2014年01月10日

生活の中で神様に問いかけよう

伊藤 .jpg統一教会
伊藤隆
<2012 春季牧会者説教集 P.123~127>

訓読:『原理講論』p.287〜288
 「『私』という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。……復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を、『私』自身を中心として、横的に立てなければならない。そうすることによって、初めて『私』は復帰摂理歴史が望む結実体として立つことができるのである。……しかし、堕落人間においては、自分一人でこのような立場に立ち得る人間は一人もいない。それゆえに、我々は、復帰摂理の完成者として来られる再臨主を通して、それらのことに関するすべてを知り、また彼を信じ、彼に侍り奉り、彼と一つになることによって、彼と共に、復帰摂理歴史の縦的な蕩減条件を横的に立て得た立場に立たなければならないのである」

 訓読していただいた『原理講論』のみ言によれば、私に至るまでの先祖の皆さんが、今の私を形づくっていると考えることができます。そして、私が生きている現在の世界で、先祖の皆さんが神様から離れることによって生じた穴埋めができるということです。

 「堕落とは何か」を考えるとき、神様と私が離れてしまったことであると言えます。本来は神様の子女として神様と父子の関係であったのに、サタンによってその血統を切り離され、あろうことか、サタンと父子の関係を結んでしまいました。

 神様は何とかして、神様の事情と願いを私たちに伝えようとされます。それはどのようにしてなされるかといえば、私たちの本心を通してです。私たちの喜怒哀楽を通して伝えられるのです。


 堕落という事態がなければ、私の喜びが神様の喜びでした。人間が地上において三大祝福を全うして喜ぶ姿をご覧になって、神様も喜ばれるはずでした。しかし、人間が堕落することによって、神様は悲しみと哀切の神様となられたのです。

 人間の血統が変わってしまったそのことだけでも、苦しみ、痛み、悲しみは計り知れません。その上、「私の息子、娘」と呼んでいた人間が、まるで他人の、しかも怨讐の存在の息子、娘として育てられていて、その事実を知らない息子、娘は、その怨讐を「お父さん」と呼んで生きているのです。

 これが、自分の身の上に起こった出来事と考えれば、到底、平常な心を保てる人などいないはずです。神様はそのような心を抱いて長い歴史を耐えてこられたのです。

 ですから、親であられる神様は、私たちにご自分の事情を何とかして伝えようとなさるはずです。それで、宗教を与えて歴史をつむいでこられたのです。宗教によって、神様が、ご自分が存在しておられることを教えようとされたのです。

 今日まで長い間、私たちは神様と父子の因縁を結ぶことができないまま来てしまいました。聖書によれば6000年ですが、真のお父様は、かなり長期間であると表現されています。

 私が今日、この時代に生きているのは、アダムとエバからの長い歴史を、一度として途切れさせることなく生かされてきたことの証拠です。私という存在は、神様の願いに生きた歴史と、神様の願いに生きることができなかった歴史が積み重なった存在と見ることができます。

 神様は、この時代に救い主・メシヤを送り、私と出会わせてくださり、私に救いの手を差し伸べてくださったのです。私の救いは先祖の皆さんの救いでもあります。

 その救い主に出会うために、私たちは生まれてから今日に至るまで、実にさまざまな体験、経験を重ねています。その一つ一つの事柄を通して、メシヤに出会わせたい神様がおられたのです。しかし、サタンもまた、それを妨害しようとしてあらゆる手段を使ってきたのも事実です。

 それなので、サタンが妨害する背後から、その妨害を条件として神様がメシヤに出会う道を整備してくださったのです。それで、私たちは真の父母様にお会いすることができたのです。

 私たちの歴史を真の父母様に連結するためにご苦労してくださった神様に、先祖の皆さんと私たちは、心から感謝を捧げなければなりません。そしてまた、メシヤとして来られた真の父母様も、私たちと先祖の皆さんを救うために、全ての人間と先祖の皆さんが味わった苦痛を、その肉と骨と心情に刻み込みながら来てくださったのです。

 真の父母様は、人類歴史の全てを肉と骨と心情に刻んでくださったので、私たち全てに通じることができるお方です。ですから、その真の父母様に全てを学ばなければなりません。そして、信じ、侍り、奉り、一つになって真の父母様と共に蕩減復帰の道を行くのです。

 そのお方と共に蕩減復帰の道を行くにあたり、身の回り全ての事柄から神様の声を聞かなければなりません。何気ない日常から神様と真の父母様の声を聞き、神様と真の父母様の願いと一つにならなければならないのです。

 私たちは、自分の中に起こる喜怒哀楽を、ただ自分の側からだけ見てしまうことが多いのです。それは堕落人間がサタンから受け継いだ観点です。神様の目で、真の父母様の目で見るとすれば、子供の行動を見て叱しかるとき、落胆するとき、神様が私を見てこのように叱っておられるのだ、落胆しておられるのだと考えて見なければなりません。

 そうすると、むやみに子供を叱れなくなるし、不甲斐ない姿を見ても落胆できなくなります。そして、そこから学ぶことができます。 

 そういった意味で、自分自身の喜怒哀楽を通して、神様、真の父母様と自分をつなぎ直す作業をしてみると、今まで見てきた景色とはまるで違う世界が見えてくるはずです。

 一般の会社に勤めていたとき、午後3時から仕事を始めて、翌日の明け方5時に引き継ぎをして家に戻り、駐車場に車を止めて冬の空を見上げ、空の星につぶやいたものです。「家で少し寝たら、教会に行きます。出発式をして、講話をして、昼を食べたらまた講義をして、2時になったら会社に向かいます。体がバラバラになりそうです」と。そして最後にこう言うのです。「お父様にもこんな気持ちになることがありましたか?」すると星が一層輝いて見え、どこからともなく「神様も父母様も、大変な道を来られたのだ」という気持ちが起こってきて、頑張ろうという力がわいてくるのです。

 私のささやかな体験ですが、皆さんもご自分の喜怒哀楽を見つめながら、神様が皆さんに伝えようとされるメッセージを聞いてほしいのです。問いかけをすると授受作用が始まるので、力が与えられます。神様と父母様が、私のすぐ近くにおられることが分かります。

 そうして、自分の生活の一つ一つを神様と真の父母様に結んでいくとき、神様と真の父母様の心情に触れて悔い改めることができます。そこから自分自身が変わっていくことが感じられると思います。そうすると、周囲に変化が現れるのです。

 きょうから「神様と父母様に対する問いかけ」を実践してみてください。そうして、自分の生活の中に神様と父母様を迎えながら生活する感覚が分かる私たちになれたらと思います。悔い改めが自分に変化をもたらし、神様と父子の因縁を取り戻し、歴史の中で生じてしまった蕩減という穴を埋めていくことができ、真の父母様の価値を知ることができます。そして、神様と真の父母様と父子の因縁を固く結ぶことができると信じます。

 ありがとうございました。
posted by ffwpu at 18:20| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。