2013年04月13日

人生の幸福への道は神様を愛すること

笠井良夫.jpg統一教会
 笠井良夫
<2012 秋季 牧会者説教集 P.127~134>

訓読:『天聖経』「成約人への道」p.1566 より

 「世界的な人物になるためには、どうしなければならないでしょうか。人倫道徳だけを中心としてはいけません。人だけを中心としてはいけないのです。人だけを中心としては国を越えることができません。国を越えるそのような内容は、天にあるのです。天宙思想をもたずしては国を超越できないのです。ですから聖人たちが何を紹介したのかといえば、人間だけを紹介したのではなく、神様を紹介しました。聖人の等級に同参した人々を見れば、神様を崇拝しましたか、しませんでした。神様を抜きにして聖人になった人がいますか。また聖人たちは人倫の道理だけ教えてくれたのではなく、天倫の道理を兼ねて教えてくれたのです」

 「家庭で父母に尽くし愛する人は、孝子です。国のために生き、愛する人は、愛国者です。世界を愛する人は、聖人です。それでは、先生が教えるものとは何ですか。神様と世界と宇宙を愛する聖子になれというのです。皆さんは、どんなものになりますか。聖子になりますか。孝子、孝女になりますか。そうなるには神様のような愛を心にもたなければなりません」


 「神様は、短い生涯を生きて死んでいく人間の前に、一番良い標語、一番良い課題を賦与せざるを得ないので、その課題を『誰よりも神様を愛しなさい』という標語として掲げたというのです。それによって、誰もなることのできない神様の息子になれるのです」

 訓読した中に「神様を愛しなさい」という内容がありますが、人倫道徳だけを中心としてはいけません。神様が出てこなければいけません。神様は私たちに最も良いみ言である、「誰よりも神様を愛しなさい」というみ言を与えてくださったのです。

 私たちは、神様を信じていますが、私たちは幸い、真の父母様がみ言を通して神様をしっかりと教えてくださっています。ありがたいことです。神様をどう捉えるかによって、人生、生き方が全く変わってきます。


 「神は偉大なり」と言って、『クルアーン』と武器を持って戦うのが、イスラームの過激派の人たちです。戦争することを、神様が果たして喜ぶだろうかと疑問に思います。イスラームは、信仰的には熱心なのですが、断食をしないと、敬拝しないと罰が与えられる、悪いことが起きてしまうと考えています。神様をものすごく恐れて信仰しているというのです。

 キリスト教の神観は、神様は全知全能で、高いところにおられ、絶対者で偉大な方、このような捉え方です。神様が嘆かれるとか、神様が涙を流されるとか、そういうふうには考えないのです。人間に5パーセントの責任分担があり、その責任分担を全うすることと、神様の責任分担とが合わさってみ旨が成就するという考え方はないのです。

 神様をどう捉えるかによって、私たちの人生観が全く変わってくるのです。神様をはっきりと知ることが大切です。神様はどういう立場であるかというと、神様は中心であって、点です。その点が核です。神様は縦的な方なので、軸になります。その神様が中心であって、軸である神様から離れてしまうことは、その軸からずれるということになります。ですから、中心であり軸である神様から離れてはいけないのです。

 しかしながら、私たちは神様から離れてしまったので、軸から外れてしまったのです。なぜかというと、アダムとエバの堕落によって偽りの父母から出発してしまったので、偽りの家庭になって、偽りの社会、そして偽りの国と世界が実現して、その中で私たちは住んでいるのです。結局、中心軸から外れてずれてしまった状態です。本当は神様のものだったのに、サタンが神様のものを全部横取りして、自分のものにしてしまっているわけです。

 だから、神様の存在を否定しないといけなくなっているのが、今の現実の世界であるのです。ですから、唯物論とか無神論とか、そのような考え方が広がって、神様を信じる人よりも神様を信じない人のほうがたくさん広がっているのが実情です。神様のことを信じている人もいますが、神様を信じるのがあいまいなために、「神様はいない」と、神様を否定する人に対して、論理的に説得できないのです。だから、どちらかと言えば、神様がいないという主張の影響を受けてしまっているのが、今の世の中です。

 そのように神様のものを横取りしたサタンが、神様のものではないと言い、否定したその思想、無神論、唯物主義の考え方を広げたのです。その中で、神様がいらっしゃり、父であると宣言した方が、イエス様だったのです。ところが、イエス様は真実を言ったのに、その真実の言葉ゆえに十字架につけられ、殺されてしまうという結果になってしまいました。真実を話すとこの世から抹殺される、厳しい状況があるのです。

 ですから、私たち統一教会がなぜ、迫害を受けるか。それは、真の父母様が真実を正しく発表されるからです。真実に対して、サタンは放っておけないので、さまざまなサタン的な人を使って、迫害をし攻撃してくるのです。真実を言えば言うほど、サタンにとっては困るので、それを放っておけないので、迫害をし、言葉をふさいでしまうのです。そのようにするのが、サタンの攻勢であるのです。

 基元節が間近になった現在、真の父母様の勝利により、私たちに神様の姿を鏡に映すようにはっきりと教えてくださっているのが、原理本体論です。

 万民が原理をよく理解して、また講義ができるようにという願いを込めて、真の父母様のみ言を整理してまとめたのが、『原理講論』です。1966年に発表されました。42年経った2008年9月1日に、原理本体論という内容で発表されるようになったのです。『原理講論』では、神様の内容が形象的に表現されていた部分が、原理本体論では明らかに表現されています。原理本体が神様をより詳しく説き明かしているのです。

 お父様は今まで、神様の根本的内容を胸に秘めてこられたのですが、原理本体論を通して、私たちは、神様の姿をはっきりと見ることができるようになり、神様が身近に感じられるようになりました。自分の父母のように、神様が近くに感じられるようになります。原理本体論を学ぶと、そう感じます。

 神様の本質的属性は心情です。この心情は、真の愛の根であり、人格の核です。この心情は、対象を通して喜びたい愛したいという、抑えることができない衝動心です。神様が働くと正しいことをしたくなるのです。

 反対に、神様から離れると、自己中心になるのです。それは、サタンがそのようにさせてしまうからです。自己中心になると、どうなるか。心と体が戦うのです。葛藤するのです。そして夫婦で葛藤し、戦うのです。また親子で戦うのです。そして家庭同士で戦い、地域社会で戦うのです。国と国とで戦うようになってくるのです。結局、自己中心は争いになるのです。サタンがつくった世の中は、そのようになっているのです。

 ところで、神様が働くとどうなるかというと、心情が溢あふれ、愛が溢れるので、良いことをしたくなるのです。躊ちゅう躇ちょせずに正しいことにまっすぐ向かって行けるのです。それが神様が働く心情なのです。愛とか心情というのは、一つにすることができるのです。要するに、夫婦が戦うのは、愛とか心情が足りないからです。愛とか心情が溢れると、夫婦が互いを大事にしようとするのです。

 神様の愛は、人間の親でもそうですが、子供たちが何人かいる中で、不自由で不憫である子供がいれば、その子供が親から見れば、胸が痛むのです。神様が真の親であれば、どう見るでしょうか。不自由な人間がいたら、不幸な人間がいたら、神様の心を一番痛めているのが、その人間です。ですから神様の心情が分かり、「神様が胸を痛めている」と思えば、神様の心情を慰めようとし、神様の心配事をなくしたいと思うようになり、かわいそうな人を大切にしようとするようになるのです。だから、心情が神様につながれば、ために生き、犠牲になることはなんでもないようになるのです。ですから、奉仕や犠牲は、喜んでできるのです。これが、神様につながっている、神様と一つになっている立場です。

 ところが私たちは、神様と一緒にいるのは瞬間です。瞬間的には、そういう時があるけれども、すぐに離れてしまいます。しかし、いつもそのような立場にある方が、誰でしょうか。それがメシヤです。その方が再臨主、真の父母様です。再臨主、真の父母様は、いつもそのような立場に立っていらっしゃいます。

 どこが違うかと言うと、種が違うのです。真の父母様は、神様の精子と卵子によって生まれたので、血統が神様の血統であるのです。神様の血統であれば、心情が神様につながっているのです。

 堕落とは何かというと、血統が違うようになり、心情が切れてしまったことです。私たちは、偽りの父母から生まれてきた子孫ですから、血統が変わってしまい、心情が切れてしまっている状態です。そういう私たちを、真の父母様は聖酒式、祝福式を通して血統転換してくださったのです。

 しかし真の父母様は、直接、神様の血統で生まれたのです。3歳の時から神様のみ言を聞きながら育ってきたのです。16歳(数え)の時、イエス様が果たすことができなかった神様のみ旨を知り、天命を受けて立っていかれたのですが、3歳の時から既に神様のみ言を聞いて育っていかれたお父様であったのです。イエス様もマリヤのおなかから生まれてきたけれども、神様の血統をもって生まれてきました。イエス様は3年で十字架にかかったので、言いたいことをほとんど胸に全部つめたまま十字架で亡くなってしまわれたので、どれほど無念だったでしょうか。

 アダムはどうでしょうか。アダムとエバは神の血統をもって生まれました、堕落する前までは、アダム、エバは神様のひざの上で戯れながら育ったというのです。ところが、堕落することによって、血統が変わり、心情が切れてしまったのです。

 真の父母様は、今まで本当に苦労してこられました。ただひたすら神様の解放と人類の解放のために寸暇を惜しみながら歩んでこられました。そして、基元節があと6カ月に迫ってきています。その日がどれほど大事で、待ちに待った日であるかをあまりにもご存じであられる真の父母様は、精誠の限りを尽くして準備しておられます。

 基元節とは、神様の創造目的が完了する日です。天国の起源が出発するのです。その日を神様がどれほど待ちわびてこられたでしょうか。神様のその心情をあまりも感じるがゆえに、お父様は気が狂うほど精誠を尽くして、その日を迎えるために基準を立ててこられたのです。

 真のお父様は血統が違うので、いつも心情が神様と一つになっています。心情は真の愛の根ですから、真の愛に生き、ために生きたくて仕方がないのです。ですから私たちも、神の心情とつながることが大事です。

 尽くしても尽くしても、さらに尽くしたい、与えても与えても、与えたことを忘れてしまう、それが真の愛です。そして、嫌なものを全部受け入れることができるのが、真の愛です。真の愛によって、私の心と体が一つになり、真の愛によって夫婦が一つになり、家族が一つになり、氏族が一つになり、国と国が一つになり、世界が一つになるのです。真の愛なくしては、難しいのです。

 この真の愛の中心が誰か。神様です。だから軸がずれなかったら、神様を中心軸として永遠に回ることができるのです。

 地球は太陽を中心として回転し、きっちり元に戻ってくるのです。1年365日、ほとんどずれないのです。本当に正確な時計のようです。ピタッと元に戻ってきます。それは太陽を中心としてずれないからです。もしずれたら大変です。近くになっても遠くになっても大変です。

 もし月が地球から離れたらどうなるか。大変なことになるのです。月の引力で地球の海が満ち潮になったり、引き潮になったりします。それによって海流が起こっています。水は流れないと腐ってしまいます。水が腐れば、そこに生きるものが全部死んでしまいます。ですから流れることが大事です。月が地球と一緒にあることで、月の引力のおかげで、海が1メートルくらい高くなったり低くなったりしています。地球も呼吸しているのです。

 このようにして地球は太陽を中心としてきっちりと回り、秩序が保たれています。もし地球が少しでも太陽に近くなれば、すぐに温度が上がります。少し離れれば、温度が下がります。温度が上がると温暖化現象が激しくなって、海の温度が上がり、魚も全然とれなくなります。下がると、今度は寒くなって大変です。ですから、ちょうどいい距離を保ちながら回ることがどれほど大事であるかというのです。

 神様は永遠、不変、唯一、絶対です。だから絶対中心であられる神様からずれないで一つになることが、本当に大切です。私たちは、そこを目指していかなければなりません。神様の姿、神様の存在をはっきりと知り、神様と一つになって、神様に似た者となって、そして神様の愛を受ける私たちとなっていく、その道が私たちの幸福の道、幸せな人生を歩む道であるのです。

 基元節を迎えるにあたり、お父様が最終的な内容を教えるみ言を与えてくださっているので、有り難く感謝です。与えてくださるみ言をかみしめながら、しっかりと歩んで頑張っていきましょう。ありがとうございました。


posted by ffwpu at 10:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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