統一教会
牛丸正治
<2009秋季 牧会者説教集 P143〜148>
訓読
「戦争の起こる動機は、男、女、私、君がいるためだ。夫婦、兄弟に戦いがある。しかし父母の心には敵がない。神様は父母である。ゆえに神様の本質は愛である」(『御旨の道』p.86「復帰・復帰の心情」)
敵を愛するという話で思い起こすのが、マタイ福音書5章43節にある「『隣り人を愛し、敵を憎めと』言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである」というイエス様の言葉です。
私はこの聖書の句を初めて読んだ時、「何と愚かなことだ!」と感じました。ルカによる福音書6章29節には「あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな」ともあるのですから、狂っているとすら感じました。この世の中でそんなふうに生きれば、一体どんなひどいことになるでしょうか。心のどこかでそうすべきだと思うところがあるとしても、実践不可能であり、無理であるとすら感じないでしょうか?
なぜイエス様がそんなことを話したのだろうと、考えさせられた時期があります。そんな時に、イエス様が弟子たちを宣教に送り出していく場面を読みました。「わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである」とマタイ福音書10章16節にあります。弟子たちは伝道に出かけ、どれほど迫害されていたのか、そこから読み取ることができます。ある弟子は、実の兄弟に反対され、親や子に反対され、石を投げられ、唾をされました。ひどい姿でイエスのもとに帰ってくる者もたくさんいたと思います。そんなふうに帰ってくる弟子たちをご覧になったイエス様は、どのような気持ちだったでしょうか。
マタイによる福音書の続きを読んでみると、「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか」とあります。
イエス様のいたイスラエルには砂漠がありますが、ひとたび雨が降ると、たちまち花が咲き広がる所でもあります。ですから、イスラエルの人々にとっては雨は恩恵なのです。
本当の親は子供に対して、良い子であろうと悪い子であろうと、幸福を願います。昔、NHKでアメリカの黒人家庭を取材したドキュメンタリーがありました。車いすの母親とその2人の息子が中心でしたが、長男はスラム街のような所で育ったので、そこから抜け出していつか白人のように生きると決心し、大学を出て白人の女性と結婚し、立派な暮らしをしています。弟のほうはそんな兄に対して、「兄は黒人のプライドを捨てた!」と言い、黒人過激派運動に参加し、人を殺して懲役を受けていました。長男が母に会いに行くと、いつも母は次男の話を長男にします。「あの子は本当はいい子なんだ。必ずすぐ出てくる」と言い、暖炉の上にある次男がいつもかぶっていた赤い帽子を指して、「出てきたら、あの帽子をかぶらせて抱きしめてあげるんだ!」と涙ながらに語るのです。長男は、そのことが不満でした。「どうして成功した自分のことを喜んでくれないのか。牢屋にいる次男ばかりを愛するのか!」と思っていたのですが、その長男の息子が人を殺して牢屋に行くようになったのです。
長男は、自分の息子が牢屋に入ったとき、母親の気持ちが本当にわかったのです。親は不幸な子供ほど心が動くのです。
イエス様は、イスラエルに降る雨を見て、神様の親の愛を感じたのではないでしょうか?
敵も、親である神様から見たら自分の子供であったのです。では、敵を愛する理由は何でしょうか? 聖書には、「天にいますあなたがたの父の子となるためである」と書かれています。
授受作用を堕落の観点から考えると、堕落は神様と人間の親子の関係が切れたことです。本当の親である神様が私の親であるということがわからなくなったのです。親の心も、親がだれであるかもわからなくなりました。親がいて、兄弟になることができます。しかし、親がいなくなり、親の心がわからないので、敵になってしまったのです。
では、神様との親子の関係を取り戻すには、どうしたらよいのでしょうか? 本来は兄弟姉妹である敵を愛することが、神様との親子の関係を取り戻す道ということになります。
では、どうしたら敵を愛することができるのでしょうか? 私も統一教会でみ言を勉強し始めましたが、敵とまでは言わなくとも、愛せない人がいました。実は、それは私の父でした。私の父は心の優しい人でした。しかし、傷つくことも多かったのです。それでうっ憤を晴らすため、酒や賭博にのめり込む生活をしていました。酒を飲み過ぎると父は酒乱になることが多く、母や子供を殴ったり蹴ったりしました。子供のころにそのようなことがあったので、父がとても嫌いになり、父のようにはなるまいと決心しました。
み言を聞いてからも父を許せず、愛せない自分がいましたが、学んでいくうちに、この人を愛せないと幸福になれないということがわかってきたのです。
神様は、ご自身と人間の関係を、親子に設定されました。それはなぜでしょう? 親子の関係ほど喜びの大きな、また深い関係はないからです。ですから、親を愛することができない人は、どこかいつも寂しさを背負って生きることになります。それを知り、どうしたらよいのか本当に悩みました。愛せないから愛せないし、許せないから許せないのに、どうやって愛したり許したりできるのだろうと、もう一度、聖書を読んでみました。するとそこに「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と書かれていました。そこで、愛せない父のために祈ることにしました。
「神様、父を私から遠ざけてください! 早く霊界に送ってください! 消し去ってください!」と祈るなら、それは祈りではなく呪と言います。祈るのは幸福を祈るのであり、不幸を祈るのではありません。しかし、祈りはうそを祈ってもいけないのです。私が祈った言葉は、次のような言葉でした。
「神様、私は父を愛せません! ですが、あの父も神様の子供です。私は愛せないのですが、神様、父が幸福になるようにしてください」
これなら、ぎりぎり祈れます。そのように毎日祈っていると、ある思いが湧いてきました。「神様は、なぜあの人を愛しているのだろう?」という思いです。そして少しずつ、神様が愛する良いところを探し始めました。そうすると、少しずつ思い出してきたのです。
子供のころ、夜中に寝ていたところを、突然、父に起こされたことがありました。父はパチンコをしていたのですが、その時、勝ったのです。それで子供の好きな菓子や飲み物をたくさん景品にして持って帰ってきて、夜中に私と兄弟に食べろというのです。私はぐっすり休んでいたので迷惑千万でしたし、良い思い出ではありませんでした。しかし考えてみると、私を愛してくれていたのです。子供たちが喜ぶ姿を見たかったということは確かです。
一つずつそんな思い出が浮かんできたとき、父の家に行く機会がありました。すると不思議なことが起こりました。普段話しかけない父が話しかけてくるのです。あとでなぜか考えましたが、その理由は簡単でした。今までは、愛せない心で父を見ていました。しかしその時、私は父に対して、神様はどこを愛しているのか探す目で見ていたからだったのです。人は視線を受けると、その視線の中に気持ちを感じます。父は、今までと違う私の視線を感じたのです。
父が私に話してくれたのは、父の昔のことでした。そのころ私は東京にいたのですが、父は私の乗ってきた車が多摩ナンバーだったので、それが話のきっかけとなり、父が戦争の時、学徒動員で多摩川の近くの工場に行ったという話となりました。父は故郷の鹿児島から東京まで動員されたのです。東京は食糧不足で空腹が続き、故郷が慕わしくなって、父は脱走して鹿児島まで歩いて帰ったのです。鹿児島の家にたどり着き、ひどく汚れていた父は風呂に入って食事をしたのです。しかし次の日、おじいさんから、「おまえは脱走してきた。だから帰らないといけない。ここでも、おまえを養えない」という言葉を受けたのです。父は私にその話をしながら、大粒の涙を流すのです。父はそれから家を出て以来、故郷と縁が希薄になってしまったのです。
その話を聞いたあと、私は父がとても不憫に思われてきました。私がそのようにされたら、おそらく私の性格ではとんでもない不良になったに違いありません。しかし、そんな体験をした父は、私を愛してくれたのです。ただ表現が下手だったのです。そして、父は私とそんな話ができる時を待っていたのです。そうして、少しずつ私は父を愛せるようになりました。
考えれば、この父がいなければ人生について考えたり、なぜ自分は生きているのかなど考えなかったに違いありません。父こそ、私が神様を求め、最終的に真の父母様に導いてくれた人であることを知ったのです。私にとって父は私の本当の恩人でした。
父は敵ではありませんが、愛せない人でした。父は霊界に行きましたが、私の中で父の価値と存在感は年々大きくなっていく、かけがえのない人です。
まだまだ、私にも敵はいます。許せないこともあります。しかし、愛せない人を愛せるようになった時、そこに神様はおられるのだということを教えられました。
すぐに敵を愛することは困難です。愛せない人を自分で愛することはできません。しかし、神様の親の心から、その道があるのではないでしょうか?
まず、その人の幸福を祈ってみてください。そして、その人の長所を見つめて見てください。そこから私たちが神様を実感し、喜びの多い幸福の人生の出発があるのではないかと思います。