2011年05月21日

祝福の言葉、肯定的言葉をどれほど知っていますか?

鄭東洙

統一教会
 鄭東洙
 <2009秋季 牧会者説教集 P134〜138>




 あるテレビ番組の中で、10年以上の夫婦10組を招いて、長く勤めたホテルマンが、だれとだれが夫婦かを当てる実験をしました。このホテルマンは1組も間違わずにすべて当てました。夫婦は生活の中で、行動や言葉の習慣、癖、容姿も似ていくという内容でした。

 仏教を信じる人は、お釈迦様が父母であり友です。イエス様を信じている人は、イエス様が父母であり友です。自分が尊敬する人に従っていくならば、その人に似ていくのが当然です。これは中学のときの共鳴の実験と同じように、人と人との間でも共鳴が起こるということです。


 1920年に、狼に育てられた子供がインドで発見されました。その子供は四つ足ではい歩き、狼の声を出しました。完全に動物の姿でした。人の手で育てられた子供は人になりますが、動物に育てられた子供は動物のような生活をするようになるのです。

 そのように、人は同じ属性に合う人になります。「類は友を呼ぶ」ということです。人はだれに出会うかによって、その人の未来が決定されますし、私が人に良い言葉・肯定的な言葉を話すと、その人の未来に対して、とてつもない影響を与えます。

 旧約時代においては、「人の言葉」がすべてを決定していました。父親の死期が近づくと、長男を呼んで、その頭に手を置いて未来を祝福します。皆さんはヤコブの話をよく知っていると思いますが、父親イサクの祝福の一言が、いかに大事であるかを知ることができます。

 イサクは長子の祝福を、すべてヤコブに注ぎました。「神様の豊かな穀物とすべてのものを、神様はあなたに与えるだろう」。その祝福の言葉は、まさに宣布でした。その祝福どおりに、すべてが実現されました。その一言一言が、どれほど偉大な宣布であったかということです。ヤコブが父親の部屋から出た直後、エサウが入ってきて、「おいしい料理を食べさせた私に、祝福をしてください」と言いました。イサクはびっくりして、「おまえはだれなのか?」と聞きました。「お父さんの長男エサウです」と答えます。イサクはエサウの体に触れながら、弟のヤコブが祝福を奪ったことを悟りました。エサウは泣きながら「今からでも私に祝福してくださったらよいではないですか」と言いましたが、イサクは、「一度私の口から出た言葉は取り消すことができない」と答えました。私たちがいったん口から出した言葉は、そのまま生きていくのです。

 ですから、祝福の言葉が、どれほど大事であるかがわかります。神様は、話した言葉に対して、自分自身が責任を持たなければならないと言われています。そのように考えますと、夫の妻に対する言葉はとてつもない影響力がありますし、また、妻の夫に対する言葉も同様です。父親に対する言葉も同様です。私たちが生きていくなかで3秒にも満たない短い言葉が、その人に1年間も、2年間も、3年間も、影響するのです。

 私の妻は、私のことを大切な存在、尊敬できる人と思っているので、そのような言葉で接してくれます。私はいつも気分が良いです。しかし、あるデータでは、「自分がもう一度生まれてきたら、今一緒にいる人と結婚したいですか」と聞いてみたところ、驚くことに95パーセントの方が「絶対したくない」というのです。その原因は、夫婦間に問題が多いからです。夫婦間で性格の不一致の葛藤がある場合、そういう問題は70パーセントくらいは解決できないそうです。

 これを変えていく方法を探してみますと、仲の良い夫婦は愛するなかで、お互いの感情が出入りしていることがわかりました。愛する人が体が痛い時には、自分も体が痛いものです。何かわからないけれども、体が痛みますね。愛するから、その痛みが出入りします。

 この方法ですと、夫を愛しているか、愛していないかを素早く知ることができます。夫が苦しむ時に一緒に苦しむ、そういう自分の姿だったら、愛している姿です。苦しむ時に、「あいつは苦しみをもっと味わわなければいけない」、「気持ちがいい」と感じれば、愛していないのです。愛すると、お互いの感情が出入りするのです。

 それと同じように、私たちが苦しいときは神様も苦しいのです。私が痛いときは、神様も痛いのです。なぜ神様は私たちを愛するのでしょうか? 愛は出入りしますので、神様を喜ばせてあげるために、私たちは喜びを持って、愛して暮らしていかなければならないのです。大変な時も、苦しい時も、私が愛する神様に喜びを差し上げるために、私たちはそのような生活をしていかなければいけません。

 ですから神様の前に捧げる最高の実績は、喜びの実績です。喜びの実績より大きい実績は、神様の前にはないのです。ですから神様の喜びを持って生活する、それが神様に対する信仰です。神様をよく信じていく信仰者は、神様の声を聞ける人です。

 「あなたは何が楽しくていつも笑っていますか?」、「あなたは何を喜んで笑顔でいつも歩いているのですか?」と聞かれれば、「私も知らず、良いこともないが、ただうれしい。良いこともないのに、ただ喜んでいくしかない自分自身があります」と答えるのです。これはどういう意味ですか? 神様の喜びが自分の中に出入りしているということです。

 神様の子女に現れる特徴があります。それは喜びであり、笑顔です。サタンの子女に現れる特徴はかんしゃくを起こした顔、いつも不平不満の曇り顔です。こういう人には近づきたくないですね。サタンが「自分の子女だ」と言っています。神様の子女が人相が悪く、かんしゃくを起こして、不平不満を持つ顔になって生きていたら、サタンが見てどうですか。「あの子は神様の子なのに、神様に反抗をしている。神様、あの子は私の子供ですよ」と言うことでしょう。

 皆様、夫がいつもいたずらをしてきたら、奥さんはどうしたらよいですか?

 「ああ、気持ち良い、気持ち良い」としたらいけませんね。それに相対基準を結んだらどうなりますか? またいたずらをします。「ああ、気持ち良いね」とトーンを下げて言えば、夫は楽しくないからやめます。サタンも同じです。最初は人をいじってみるのです。反応があれば、もっといじります。サタンは、そのような属性を持っています。何か反応があれば楽しくて、もっと人を触ってきます。いつ終わりますか? サタンが触ってきても、いじってきても、反応がなければ終わります。皆さん、私たちはどのような生活をしていますか。聖書の中にも、そのような話があります。

 ヨセフは自分のお兄さんたちに売られて、エジプトの宮廷の中で働く高級幹部ポテパルの家に売られて、僕しもべの生活をしました。ヨセフはいつも感謝して、この苦しみを克服する知恵を持っていました。ポテパルの妻が誘惑するので、とても大変でした。ヨセフはポテパルの妻に着物をはぎ取られて不倫の証拠だと訴えられ、牢屋に連れていかれました。ヨセフは濡ぬ れ衣を着せられたにもかかわらず、叫んで暴れたり大騒ぎもせず、静かにチャンスを待っていました。「全知全能の神様なら、ここから出してくれー!」と叫んだら、どうなっていたと思いますか? 罪がもっと重くなり、確実に殺されたと思います。ヨセフは感謝の思いで、神様の前に心の準備をしていきました。

 神様は準備をしました。ヨセフは夢をよく解く人であったので、王様がヨセフを呼んだのです。ヨセフはいつも神様に感謝の気持ちで準備した結果、エジプトの総理大臣になっていきました。 神様は、ある日のために準備しておられます。私たちすべて一人一人に、その日を準備して待っておられる神様です。神様は私たちに対して、特別な目的を持っておられるのです。「不幸、苦しみ、敗北の中にいなさい」という思いで、私たちを創造した神様ではありません。神様は私たち一人一人に、特別な目的を持って準備しておられるのです。

 神様がすごく大きな福を下さるのです。そのことを、はっきりと知らなければいけません。神様は、私たちの人生の中で驚くべきことをなそうと準備しておられるのです。それを皆様は信じていますか?

 私たちは、祝福の言葉、肯定的言葉が、毎日自分自身の中に芽生えていかなければなりません。神様は、私たちの人生の中で驚くべき内容をなそうと準備しておられます。私たちの中に、潜在力と才能を隠しておられるのです。感動しませんか?

 感動です。神様の目で自分自身を見れば、それが見えてきます。潜在力と才能が見えてきます。その心情を持って、神様が用いたい人として、この一週間も良い言葉、祝福の言葉、肯定的言葉で過ごしていきましょう。そういう中で、神様が役事してくださるでしょう。頑張っていきましょう。


posted by ffwpu at 12:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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