2013年02月02日

真実の目

HGN hiroshima-2.jpg統一教
世界会長 文亨進

<光言社刊 『文亨進説教集5 克服と成長』P.73~82>

二〇〇八年六月二十二日

困難を克服できる力がある
皆さん、本当に祝福された人生を生きたいと思えば、真実の目で人生を見つめることができなければなりません。何かの偏見や不安に満ちた目で人生を見つめる人々がいます。しかし、そのような人生の態度は私たちに全く有益ではありません。私たちは、より勇ましくならなければなりません。もちろん、好むと好まざるとにかかわらず、私たちはみな、人生で何かの障害物や挑戦、困難に出遭うでしょう。重要なことは、このような否定的な内容を克服できる力が私たちにあるという事実を悟ることです。

ある意味で、このような試練は、私たちをより強い人に成長できるように助けてくれるでしょう。したがって私たちは、否定的な状況の中でも感謝できる心をもたなければなりません。人生に対するこのような観点こそ、神様が私たちに下さった真実であり、祝福された人生のための出発点になると思います。

私たちの人生には奇跡的なことがたくさんあります。事実、今、私たちが息をしながら生きているということ自体が奇跡であり得ます。たとえ私たちに与えられた時間が百年以内に限られていたとしても、勇気をもって生きていくならば、私たちは人生で、家庭で、教会共同体で、より多くの奇跡を発見することができるでしょう。この歴史的な時代を生きていく間、家族と友人をもっており、良い教会共同体に属しているという事実に感謝する心をもってください。できる限り多くの人々に勇気を与え、祝福の人生を送ろうという固い意志をもってください。


ある人々は、「どうやって生きても、苦難や困難を経験せざるを得ないのであれば、快楽を追い求めながら生きるほうがよい」と言います。もちろん、そのような選択をすることもできます。しかし、記憶すべきことは、ある日、生命が終われば霊界に行くようになるという事実です。そして、私たちの人生は創造主、神様の基準に従って評価されるということです。また「がんにかかったので、すぐに死ぬはずだから、苦しく生きるよりは諦めたほうがいい」と言う人もいます。しかし、神様は諦める人生を生きなさいと、私たちをこの地上に送ってくださったのではありません。私たちには、困難を克服できる力があります。神様は私たちを偉大な存在として創造され、より多くの人々に祝福を分け与える人生を送るよう願っていらっしゃいます。

井戸に落ちた羊の知恵
教訓的な話を一つ聞きました。ある日、井戸に一匹の羊が落ちました。羊の鳴き声を聞いて、羊飼いが走ってきました。羊飼いは、哀れな羊を井戸から救い出すために、あらゆる努力を尽くしました。しかし、羊を救い出す方法を探し出すことはできませんでした。羊飼いは、羊をそのまま井戸に残しておけば、どのみち井戸が使えなくなるので、羊をそのまま井戸に埋めて井戸を閉鎖してしまおうと決心しました。

羊飼いは友人を呼んで井戸を埋め始めました。たくさんの土が井戸の中に降り注がれると、羊はとても驚いて狼狽しました。羊飼いは、羊を本当に真心込めて世話してきたのであり、羊も、羊飼いによく従いました。ところが、今、羊は生き埋めにされようとしているのです。

羊は悲鳴を上げ始め、人々も気持ちが良くありませんでした。

ところが、ある瞬間、羊の悲鳴が聞こえなくなりました。羊飼いは不思議に思って、井戸の中を見下ろしました。すると、驚くべき光景が現れました。羊は、頭と背中に落ちてくる土を振り払い、地面を押し固めてその上に立っていたのです。続けてそれを繰り返すと、羊は少しずつ井戸の上のほうに上がってくるようになり、ついに井戸から抜け出てくることができました。

私たちの人生にも、投げられる土のような障害物、苦難と試練があります。とても多くの人々が、土が自分を埋めるまでほったらかしにしています。しかし、絶対にそのように放っておいてはいけません。井戸に落ちた羊のように、土を振り払ってしっかり押し固め、その上に立たなければなりません。そうすることができれば、人生の障害物、苦難と試練は、私たちをより強く成長させるチャンスとなり、足場となるでしょう。

イスラエル民族が出エジプト後に荒野生活をしている時、レピデムという地域でアマレクの攻撃を受けるようになります。この時、モーセはヨシュアに、「私は神様の杖を持って丘の頂に立っているので、お前はアマレクと戦いなさい」という指示を下しました。当時、イスラエルを攻撃するアマレクの軍隊は、その数がおびただしいだけでなく、とても強靭に見えました。ヨシュアは、モーセの指示を受けて戦争に臨みましたが、死ぬかもしれないという恐怖を抱いたことでしょう。

ところで、驚くべきことに、丘の頂に上がったモーセが神様の杖を持ち上げると、イスラエル民族が優位を占め、下ろすと戦況が傾くのでした。モーセの近くにいたアロンとホルがこれを見て、モーセの手を支えて一日中、神様の杖が天に向かって持ち上がっているように助けると、イスラエル民族は戦争で勝利を収めるようになりました。

ヨシュアは最初、モーセが丘の頂に上がっていると言った時、「モーセよ! どうしてあなたは安全な丘の頂に上がられ、私は生死を決する戦場に送り出されるのですか」と言って不平を言うこともできました。しかし、彼は、モーセを通して役事される神様を信じました。

ヨシュアは、モーセが単に自分だけの安全のために丘の頂に上がったのでないということを信じて、戦争が与える、いかなる疑心と不安を振り払いました。共にいてくださる神様、勝利を約束してくださった神様を信じて、大胆に戦って大きな勝利を収めたのです。

お父様の信仰基準とは
天に向かう絶対的な信仰で勝利した例は、お父様の人生でも発見することができます。二〇〇三年、お父様はニューヨークのウェストチェスター病院に入院されました。お父様は、そのような事実を公開することを嫌われたため、おそらくこの事実を御存じの方は極めて少数だったと思います。

医師たちは、八十四歳のお父様が以前のように健康を回復することはできないと考えました。それほどお父様の健康は良くなく、一人で歩く力もなかったのです。多くの検査と治療が続きました。お父様は病気の中でも、祈祷と精誠を欠かすことがありませんでした。毎日、お母様と一緒に訓読会をされ、絶えず祈祷をされました。そのようなお父様を拝見しながら、神様に向かうその信仰基準がどれほど絶対的で偉大であるかを悟ることができました。普通の人であれば治療を諦めたいと思ったかもしれず、不安と心配に陥る可能性もあったはずです。恥ずかしいことですが、私もその状況で、お父様が今霊界に行かれれば、教会に危機が訪れるかもしれないという考えをしたことがありました。

しかし、お父様は恐れませんでした。常に、毎日毎日、さらに早く起きて精誠を捧げられ、健康のために努力されました。それからは奇跡的に回復され、再びイースト・ガーデンに戻ってこられました。もちろん、戻ってくる時に、お父様の健康が完璧に回復していたのではありません。お父様の努力は続きました。一人で腕立て伏せをされ、歩く運動もされました。何より霊的な生活をより強化されました。以前は普通、午前二時に起きられたのですが、十二時になると起きて、祈祷と瞑想をされ、み言を訓読されました。五時になると必ずお母様と子女たちを呼ばれ、訓読会を一緒にされました。当時、お父様はそのように命を懸けた闘いをされ、勝利されました。

その時、私がカメラを持ってお父様を追い回しながら白黒写真を撮ったのが、『The Moment(瞬間)』の写真です。実際、写真に撮られることはとても面倒なことです。「今、何をしているのだ。まだ健康も完全でないのに、カメラを突きつけてしきりに写真を撮るのか!」とおっしゃることもできました。しかし、お父様は一度も、私が写真を撮ることに対して否定的なみ言をおっしゃいませんでした。当時を思うと、申し訳ない気持ちにもなりますが、今は、その貴重な瞬間(Moment)を撮れたことに感謝する心のほうが大きいです。死の淵に立っていらっしゃいましたが、不安と否定的な考えを全て振り払われ、より高い所に向かって一歩一歩上がられ、結局、勝利されたそのお姿を、写真を通していつまでも記憶することでしょう。

神様が下さった真実の目
真のお父様を思って、自分の人生を振り返ってみてくださるようお願いします。ここにいらっしゃる食口の中の何人かの方々は、今、この瞬間、困難な状況に置かれているかもしれません。それは経済的な問題であるかもしれず、人々との関係であるかもしれず、健康問題であるかもしれません。そのような時、私たちは、そのような困難を克服できる力があるのか、自分を疑うようになります。ちょうど、暗く陰鬱な谷間を歩いているような気持ちになるでしょう。しかし、記憶すべきことは、一歩ずつ進めば、闇を過ぎて光を発見できるということです。

モーセは八十歳で神様の召命を受けました。八十歳といえば、新しいことを始めるにはとても遅い年齢であると考えやすいでしょう。しかし、モーセは、天が下さった使命を受け止め、出エジプトという大役事を導く指導者になりました。

ダビデは、十六歳で天のみ声を聞きました。十六歳といえば、とても若い年齢であると考えられるでしょう。しかし、ダビデは神様を信じて、堂々と進み出てゴリアテを撃退し、のちにイスラエルの王になりました。

神様が皆さんに生命を下さったということは、皆さんはこの世の中で成すべき召命があるということです。いかなる困難と挑戦と障害物に遭っても、皆さんには、それを克服できる力があります。神様が下さった真実の目で皆さんを見つめてください。そうすれば、神様も助けてくださるでしょう。 

私と妻が麻浦教会で牧会を始めた時、私たちの牧会がさほど続かないだろうと考える人たちがいました。そのような言葉を聞くたびに否定的な考えをもつ可能性もありましたが、そうしませんでした。そして、今、私たちの牧会は毎日、前進しています。

また、私が國進兄さんと一緒に働く時、「子女様たちはみな性格が強いので、お互いにけんかして仲たがいするだろう」と考える人々もいました。しかし、私は國進兄さんと一緒に働きながら新しい真の家庭の姿を見せてあげようと誓い、今までお互いに協力しながら、つになって一緒に働いています。今後も同じです。教会や摂理に対する否定的な言葉と考えに捉われず、一段階、一段階、勝利に向かって進んでいくつもりです。

大胆に人生を生きていく
私たちは今、統一教会員であることを誇らなければならず、そのような誇らしい統一教会をつくっていかなければなりません。多くの人々が、「どうやって二万人教会、四万人教会、何十万人教会をつくることができるのか!」と心配します。しかし、私は成し遂げることができると信じます。私はそのような否定的な考えを振り払って前に進んでいくのであり、そのような努力が既に始まっています。

神様は私たちに、無限の潜在力を下さいました。皆さんがそれを認識されていようといまいと、それは否定することのできない真実です。皆さん自身を見つめるときに、犠牲者、あるいは敗北者の観点で見つめないでください。神様は皆さんに、勝利する人生を祝福してくださいました。皆さんは、偉大な人生を送るはずであり、神様と真の父母様に輝く栄光を帰するでしょう。私たちが真実の目で私たちを見つめ、大胆に人生を生きていけば、私たちはより多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得るでしょう。神様と真の父母様が下さった祝福の人生を送ることができるでしょう。


7satusetto.jpg資料提供:光言社
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posted by ffwpu at 10:00| 文亨進様説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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