2012年04月14日

復帰の心情

栃木・足利・芳賀教会長.jpg統一教会
 芳賀幸一
 <2011 秋季 牧会者説教集 P69~71>

訓読:「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言より
 「皆様、億劫(おっこう)の時間と精誠を注ぎ、ご自身の子女として創造した人間が、堕落によってサタンの血統を受け、暗闇の中に隠れてしまったその瞬間から、神様が受けられたその苦痛がどれほど大きいか、ご存じですか。骨がきしみ、身が震える凄絶な苦痛の中で数千、数万年を耐え、待ってこられた皆様の父が、どれほど長く険難な蕩減のトンネルを経てこられたか、考えてみましたか。このようなかわいそうな父のために、一瞬でも涙を流してみたことがあるのかということです」

 『平和神経』に「歴史は漠然と反復する単純な循環史観ではありません。明確な方向と目的をもって流れているのです。人類歴史は本然の創造理想を回復していく蕩減復帰摂理歴史であり、救援摂理歴史です」とあります。歴史を正しく知るならば、人類を救おうと導いておられる神様を知ることができるのです。しかし、表面的に見ると、人類歴史は闘争の歴史であり、不幸の連続でした。「神がいるなら、なぜ不幸な人間を救わないのか」、「なぜ、悪が栄え、善が打たれるのか」という疑問が生じてしまいます。
 今までいかなる宗教人も、このことに対して明確な答えを出すことはできませんでした。それは神様を全知全能の絶対者として見つめ、神様の事情と心情を知ろうとしなかったからです。
 神様を信じる人のほとんどは自分の救いのためであって、神様が持たれている事情、心情のことは考えません。唯一、文鮮明先生は、そのことを考え、命懸けで探されました。そして、神様の深い悲しみの心情に出会われたのです。その時はあまりの悲しみに涙が止まらず、目がぐちゃぐちゃのかぼちゃのようになったということです。
 神様は堕落している人間を救おうと必死に手を差し伸べてくださったのに、それを人間は何度も不信し、裏切ってきました。アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭と、何度も何度も、信じた人たちから裏切られ、傷つけられてこられました。そして、やっとのことで、人類の救い主として送られたひとり子イエス様を、十字架によって殺害されてしまいました。イエス様が十字架につけられた時、3時間の暗闇に覆われたとありますが、これは神様の悲しみがあまりにも深く、十字架につけられたイエス様を直視することができなかったからだと思います。そして、愛する子供同士が争い、殺し合う姿、略奪し、淫乱する姿、食べるものがなく飢餓で死んでいく姿を見つめる神様はどれほどつらかったでしょう。今までの人類の中でどんなに不幸な人がいたとしても、神様の悲しみとは比較にならないことでしょう。

 この神様の深い悲しみを知った真の父母様は、ご自身の人生のすべてを懸けて悲しみの神様を解放してさしあげようとされました。これが真の父母様の原点であり、それは今も変わりありません。誰でも「あなたは本当に苦労と悲しみの多い人生を送ってきましたね。あんなことも、こんなこともありましたね」と言って、自分しか知らない苦しみと悲しみを理解し慰めてくれる人がいたら、その人は私の心を完全につかんでしまうことでしょう。ましてや、それが子供だったら、どうでしょうか。親にとってこれほどうれしいことはないでしょう。神様にとって、正にその人が真の父母だったのです。神様は永遠に真の父母様のことを忘れることはできませんし、放されないでしょう。

 きょう訓読した、「このようなかわいそうな父のために一瞬でも涙を流してみたことがあるのかというのです」というみ言は、神様のために誰よりも涙を流してこられたからこそ言えるわけですし、神様の悲しみをもっと知ってほしいという真の父母様の深い心情が表れています。もし、私たちが神様の心情を知って涙するならば、神様は私たちを忘れることなく、放すことはないでしょう。そこには深い親子の心情が結ばれることでしょう。
 堕落人間は神様のことより自分のことを優先し、自分の幸せのために生きています。でも、それでは幸せになれないことをイエス様も語っておられます。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」、「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらうな。……まず神の国と神の義を求めなさい」などの聖句を通して、自分のことよりも神様を愛することが大切であり、そうすれば神様が私を愛してくださり、幸せにしてくださることを教えてくださっています。

 イエス様は基盤がなかったために、神様の深い悲しみの復帰の心情を伝えることができませんでした。それを今、真の父母様はみ言を通して伝えてくださっています。今まで栄光の神様と仰ぎ見られていた神様が、どれほど悲惨な神様であったのか。そして救い主として2000年間慕われてこられたイエス様が、どれほど孤独な悲しみの人生を送られたか、その真実を知って、初めて正しい信仰の道、救いの道を行くことができます。そしてみ旨を歩む中で、真の父母様が出会われた悲しみの神様の心情に触れ、一瞬でも涙を流したとき、神様の心をつかむ者となり、神様と深い親子の絆が結ばれることでしょう。
posted by ffwpu at 11:20| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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