統一教会
河村政俊
<2010春季 牧会者説教集 P132〜137>
私たちは幸せになりたくて生きています。ところで、幸・不幸の現場は、人間関係で決定されます。家族の人間関係から友人・知人・近所づきあいから職場まで、そうした中で、ある意味で私たちは、人の目が気になったり、与えられた環境や出会う出来事に一喜一憂しながら生きているのです。
環境の主人となる道は、一足飛びで行けるわけではありません。父母様も、僕(しもべ)の僕から、僕、養子、庶子、実子へと8段階の道を原理どおりに歩んでいかれるのです。その良い証しがありますので、紹介しましょう。
それは、1984年7月20から1985年8月20日まで、アメリカのダンベリー連邦刑務所に収監されたときの証しです。アメリカの国の指導者たちは、文先生の活動を誤解していました。文先生をアメリカから追放したいという意思が背後にあったのです。危険な刑務所に文先生は絶対に入りたくないだろうという確信から、国外に出れば追及しないという方針を伝えてきたそうです。
しかし、真の父母様(文鮮明ご夫妻、または文鮮明師、この記事内では文鮮明師を指す)は、ダンベリーに入ることを決意され、「これから、統一教会の宣教本部をダンベリーに移す」と宣言され、ダンベリーは統一教会の宣教本部となったから、私はダンベリーに入るのであって、アメリカが罪のない私をダンベリーに入れるのではないと、アメリカの国をかばいながらダンベリーに入っていかれた真のお父様(統一教会内での文鮮明師に対する呼び名)です。
そして、その当日は夜になっていたにもかかわらず、たくさんの囚人が真の父母様を出迎えたそうです。しかしそれは、尊敬しているからではなく、有名な文先生を一目見ようと、集まってきた野次馬たちです。彼らは、文先生を見ながら「何だ、文がどうした、おれたちと変わらない人間じゃないか。ここで化けの皮をはいでやろうじゃないか」と、真のお父様をいじめてやると決意したのです。
真のお父様がダンベリーで最初にしたことは、あまりにも汚い刑務所を掃除することでした。嫌々掃除する囚人たちは、拭いて汚れた雑巾をそのまま積み上げていたのです。真のお父様は、その汚れた雑巾をごしごし洗って、きれいにたたまれました。そんな文先生を見た囚人たちは、「何だ、偉そうに、かっこつけやがって、そんなに掃除がしたければ、させてやるよ」と意図的に汚したり、ある時は、ごみを文先生の部屋に掃きこんできたりしたのです。神山先生は、そのたびにお父様を思ってカッカ、カッカと頭に来たのですが、お父様は、何事もなかったように、その度に汚れた場所をきれいに掃除されました。囚人たちに、まるで僕の僕のように喜んで仕えられたのです。
いじめてもいじめても、全く「のれんに腕押し」で、全然相対せずに喜んで掃除している文先生を見て、囚人たちは「文という男は、どうも掃除が好きらしい。汚しても汚しても喜んで掃除している。喜ばせるだけだから、もうやめよう」となり、いじめは終わりました。
そのころから文先生は、積極的に囚人たちの中に入っていかれました。ビリヤードをやっていれば、一緒に興じ、卓球をやっていれば、一緒に競われました。囚人たちは、そんな文先生を受け入れ、「文という男は、有名人でありながら、全然おごらないし偉ぶらない。おれたちのだれとでも気安くつき合ってくれる。彼はいい男だ」と、文先生を仲間として受け入れるようになったのです。
囚人たちは、後ろから走ってきて、気安く「ヘイ、ムーン」と言って、お父様の肩をたたいていくようになりました。その時も、神山先生は頭に来て、自分には絶対にできないことを平気でやってしまう囚人たちにカッカとしたそうです。まさに僕の僕から、僕仲間になったということです。
しかし、そうしているうちに囚人たちは、文先生に対する見解を変えていきます。65歳になられる高年齢なのに、ビリヤードも、卓球も強いのです。そして、時間さえあれば、神山先生と共に訓読をされていました。暗くなっても花壇の小さな光で読まれ、消灯時間後には電話ボックスの明かりでスペイン語を勉強される姿を見て、囚人たちは口々に、「いやあ、文という男は、おれたちとは違う、本当にすごい男だ」と感嘆し、だれからとなく、ミスター・ムーンと敬語で呼ぶようになるのです。
長子権を立てられた文先生は、伝道を始められます。神山先生に、「神山、先生がダンベリーに来たときから見ていると、あの黄色いシャツを着た男は、だれも面会に尋ねてこなし、だれとも会話をしていない。彼には家族がいないのか、友達がいないのか、尋ねてみなさい」と言われるのです。神山先生は、その時初めて彼に声を掛けたのです。声を掛られた囚人は、「文先生が私を心配しているのですか?」と驚いて、泣きながら自分の人生を告白していったそうです。
彼には、両親が今も生きているが、音信不通だというのです。彼が少年の時、大げんかをして離婚した母は再婚し、さらに再び離婚し、二度目の再婚したあとに、今度は母が飛び出して行って帰って来なくなり、次には、新しい父にまた新しい母が来て、あっという間に父と母が代わってしまったというのです。それからは、地獄のような生活となり、そこから飛び出した彼は、世を恨んで悪事を重ね、とうとう捕まって今に至ったというのです。
開き直って生きていた彼は、数日前から心が沈み、「自分が死んでもだれ一人悲しむ人はいない。自分はこれから何のために生きるのか?自分のことなど、だれ一人気にかけてくれる人などいないのだ」と、寂しさの極致になっていた時、文先生が自分のことを心配しているというのでびっくりしたというのです。
また、真のお父様には、面会する人が次から次へと続き、特別の面会場所が定められるようになります。日本からもたくさんの有識者が面会に訪れました。面会する人は、手ぶらでは行きません。必ず何かのプレゼントを持って訪れるのです。興南(フンナム:文鮮明師が2年半収監されていた北朝鮮内にある刑務所)でもそうでしたが、文先生は、もらったものを全部だれかにあげられるのです。ダンベリーでもたくさんの贈答品が届くのですが、もらった一日目は自分のものとして置いておきますが、次の日にはだれかにあげられるのです。神山先生は、運び役で活躍しました。これは何号棟のあの囚人に、それはあの囚人にと、どんどんあげていかれたのです。囚人たちは大喜びしました。日本人は物をもらうと返すことを考えて困る人もいますが、アメリカ人はプレゼントが大好きです。囚人たちは、喜びながら「文先生こそ本当の牧師だ、本当の神父だ」と言い出し、そのころから、レバレンド・ムーンと呼ぶようになりました。
ところで囚人たちは、もらいながら不思議がりました。「文先生は、どうして自分たちの好みがわかったのか。どうして自分がこれを欲しがっているとわかったのか」と言うのです。
そんな折、事件が起きたのです。文先生がプレゼントされたものを一日だけ置いておいておいたところ、なくなったのです。泥棒されてしまったというのです。それを真のお父様に伝えると「いいよ、そのままにしておきなさい。必要な人が持っていったのだから、いいんだよ」と言われました。その時既に伝道されて教会員になっていたラリーにそのことを伝えると、ラリーは、「カミ(神山先生のこと)や文先生が許すと言っても、おれは許せない」と、みんなに公表してしまったのです。それで、文先生を尊敬し始めていた囚人たちが目の色を変えて怒り始め、犯人を捜し始めたのです。
彼らの言い分はこうです。「他の人の物ならば、おれたちは何も言わない。むしろ、取られた人がばかなのだ。しかし、文先生の物を取るのは許せない。なぜなら、文先生は、それを自分のものとするのではなく、必ずだれかにあげるではないか。そんなものを取るのは許せない」というのです。囚人の大半は元泥棒です。そんな泥棒の良心にも引っ掛かることだというわけです。
それで、みんなで捜すのですから、すぐに犯人は見つかり、文先生のところに引っ張ってこられました。囚人たちが言いました。「文先生、犯人はこの男です。彼をしかってください」。そのように言った囚人たちは、言ったあとから、なぜかみんな下を向いて、引かれてきた犯人のように緊張したそうです。彼らは、そこで気がついたのです。尊敬する文先生が引っ張られてきた犯人に、「泥棒はいけないよ」としかったら、みんな元泥棒なので、自分たちも一緒に裁かれる立場になると思ったからです。その場は、不思議な緊張感が走り、文先生が何と言われるか、その言葉を張り詰めた心で聴くようになりました。
その時、文先生は犯人に向かって言われました。「これは、もともと君にあげようと思っていたものだ。だから何の問題もないよ。そのまま、持っていきなさい」。盗んだ男は、それを聞いて男泣きにおいおい泣き始めました。周りの囚人も、みんな自分のことのように思い、もらい泣きをしたそうです。 それから、また、文先生に対する呼び名が変わっていったのです。囚人たちは、言い始めました。「文先生は、単なる牧師ではない。おれたちは、親からもしてもらったことがないことを文先生はしてくれた」、「自分のことを親でもわかってくれなかったのに、文先生は自分のことをわかってくれ、自分のことを愛してくれた」、「この方は、単なる牧師や神父ではない。自分たちにとって親以上の存在だ。彼こそは、本当に真の父母だ」。
そう言いながら、親しみを込めてファーザー・ムーンと呼ぶようになっていったのです。だれかが、そう呼ぶようにと押し付けたのではありません。心から自然屈服して、そう呼びだしたのです。 真の父母様は、この世の地獄のような、監獄の中で囚人たちに慕われる真の父母になられたのです。私たちも、どんな環境の中でも主人になる道を行かなければなりません。そのためには、不平不満はご法度です。環境の主人になろうとすれば、責任者の心情で立たなければならないので、だれかに責任転嫁をしてはなりません。自分の責任として考える立場に立つときに主人になることができるからです。
私たちは、まず与えられた自分の環境を感謝して愛しましょう。また、与えられている人間関係も感謝して受け入れましょう。そうしてこそ、真の主人の道へと向かうことができるからです。ありがとうございました。