
田中延幸
<2011 秋季 牧会者説教集 P.107~110>
訓読:
「神様が人間を愛されるとしたなら、全天下が丸ごと屈服する愛であり、権威を下さるとしたなら、全宇宙が彼に従い、完全に頭を下げさせ得る権威です。そのような最高の愛と最高の権威を考えて人間に責任分担を下さったのです。
神様は、どうして人間に責任分担を下さったのでしょうか。全知全能なる方なので、その全知全能な創造性までも賦与し、また永遠不変な愛の主体であられるので、その愛の主体を代表できる位置に立てるために責任分担を下さらざるを得なかったのです。これは福の条件になるものであり、全体を占領できる一つの鍵のようなものなので、これを下さらざるを得なかったのです。しかし、この責任分担が問題になり、堕落したということを私たちは知らなければなりません」(『天聖経』「罪と蕩減復帰」第一章 蕩減・復帰原理の根拠 から)
「私たちの先祖アダムとエバは、神様の愛の懐で育ち、神様の至聖、至大な愛の心情のもとで育てられました。しかし、いくら育つ姿がかわいくて、暮らす環境が自由だったとしても、彼らがもっていないものがあったのですが、それは何だったのでしょうか。許諾してくださった万物がなかったわけでもありません。使いがいなかったのでもありません。それは、アダムとエバが神様の息子、娘になり得る心情の因縁を結べなかったということです。それが恨です。
神様が無限の創造の理念とともに享受し得ることができる希望の世界を立てられ、アダムとエバによって天下万象が自由自在に主管される姿を見て喜ぼうとされたのは、彼らを愛しておられるためだったのです」(『天聖経』「天一国主人の生活」第一章 創造の原動力は神様の真の愛 から)
よく世間では、人間には、現在発揮している能力以上の潜在能力があると言われますが、皆さんはご自身の中に、まだ眠っている潜在能力があると信じていますか?あるとしたら、どのような能力であり、どのようにすれば、それが引き出されるとお考えですか?
「潜在能力を開花させる」という言い回しは、とても魅惑的な響きではないでしょうか? 自分には能力なんかないと考えるより、潜んでいる力があるのだと感じられるほうがうれしいのではないでしょうか?
このように潜在能力があるというのは、創造原理の三大祝福のみ言に根拠があります。三大祝福の第三祝福すなわち、万物主管ということです。
これは、私たち人間が、神様の創造性と主管性に似るということです。これが正に、私たちの能力です。神様の創造性と主管性を相続しているのです。なんとすごい能力でしょうか。ある意味、無限大の能力です。新しいものをつくり出し、環境を天国化させる創意工夫の能力があるということです。
神が人間に創造性を与えられたのは、人間が心情(愛の衝動)に基づいて、愛でもって万物を主管するためです。主管とは、物・人・環境を管理、処理、保存など、治めるということであり、第一次産業である農業、第二次産業である工業、第三次産業であるサービス産業など、政治、経済、科学、芸術など、すべてが万物主管の上で営まれます。
では、この能力が神様の創造性と同じように発揮されるためには、私たちはどのような生活姿勢が必要なのでしょうか? それには二つの要素、ポイントがあります。
まず第一に、原理原則に沿って生きようと責任を果たすことです。そのとき、この潜在能力としての創造性が発揮されます。まず、人格者になろうという意識、善であろうとすることです。もう少し具体的に表現すれば、誠実、正直、公平で模範者として生きようとすることです。
たとえ社会環境や、霊界から悪なる影響を受けたとしても、それに動じないで、真実なる主体性を保とうとするとき、あるいは善なる自分の位置を確保し続けようと努力するとき、その環境や事情を正しく把握し、処理し、管理することのできる創造性が発揮されます。最初にご紹介したみ言のとおりです。
もう一つ重要なのは、愛を実行、実現しようとすることです。具体的に言うと、誰かのために、環境のために貢献しようという動機を持つとき、最大限の創造性が発揮されるのです。
男性は、好きな女性のために、あらゆる工夫をして、サプライズを用意するではないでしょうか? 韓国ではつきあい始めてから100日目を祝う100日記念日という習慣があるそうです。一般的には、100本のバラを贈るそうですが、以前テレビでやっていたのは、大がかりな内容でした。男性が事前に公園の木に、小さな電球のライトを仕掛けておきます。その場に彼女を呼び出しておいて、そのライトの点灯とともに、彼が木の陰から出てきて、ギターで歌を歌うのです。彼女は喜びで涙を流していました。とにかく、100日記念日に男性は、涙ぐましいほどに彼女を「感動させるための演出」をするのだそうです。
彼女を喜ばせたいという動機が創造性を発揮させるのです。この愛が創造本然の神様に通じる愛ならば、どれほど素晴らしい創造性が発揮され、自分の周りの環境を天国化することができるでしょうか?ですから、もし自身を取り巻く環境が天国化されていないと感じるなら、それは他人や環境が原因ではありません、それは環境の影響を受けて、自身の本然の主体性、すなわち、善であろうとする主体性を失ってしまったからなのです。だから、自分自身が環境を天国化しようとする、創造性を発揮しなければなりません。
そのためには、第一に、誠実さ、正直さ、公平さ、原理原則に則った模範的人物になるという行動が、潜在能力を開花させる要素となります。なぜなら神様に似る努力をしているのですから、創造性が開花するのは当たり前です。
第二に、人や環境の天国化のために献身しようという愛の動機が、創造性の原動力になります。神様が愛を原動力として宇宙を創造された姿に似るのですから、創造性が発揮されて当たり前です。
いよいよ誰もが、神様に似た創造性の能力を開花させる時代が来ました。天地人真の父母様に出会い、み言と祝福の恩恵を受けた私たちが、訓読したみ言にあるように、天下万象を自由自在に主管することで、神様を喜ばせてさしあげましょう。
今は本然の心情と創造性を解き放つ時です。神様に似る努力をすれば、創造性を解き放てるのです。そしてそれが幸福になる王道なのです。