2012年07月28日

蕩減条件の立て方

杉田佳巳.jpg統一教会
 杉田佳巳
 <2011 春季 牧会者説教集 P.116~120>

 私たちは、摂理の内容を聞けば、「ああ、やらなければならないんだな」ということがわかります。「では、どうすればいいのか」と、こういうようになります。蕩減条件を立てれば、人も万物も心情も復帰できます。では、どのようにして蕩減条件を立てるか、そして復帰を成していくか。それには三つあるのです。これを覚えて実践すればよいのです。

 まず第一番目が、「より神に近い方と心情一体化することによって、その方が責任を持ってくださる」のです。これが蕩減条件の立て方の第一番目なのです。より神に近い方、すなわちアベル圏の方と心情一体化するのです。

 たとえば、伝道対象者を伝道しようとすると、対象者を讒訴しているサタンの讒訴条件というものがあります。だから、このサタンが屈服するだけの条件を、私が立てなければならないのです。しかも、私にもサタンの讒訴条件があるので、自分のサタン分立の条件と、対象者のサタン分立の条件を合わせて立てないと復帰されないのです。もし自分だけでやるとしたら、私がすべてのサタン分立の条件を立てなければならないのです。ですから、私はアベルとつながらざるを得ないのです。

 真の父母様が私たち堕落人間のために条件をすべて立ててくださったのです。それで、アベルを通して真の父母様につながってこそ、真の父母様が立てられた条件を用いることができるのです。だから、いかに私がアベルを通して真の父母様の心情と一つになっていくか、それが鍵なのです。



 「中心性を立てる」というのは、最終的には、神様の心情と一つになるということなのです。アベルを通して行かざるを得ないのです。蕩減復帰の原則です。それは、皆さんがみ旨の中で体験していると思います。中心性と一体化を立てたときには、神様が働かれ、霊界が働いたのです。それは条件が立つからです。復帰が成されるからです。証しというものはこういう所から出てくる訳です。

 「神と中心の前に決意し、誓った内容を投入し続けて、結果を実績として表す」。これが第二番目です。
 神と中心の前に決意して誓った目標とか、その内容を絶対に不信しない、そしてあきらめないで投入し続ける。それが精誠を尽くすという意味です。やらなければよかった、こんなに頑張ったのに何の結果も出ない、何も変わらないと思えば、不平不満になります。そうすると、サタンが侵入してしまいます。
 罪というのは、穴のようなもので、そこをだんだん埋め立てていくと平地になります。そしてそこに建物を建てることができます。蕩減というのは穴埋めにも通じます。信じて、投入して忘れ、投入した記憶さえも忘れるのです。覚えているとどうなるかと言うと、結果が出てこないことに対して不満を持つようになります。
 「祈祷、感謝、前進」とお父様はおっしゃいました。結果が出なくても感謝して前進するのです。なぜかと言うと、積まれているからです。少しずつでも投入した分は積まれているのです。それが100パーセントになったら結果が出てくるのです。そこまで投入し続けないといけないのです。

 大母様も、5本の木と生命水を見つける時、1万拝の敬拝を捧げられました。1万拝ごとに木を復帰されました。ですから6万拝も敬拝をされたのです。その時、4000拝とか6000拝では何も見えなかったということです。8000拝くらいしたらぼんやりと見えてきたそうです。そして、1万拝終わった時には、はっきり見えて、その木が復帰できたそうです。
 だから、何も見えない、手ごたえがないというのは、まだ条件が満ちていないということです。8割くらい満ちてくると手ごたえがある訳です。何かできそうな雰囲気、何かぼんやりとおぼろげながらもビジョンが見えてくる訳です。もっと投入していくと、100パーセントいくと、復帰できる訳です。人も万物も心情も。
 ですから蕩減というのは必ず量があります。量があるということは、有限だということです。無限ではないのです。必ず量があって、それを満たせば結果が出るのです。それを満たせないままに、「結果が出ない」、「おかしい」、「こんなに頑張ったのに」と言っているのです。

 私たち人間には目に見えないのだと、お父様はおっしゃいました。今、どこまで来ているか、神様とサタンだけは知っているとおっしゃいました。しかし、私たちは感じます。何か手ごたえがないというのは、まだまだなのです。でもなんとなくできそうな雰囲気とか、こうすればできるのではないかとか、だんだん明確になってくる訳です。そうなってくると、だいぶ条件が積まれてきたと言う証拠です。だから何も見えない、手ごたえがない時には、ひたすら投入して、投入して、条件を立てていく必要がある訳です。
 精誠を尽くしたことを後悔してはいけないと言われました。精誠を尽くした分はちゃんと蓄えられているという訳です。結果が出るまでにはまだ至ってないのです。だから、祈祷、感謝、前進と言うことは、上乗せしていくことができるということです。
 不平、不満はサタンのえさです。神と中心の前に決意して誓った内容を、結果が出るまで精誠を投入し続けるのです。

 そして三番目は、「すべての環境を甘受して、感謝に変えて消化する」ということです。私の置かれた立場とか責任分担とか、人間関係、そのすべての環境をまず甘んじて受け入れて、感謝の気持ちになるまで消化するのです。
 神様はこの私を天国に連れて行くために、どういう環境が必要か、すべてご存じなのです。愛なる親なる神様ですから、蕩減復帰できる環境を与えられるのです。だから、私に与えられた環境はとんでもない環境だと言うかもしれませんが、実は私に本当に必要な環境なのです。それは先祖の罪によって与えられたと考えることもできますが、愛なる親なる神様が私を天国に連れて行くために、先祖の罪や、連帯的罪、自犯罪を清算できるような環境を与えてくださるのです。だから神様は愛だと言うのです。

 ですから環境から絶対に逃げてはいけないのです。それは、責任を放棄してはいけないということです。甘受しないで不平不満を持つとどうなるかと言うと、サタンが讒訴するのです。サタンが讒訴する条件ができると、自犯罪をたくさんつくりやすいのです。そうすると、これを清算して天国に連れていくためにはより過酷な環境が与えられます。なぜならば、神様が、当然、その罪までも清算できるような環境を与えられるからです。それを短い期間でやらなければならないので、集中して厳しい環境が与えられる訳です。ですから短い期間にさまざまなことが起こってこざるを得ないのです。それを甘受し、感謝しなければいけないのです。それが神様の愛なのだということを絶対に忘れてはいけないのです。

 罪が清算された分だけ環境が良くなるのです。心情的に越えていくのです。そうすると、心情的に天国になるのです。私に心情の地獄のような所が与えられたとしても、それを天国に変えていくのが私の使命です。お父様はすべての地獄を天国に変えようとされているのです。お父様は全世界、全歴史、全天宙の重荷を背負って、それは地獄なのですが、それを天国に変えようとされるのです。私たちはその一部を背負っているのです。自分の環境がたとえどんなに厳しかったとしても、それを天国に変えるのです。それが私たちの使命なのです。
 蕩減条件を立てれば復帰できる、勝利する、この原則は変わらないのです。


posted by ffwpu at 11:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。