
篠崎幸郎
<2012 冬季 牧会者説教集 P.107~111>
原理はサタン屈伏の典型的路程としてヤコブを立て、そののち神様はヤコブの象徴的勝利を、モーセで形象的路程、イエスで実体的路程として展開してこられました。『原理講論』では、民族的カナン復帰路程、世界的カナン復帰路程と、目指すゴールはカナン、すなわち国家でした。神様の復帰摂理は、神様の主権、国民、国土を持つ天一国建設の基元節が一つのゴールであり、また新しい出発点になります。
今や、基元節を直前に迎える今日、私たちはどのような人生を辿ってきましたか。そして辿っていきますか。私たちの人生は真の父母様と共にありました。きょうのきょうまでそうでした。間違いありません。これからはどうでしょうか。お父様と共に生きた人は、お父様の声、「アラッソヨ!」の言葉が耳に残っています。満面の笑顔、手振り身振り、体全体で表現される歌声……、懐かしいです。そして寂しいですね。しかし、そのお父様の地上における人格的な香りを感じる時代は終わりました。今後未来にどんな罪のない時代が来ても、もう地上界でお父様に直接、実体でお会いすることはありません。やがてはこの地上で真の父母様に一度でも会ったことのある人がみな霊界に行って、地上に全くいなくなる時代が来ます。
お父様の聖和式の後、9月25日の朴普熙会長による追慕礼拝を受けた時、「使徒行伝第1章が始まったなあ」と感じました。聖書におけるイエス様の生前の活動を中心とする四福音書の時代を終え、生前にイエス様に直接侍った弟子たちが聖霊を迎えて、新しく生まれ変わり、その使徒たちの業績を著した使徒行伝の時代です。私たち統一家も真のお父様の生前中に共に生き、共に歩み、直接侍り、多くのみ言と愛を受けた者です。
お父様がかつて米国で『ニューズウィーク』の記者にインタビューされた時、「あなたはメシヤですか?」の問いに「Yes ! 私はメシヤです。……そしてあなたもメシヤです!」と明快な答えで瞬間的に記者を感動させ、満足させました。
私たちは天地人真の父母様より全ての相続を受けた者、「私は新氏族メシヤである」……、そこから使徒行伝の第1章が始まるのです。
そのタイトルを最後に託されたのは「基元節と祖国光復のための新氏族メシヤ3600人原理本体論30日特別教育」の出発にありました。この教育が始まる経緯について話しましょう。
真のお父様は毎日訓読会において「誰も天国に入れる者がいない」と涙されていたというのです。そしてついに韓国の牧会者の先生を前に「私はお前たちに言いたい話があるが、お前たちは私の言葉に従ってくれるか?」と3回も尋ねられたというのです。「はい、します。お父様、お話しください。今から私たちはその言葉どおりに生きます」と言ったので、「そうか、それなら話そう」。そう語られて始まったのが、「原理本体論30日特別教育」なのです。
「これが最後の動員である」。これを聞いたとき、イエス様のゲツセマネの祈りを思い起こしました。「この杯を過ぎ去らせてください。しかし神様のみ意のままになさってください」。瞼が重くなっている弟子たちに「起きて祈っていなさい」と忠告しながら三度血のしたたりのような汗と涙をもって祈られるイエス様。「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうかみ意こころが行われますように」。眠りこける弟子たちを見つめ、十字架の死の道を決意されました。「もうよい。時が来た」と。死の峠を越え復活の勝利をもって再臨の未来に託されました。
真のお父様も、この原理本体論30日特別教育に何を託されたのでしょうか? 日本の原理本体論30日特別教育が終わった報告を宋総会長がされた夜から容体が悪化しました。一度入院された後、天正宮博物館に一時帰られ、「全てを成した。全てを成した」と宣布され、「オンマ、ありがとう!」の言葉を残され病院に向かわれるお父様。それから聖和されるまでの21日間、13本のチューブが体の中に通され、動かないようにベッドに縛られているお姿は十字架上のイエス様のお姿のようであったというのです。
全ては「基元節と祖国光復のため」、ここに意味があります。お父様は祖国光復をもって、基元節に神様に実体的天一国を捧げ、私たちを天国に入籍させて、神様の夢を実現されます。人生の全てをために生き、怨讐のためにも犠牲の真の愛の道を貫いたお父様、死の場の道も自らの命を代価に開拓されたに違いありません。神様のために、私たち人類のために、基元節を勝利するために。
私は清心平和ワールドセンター奉献式の式典の時、最後の万歳の掛け声の中で叫ばれるお父様の言葉が耳から離れません。「お前たちを祝福したのは先生だ。捨てるのはもったいない。あきらめられない」と。
そしてまた、私は7月22日、「ピース・キングカップ」でお付きの先生に抱えられながら観覧席からフィールドに移動される時のお父様のまなざしを忘れることができません。それが地上で真のお父様のまなざしを拝見した最後の瞬間となりました。お父様は全てを成されましたが、そのまなざしは「ペテロの否定とイエス様のまなざし」と重なりました。
ペテロは縛られ、引かれていって拷問を受けられるイエス様を前に3度、イエスを「知らない」と否定しました。彼が3度目に激しく否定しているうちにたちまち鶏が鳴きました。獄にでも、死に至るまでもイエス様と共に行くと覚悟して誓ったペテロでしたが、いざとなったら、そのように否定してしまいました。その時、イエス様は振り向いてペテロを見つめられました。イエス様は悲しみに沈んだまなざしでじっとペテロを見つめられたのです。無言の悲しみのこもったまなざしはペテロを剣のように刺し抜きました。
晩餐の時、イエス様が「3度私を知らないと言うだろう」という言葉を思い出し、ペテロは外に出て激しく泣いたのです。この時ペテロは初めて自分の弱さを知ったのです。しかし、イエス様のまなざしは悲しみの中にも赦しと励ましの無言の語り掛けがあったのです。「分かっているよ、ペテロ。分かっているよ。今までのことはよい。自分の弱さに気付いたのだから。これからだ。お前が立ち直るよう祈っているよ。お前が立ち直ったときには、兄弟たちを元気づけてやりなさい。この慟哭を体験したお前は兄弟たちを助けてあげることができる」と。
その時のお父様の最後のまなざしは私の心に永遠に残るまなざしとなりました。
私たちは実績のなさゆえに自分を振り返って、心が弱くなり、あきらめてしまいそうになってしまうでしょう。どんな苦悶を味わい、恥の深みに入り込んだとしても、真の父母様は決してあきらめることなく、真実の愛と赦しのまなざしで励ましてくださるのです。私たちは新しい力を受け、真の父母様の夢を相続して実現していかなければなりません。それは実体的天一国建設です。
今この瞬間も、基元節のゴールまでまだ時間があるのです。皆さん、教会を信じて天国に行くことを望んでいるかもしれませんが、この地上で実績を積んでいかなければ、霊界でお父様に挨拶することもできません。恥ずかしいことです。私たちは実績が必要です。私たちは全ての精誠を尽くして天国を建設する群れです。自分自身の心身はもちろん、全ての所有権と環境までも全部投入しなければなりません。そして国家の運命、世界の運命に責任を持たなければなりません。
中断なき前進。新氏族メシヤとして、神様、お父様と一体になられたお母様と一つになって、天一国創建の花を咲かせて、真の父母様、原理を地の果てまで伝えていきましょう。さあ! 使徒行伝第1章の幕開けです。