です。

 地震・津波・核戦争のような悲惨な世界を成す……という「成」を意味するのでしょうか? そうではなく、正に、この地に「天一国」を成すという「成」であるべきでしょう。きょうのみ言にありますように、今は天地開闢の後天時代です。すなわち旧約・新約・成約時代を終えて天一国時代がやって来たということです。天宙平和統一王国の時代ということです。

 かたちだけを見れば、先天時代も後天時代も何にも変わりません。ただ血統が違います。天の血統です。天と真の父母様が開門してくださいましたので、召命された者が天一国を成していかなければなりません。
 召命と使命は違います。召命という言葉の中には自分の意志が入っていません。私たちは正に「召命」された者であり、神様によって選ばれた者です。召命された者たちが成していかなければなりません。

 そして「成」は、それ自体では力を出すことはできません。あくまでも結果を示したものです。何かを付けることで、より意味を持つようになるのです。「成」に土を付ければ「城」となります。城造りは国造りです。「成」に言を付ければ「誠」となり、日を付ければ「晟」となります。明るいという意味です。

 このように見ていくと、これらはすべて天一国の国造りを意味するものであるととらえることができます。城は国土を、誠の「言」は主権です。私たちは天国の国造りの主役になっていかなければなりません。私たちが天に届く基準の一人になっていくならば、起こるはずであった審判も、神様は起こすことができません。ニネベの教訓のように、私たちは神様の本当の心情を知るべきです。しかし私たちが何もしなかったら、審判の時を迎えるでしょう。

 2011年からは天一国のかたちが見えてくるのではないかと思います。そこできょうのみ言のように、天一国の民をたくさんつくっていくこと、すなわち伝道が重要であるということです。そして私たちは水晶体、すなわち正午定着、ゼロ点、清心一となっていくべきです。すべて同じ意味を持っています。絶対信仰・絶対愛・絶対服従、そして一心一体一念一核も、結局、同じことです。すべて神様と完全一体となるということです。私たちによって力を出される神様です。私たちが何もしなければ、無能力な神様のままです。私たちが成すことにより、無限な力を出せる神様です。

 私たちの召命的責任、すなわち天宙平和統一王国を創っていく主役として頑張ってまいりましょう。


posted by ffwpu at 10:52| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。