2014年08月16日

至誠感天

文鮮明師.jpg統一教会 創始者
 文鮮明
 (TODAY'S WORLD JAPAN 2011 天暦12月号 P.4~11)

 このみ言は、天暦十一月一日(二〇一一年陽暦十一月二十五日)、天正宮博物館での訓読会で真の父母様が語られたみ言の一部を翻訳し、整理したものです。 (文責・編集部)

天基二年天暦十一月一日(二〇一一年陽暦十一月二十五日)
韓国・清平、天正宮博物館

驚くべき次元の世界へ移動することのできる時
 新しい時代を過ぎていくと霊界も変わります。今に見ていなさい。

 立っている皆さんに真の父母が一言お話しします。

 これから皆さんは、合わせて生きていかなくてはなりません。息子、娘を教育しなくてはなりません。天の父母と地の父母、心と体が一つになった真の父母です。この、天地に大主人となる創造主と真の父母がいます。

 (アダムとエバが)真の父母となることができなかったので、全て分かれました。今や真の父母が完成、完結できる時代に突入してきたので、取り戻す時に入ってきました。新しい生命体、新しい復活の基盤がこの宇宙に訪ねてくるということを知り、信じて、それを守る人にならなければなりません。そのような皆さんの家庭は恩恵を受けるようになるのです。


 ここ聖殿において、霊的な心と体の本然の創造主がエデンの園で全てを成し遂げておき、アダム家庭で善悪を知る木の果を取って食べれば必ず死ぬだろうといった、その時代を超えるのです。そのような影響圏にある皆さんは、一つの心情を持ち、今先生が話すことを肝に銘じて生きていくことを願います。

 このみ言のとおりに成されていくことを、直接体験し、知ることができる時代へと越えていくので、皆さんの心と体の程度が、昔とは違う、次元の高いところで往来できる時代に入っていくのです。その恩恵を受けることができる、謙虚な家庭にならなければなりません。

 そして皆さんがこの時間に合わせてすることは、天や地、夜の神様、昼の神様、真の父母が分かれていたのが、一つの場所で方向を合わせ、過ごすことなのです。

 例えば、朝、祈祷をするために起きたら、正座して、皆さんの三メートル前にテーブルがあるとすれば、そのテーブルから一メートル四十センチ離れた所が、そのような位置なのです。その場所で皆さんは、毎朝、同じように敬拝をしなければなりません。霊界でもこれを守っているので、全ては一つなのです。このように、三か月間行うならば、私たちの心は、しっかりと位置を定めるようになります。

 ですから父母様の話はうそではないということを実際に感じるようになれば、統一世界になるのは三年もかかりません。自動的に本然の世界に、想像もできないほど飛躍した驚くべき次元の世界へと移動することができるということを感じ、移動する前に皆さんが父母様と共に祝福を受けなくてはなりません。玉璽、お父さん、お母さんの玉璽を作りました。皆さんの家庭にもその玉璽の写真を置いて、毎日、朝昼に祈祷し精誠を尽くすのです。その玉璽の写真を置き、このみ言を前に置いて一つとなる祈祷をささげれば、サタンは、完全に地球星を離れていくのです。

 サタンが本然の位置に帰り、これからは私たちを助けるようになっています。助けなければ、皆さんの先祖がただではおきません。今まで思いのままに殺し、生かしていましたが、あらゆること全てが覆されるのです。

 サタンが亡ぼそうとしたこの歴史を復帰してこそ、興盛し、昌盛する歴史に戻るので、ここに歩調を合わせなければ、皆さんをどこかに連れて行くというのです。そのような家庭は、早く地上世界から片づけてしまわなければならないというのが先祖たちの決意であるだけに、恐ろしい時代が来るということを知り、そうならないように精誠をささげることを願います。

 先生は、そのような基準で生きており、この地上やあの世に行き、差異のない世界を統治することができるようになると暗行御史(李朝時代、王命によりひそかに地方官の治績や非行を調査するために派遣された臨時の官職)のように、霊界、肉界において、この原則に背く人には天が干渉できる時代に間違いなく突入していきます。

 きょう、私が話した話がどういう意味なのか、皆さんの家庭が許された恩恵を受けられるように、この場に出入りする時はうそをついてはいけません。先祖が連れて行って検証するときに、引っかかることがないようにお願いします。

 先生はこの場に来るために、すでに、十一時から心を決めていました。皆さんが知らなければならないことは、お父さんとお母さんには違いがあるということです。お母さんとお父さんには違いがあるので、夫が右手となるならば、女性(妻)は必ず左手にならなくてはなりません。「Dデー」が過ぎてから三年間は、そのように過ごさなければなりません。

 皆さんがこれから、息子、娘を妊娠するようになれば、すでに名前をどのようにつけるか、霊界から指示を受けていなければならず、妊娠したその時から度数を合わせなければなりません。

 エデンにおいて創造主であられるかたが、善悪を知る木の果を取って食べれば必ず死ぬだろうと言われたその言葉のときと同じであるため、その峠を越えなくてはなりません。一家庭ではありません。七十億人類の家庭全部がそのような恩赦圏内に入ってくるというのはうそではありません。

 きょうのみ言がどのようなみ言なのか、聞いてください。訓読会のみ言! 私も、この訓読会のみ言を、歴史的に時間を合わせて訓示しているという事実を先生がよく分かっています。慣用的なペースを広げ、サタンという観念を忘れて暮らすことのできる世界へと、早く超えていかなければなりません。

 「至誠感天」です。

 時が来たので、もう「Dデー」までいくらも残っていないのです。何日残りましたか? (「四百五十五日残りました。一年二か月しか残っていません」)通り越していくのです。きょうは、そのような日なのです。

心と体が一つにならなくてはならない
 十一月です。(訓読するみ言の)題名は何ですか? (「『統一信徒の行く道』です」)統一教会の人々が行く道です。信徒が通過する道なのです。このみ言圏内に住む人々が行く道です。二つではありません。ぴったり合っているのです。統一信徒になって神様の息子、娘の名簿に載るためには、心と体が一つにならなくてはなりません。神様に似ていなければなりません。

 統一の家庭の息子、娘が、信仰することにおいて、統一信徒の責任があるのです。大きくなって、腹中にいる間も、生まれてからも、怨讐になることがあったというのです。体で怨讐になって、ひっくり返されますが、先生が、そこに引っかからないように、この日に精誠を尽くして、過ぎていくようにしました。

 私たちの大宇宙の愛の理想圏、慣性圏において、真の愛というものはその大きさによって重力が違います。ある方向に行けば変わってくるのです。慣性圏を移すために、真の父母は全く同じ場所での訓読会のみ言です。

 天地の全てが一つになります。大宇宙で、これは私の体から分かれません。天と共にあるので分かれないのです。「至誠感天」という言葉、「感」という字は、届く、触れるという意味です。私たちの本部に行けば、そう書かれています。 これからは、家庭が来た時の証拠として必ず一人を連れてきなさいというのです。食口の順序に従って連れてきなさいというのです。嫌ならば、やめてください。

 天を信じ、信任を受けることができる環境がどれほど貴いかということを感じてみなさいというのです。一度暗くなれば、抜け出すのが難しいのです。理解した人は右手を挙げてこぶしを握り、誓ってください。

 先生のみ言を忘れないでください。全て記録されています。永遠の世界の慣性、天国の玉座と地の玉座、その中間に天が降りてこられるので、その慣性圏内で干渉するようになれば、そこが中心となります。そのために毎朝侍り、生活する、そのようにしなければなりません。

 それを、するならばやり、しないというならせずに、皆さんの思いのままに心が指示するとおりに、尋ねつつ、しなければなりません。

 ×が心と体の間からなくなります。この位置がなくなるので、天と地、空中世界にとどまるように交差路が毎日変わるのです。運動して変わってくるのです。その精誠の道を合わせなくてはなりません。ですから、このみ言と一つになり、天と地、中間で、これを合わせることのできる家庭は、アダム家庭しかないのです。父母様の家庭しかありません。父母様の家庭と一つにならなければ、先祖はすでに現れることを嫌がるのです。行けないようにするのです。

 毎朝、来るときには、息子、娘も、わが家において仕事をする人たちも必ず時間だけは合わせて、父母が帰ってくる時までに、帰ってこなくてはなりません。「父母の仕事を代わりにするので、許してください」(という心です)

 先生がどこかへ行かなければならないのに、行くなと言うならば、覆されなければなりません。方向を合わせるために、整理されるその場にいて、天の前に挨拶をしなければなりません。挨拶しなければ、帰ってくるまで全てのものが合わないというのです。影が生じるのです。

 それをなくすためには、数年間、努力しても駄目だというのです。天の恩赦で私たちの心情の基準を中心として、通過していかなければなりません。そうでなければ、問題が生じます。息子、娘、一族、遠くで、むやみに生きる人々が整理されていきます。

 フリーセックスをする人々、絶対「性」を無視した家庭はなくなってしまいます。そのような心で生き、自分の実利を考えて行動すれば、人に被害を与えるのです。月暈(月のかさ、月をまるく取り巻いた光の輪)のように、ボワッと見えるかげろうができます。ふらふらするようになれば、皆さんの家庭の立つ場所に模様ができるというのです。それを知り、注意してほしいと思います。

 慣性世界の大転換という言葉を、忘れないでください。慣性世界の作用です。

 立心偏に「母」そして「貝」です。慣性圏! 自らの重さ、信仰の重さに従い、正しく座らなければならないのに、ひっくり返されてしまうのです。それをよく知っているでしょう。一度間違ってしまうと、正すのは難しいのです。必ず自分の一族や物に対する被害がもたらされます。自らの家庭で、形状は形状的な存在として、心情は心の本性的位置なのです。

訓読会に臨む姿勢
 きょうは十一月ですが、十一月を清算してこそ十二月になり、正月へと越えていくことができます。十二月は、敷居なのです。それを踏んで出てこなくてはなりません。

 訓読会の時間だけは、先生はできるだけ席を外さないようにしています。もし船べりにいたとして魚が掛かり、ブリまで釣れ、捕まえることができる、そんな時だとしても、その時間には出ていきません。ところで、捕えた初めのものは、放してあげなければなりません。初めて捕えるものは、船に乗って出ていっても、狩猟に出ていっても同じです。初めて出くわす獣は、殺さずに放してあげなさいというのです。長子を神様がどれだけ愛されたか……。

 神様は長子を考えていましたが、その長子が殺してしまいました。アダム、イエス、三番目である文総裁は、イエスそれ以上なのです。夜の神様、昼の神様にそれ以上に侍らなければならないのです。真の父母様が解いてあげなければ、抜け出すことができないのです。創造主までも、かばってあげなくてはなりません。

 関節を見れば、人の関係となる因縁を無視することはできません。父子の関係の節があります。夫婦関係の節があります。心にも節があります。節を無視することになれば、家をも亡ぼし、国をも亡ぼすことができます。関節炎も、節も「節」の字です。

 象形文字が偉大だというのです。敦篤とは、「篤」という字は、竹の下に、「馬」ですか? 「敦」の字は、「享」の字からの息子の「子」とお父さんです。節の上にどこの誰も触れることができないというのです。

 真の愛は、関節がないのです。似ています。神様に似ているので、一千万年が過ぎても、どんな保護者も必要ないのです。そのような愛を真の愛というのです。節がないのです。上に上がるとしても、無限となり上がっていくことができます。無限大、どこにも節がないので、偉大なのです。

 霊界に行って、五大聖人、何百という先祖が来て、問い合わせてきたならば、追い払わずに、「どうして入ってこられたのですか?」と言って、一人、二人と、その場に迎えながら、答えてあげないといけません。天の公法はこれほどに恐ろしいものなのです。

 世界に配偶者はないのに、俳優は多いのです(配偶=배우、俳優=배우。同じ発音)。世界には、俳優学校というものがロサンゼルスにあります。配偶者ではないです。配偶者の実践場が統一教会です。「統一信徒の行く道」、このみ言が全てを教えてくれるのです。

 先生は、難しく、困難なことを全て越えるのです。それで七顚、落ちるという意味の「顚」の字です。七顚八起です。世の中の全ての人が涙を流すことのできる道、死への難しい道、復活の深い道、それに従っていきました。七顚八起です。

 亨進が、七死復活と言いました。誰を復活させましたか? アダム、エバの一家庭の復活でしょうか? 違います。万王の王オンマ(お母さん)・アッパ(お父さん)、万父母様、オンマ・アッパ、伝統のオンマ・アッパ、血統のオンマ・アッパ、似ているオンマ・アッパ、そうなるととても良いのです! 千年万年、敬拝して、侍り生きる侍義時代に入るのです。「侍義」、侍り生きる時代に、太平王国に喜びの歌のメロディーが宇宙に満たされます。

 そのときは、訓読会のみ言、心で記憶する言葉を自分たちがもう一度、全天地と共に歌いたいというときに、そのような題名を中心として、提示された多くの人の中から誰を選ぶのでしょうか? その「誰」というのは一人ですが、誰が選ばれるかというのは、天に合わせて生きていくことができる家庭を選ぶので、真の父母もその家庭を尊敬しなければなりません。真の父母も比較し、尊敬し、大事にしてあげなければならないというのです。

 そのような日々が訪れるので、あらん限りの精誠の花、幸福の祭物、それから歓喜の才幹があります。才幹は、廣大ノルム(旧暦の正月十五日に、韓国の湖南地方で行われる民俗祭〈トラやウサギなどの仮面をかぶり楽器を鳴らして村じゅうを踊り回る〉)と違いますか? 空高い所から地に落ちても、傷を受けることはありません。

 最近、ラスベガスの劇をみな見ていないですね? 夢のようです。人が空中で飛び回ります。じっと見ると腰のベルトの後にラインがついていました。よく見てこそ、見えるのです。太くありません。このように細いひもで、どうして人が走ったり、安心して飛んだり行ったり来たり、上がったり下りたりすることができるのでしょうか? 私も見て、びっくりしました。そこに行き、歌も歌い、自由な演劇を心置きなく鑑賞することができるというのは偉大ですね。

 ですから、ラスベガスは、復帰されれば、なくなってはいけないのです! わが統一教会の多くの人が今後、主役になります。

 地上に生きる私の血族は、皆を「おお、よしよし」と愛する人なのです。この愛に合わせて、ご飯を食べながらも踊り、真の父母が歌うならば共に行き、分からない歌はなく、ぎっしり詰まっている聖歌があります。

 大韓民国の昔の歌の中から聖歌を作ることが本当に多いのです。優秀な民族です。それ以上に、文総裁も詩文に対する素質に優れた人です。何千年前に話されたことを、何千年後に話をしても合うので、その才幹の中でも、ものすごい才幹です。先生も高まり、誇りを持つことのできる場、心情世界の交差路です。この交差路がこのように立っても、あのように立っても、それはどれだけ面白いのでしょうか? このように立つと後ずさりしながらも、行く所には全て行くというのです。行けない道はないと言って皆で行って、座って踊り、立ち上がっても踊るのです。


posted by ffwpu at 10:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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