木戸信太郎
<2012 秋季 牧会者説教集 P.69~73>
訓読:『平和神経』霊界報告書─神様は人類の父母より
「わたしは万軍の主(ヤハウェ)である。わたしは万軍の主である。わたしは万軍の主である!
わたしの愛する息子よ。わたしの愛する息子よ。わたしの愛する息子よ!
わたし、万軍の主は、真の父母を愛している。この上なく愛している。この上なく大切である!
何をもって感謝と慰労の言葉を、息子に伝えることができようか。愛しているという言葉より、もっと良い言葉があれば、その言葉を借りたいが、思い浮かばない!
真の父母は、わたしの心の深いところに根付いているが、その愛は表現できない。真の父母は、今すべてのことに勝利し、すべてのことを軌道に乗せたがゆえに、今や人類の救世主であり、メシヤであり、その立場は、まさしく王の立場ではないだろうか!
キリスト教とその他の教団が決意文を採択し、真の父母に侍っていくことを満場一致で決議して宣布したので、真の父母は、人類の真の父母の位置に就くのがふさわしく、そのみ旨を成すことを、万軍の主は願う!
もちろん、多くの世人たちは理解できないかもしれないが、内的立場は立てなければならないがゆえに、万軍の主は、愛する真の父母を王の位置に推戴する!
そのあらゆる獄苦の立場、受難の立場を、万軍の主に代わってすべて払ってくれたので、万軍の主の心情は、感謝と、感激と、興奮と有り難さに満ち、これからは、真の父母にすべてのものを譲り渡してあげたい、すべてのものを相続させてあげたい!
わたしの愛する真の父母!
神は、心で多くの哀訴の日々を送つたが、長い間この機会を迎えることができなかつた! 今、万軍の主の心情をくみ取ってくれた。それゆえ、この大切で貴重な時間に、わたしが愛する真の父母に、感謝の心を伝えようと思う次第である。
真の父母、わたしの愛する真の父母!
わたしの懐に抱いて、抱き締めて、離したくない真の父母!
二本の足で歩くのがもったいない!
夜通し抱きしめて、心のすべてを打ち明けたい!
万軍の主は信じる、真の父母を信じる。
その間の胸痛む事情、経験した苦難とつらさを……。
主は知っている、記憶している、すべて見てきたのである!
すべてのことが神の責任であることを
真の父母が耐え忍び、勝利の基準を立てたのだから、
どうして万軍の主が真の父母を忘れることができようか。
ありがとう。感謝している。本当に御苦労だった!
わたしの愛する真の父母、万歳!
人類の救世主、万歳! 万王の王、真の父母、万歳!
万軍の主が、わたしの愛する真の父母に切実に伝える」
(2001年12月28日)
親の愛はお金では計れないもの
私たちはこの世に生まれ落ちて以来、どれほど両親から深く愛を受け続けてきたでしょうか。赤ん坊に接する親の、特に母親の愛情はいかばかり深いでしょうか。2時間おきの授乳、おむつ換え。肌着、タオル、ガーゼなどなどの洗濯の山。外出時の哺乳瓶などの準備と支度などなど。それはそれは、母親の全てといってよいほどの時間を犠牲にしての子育て生活です。
全ての人々は、こうした有形、無形の両親の愛の手を経て育てられた訳ですから、自身の父母に対しては「一生涯、親に孝行を尽くさなければならない」という、はっきりとした心の声に従って生きることが、私たちの“幸せ” であるということが分かります。
しかし、こうした親の愛に対して、真反対とも言える情念が渦巻く場合もあることを、私たちは知っています。親に対する誤解、憎悪の念を抱いて人生を歩む人もいるというのです。
こうした様々な形での親子の間柄により、「三つ子の魂百まで」とまで言われる、基本的人格の中心核が形成されるのですから、この関係から生ずる情の世界は看過できないものがあるわけです。
『こころのチキンスープ』(ダイヤモンド社刊)という本に以下のような内容が記述されています。
「うちの小さな息子が、ある晩、キッチンで夕食の支度をしている私の妻の側に来て、何か書いたものを渡した。妻はエプロンで手を拭いて、それを読んだ。
芝生を刈った……5ドル、自分の部屋を掃除した……1ドル、お使いに行った……50セント、ママが出かけた時、弟の面倒を見た……25セント、生ゴミを外に出した……1ドル、良い点を採った……5ドル、庭を掃除した……2ドル、合計14ドル75セントの貸し。
妻は返事を待って立っている息子の顔を見た。様々な思いが妻の脳裏をよぎっているようだ。つと、妻はペンを取り、その紙の裏にこう書いた。10カ月間、私の中であなたが育つのを待って運んで回ったのは──無料。いく夜も寝ずの看病をし、治るのを祈ったのは──無料。この歳月、あなたのためにつらい思いをし、涙を流したのは──無料。全てを足してみても、私の愛の値段は、無料です。怖れで眠れなかった夜も、味わうと分かっていた心配事も──無料。オモチャも、食べ物も、着るものも、あなたの鼻をかんであげたのも──無料。それを全部足しても、本当の愛の値段は──無料です。
読み終えた息子の目に、久しぶりに大粒の涙が浮かんでいた。彼はまっすぐに母親の目を見つめると言った。『ママ、ぼく、ママが大好き』そう言ってペンを取ると、大きな字で、彼はこう書いた。『ぜんがく支払い済み』」
当然のことながら、親の愛は金額がつけられるものではありません。
親の声は、子の人生の指標
私たち統一教会の食口には、真の父母様がいらっしゃいます。家庭での親でも子に対しては深い愛情を示すのに、人類の救世主、メシヤ、万王の王、真の父母であられる方の、その愛の深さはいかばかりでしょうか。
「私が人を疑う時、私は苦痛を感じます。私が人を審判する時、私は耐えられなくなります。私が人を憎悪する時、私は存在価値を失ってしまいます。
しかし、もし私が信じれば、私はだまされてしまいます。この夕べ、私は頭を抱え、苦痛と悲しさに震えています。私が間違っているのでしょうか。そうです。私が間違っているのです。
たとえ、騙だまされたとしても、彼を信じなければなりません。たとえ、裏切られたとしても、許さなければなりません。憎悪する者までも根こそぎ愛してください。
涙を拭いて笑顔で迎えてください。他人を騙すことだけしか知らない者たちを、裏切っても悔い改めることを知らない者たちまでも。おお主よ、愛するという痛みよ。私のこの苦痛を見てください。燃え上がるこの私の胸に主の御手を置いてください。私の胸は深い苦悩によって破裂しそうです。
しかし、裏切った者たちを愛した時、私は勝利を得ました。もし、あなたも私のように愛するなら、私はあなたに『栄光の王冠』を捧げます」
(「栄光の王冠」1935年、文鮮明)
このような無償の親の愛の姿を、神様は真の父母様を送ってくださることにより、全人類に示してくださいました。その上に、祝福結婚により神の血統に接ぎ木してくださり、その勝利した真の父母様の真の愛の相続を許してくださったのです。私たちの本心は真の父母様に接ぎ木され、「良心は神に優る。良心は父母に優る。良心は師に優る」のですから、神様から、そして真の父母様から直接、“良心の声” として、私たちは導かれているというのです。
「自分の人格をどのようにつくるのかは、すでに良心が知っているので、良心に聞き従いなさい」と言われます。私たちは本心(良心)に背かない、純潔な生活、神様の前に正午定着的生活さえ実践していけばよいのです。
生んでくださった両親の愛の言葉。その言葉さえもが、私たちの人生路程において行くべき道を指し示す“道標” となるのに、天宙の主管主であられる天地人真の父母様による永生につながる真の愛のみ言は、私たちにどれほどの影響と繁栄をもたらすものとなるでしょうか。
天地人真の父母様に感謝し親孝行しなければならない、私たち子女の立場です。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で侍っておられる文亨進・世界会長のごとく、愛を尽くして侍ってまいりましょう。