2011年04月23日

父母への孝行は、世のために生きる道

 山本安彦

統一教会
 山本安彦
 <2010夏季 牧会者説教集 P96〜98>



 「諸人よ 思い知れかし己が身の 誕生の日は 母苦難の日」(古歌)(誕生日には、自分に対して家族や友人からプレゼントやごちそうをいただくのが常ですが、それよりもむしろ、命懸けで産んでくれたお母さんに感謝を捧げるのが、誕生日のあるべき真の姿ではないでしょうか)

 この文は、薬師寺元管長の故・高田好こう胤いんさんの法話の中での語りですが、子供の躾しつけというものを考える前に、まず親が手本を示すべきであることを教えてくれています。例えば、誕生日に、神仏に、ご先祖様に手を合わせて感謝の心を表すならば、その親の誕生日の日の姿勢を見て、子供もまた、自分の誕生日のあるべき真の姿に目覚めてくれることでしょう。


 したがって、教育(躾)とは、親の姿を子供が(模範として)まねをするところから始まると言えるのです。そうであれば、親の態度が子供に与える影響は、計り知れないほど大きいものなのです。

 「家庭は愛の学校」と言われます。目に見えるものの価値を中心に置く現代の学校教育から生じる子供の問題は、より根本である家庭内の親子のあり方に、その解決法があります。まさに、後ろ姿で子供を導くところに、親の尊さがあるのです。

 そしてさらには、「お父さん、お母さん。こんな幸せな身になれたのも、お二人のおかげです」と言って親の恩を本当に感じ、感謝の思いを返せるのは、人生の目的を目指し、人生の喜びを発見しなければできないのです。

 では、子供の躾は親がするのならば、親(人間)の躾(教育)はだれがするのでしょうか。そのお方こそ、人類の真の父母であられる文鮮明先生なのです。私たちは、真の父母の後ろ姿を模範とし、その方の生き方を相続していくのです。そのような人生こそが、親なる神様
の願いとなるのです。

 文鮮明先生は、ご自身の生涯のすべてを神様と人類のために捧げられました。無罪であるにもかかわらず、6度の獄中生活をされながらも、最大の感謝を神様に捧げられました。特に興南監獄から解放されたあとに、故郷まで数時間で帰ることができたにもかかわらず、帰らずに、弟子たちを訪ねて愛していかれたのです。

 普通なら、苦労をかけたお母さん、家族のもとにすぐに駆けつけたい、親孝行したいと思うのが当然ですが、メシヤとして全人類の父母であるがゆえに、そのようにされなかったのでした。近い身内よりも、より遠い人々を、ご自分を殺そうとする怨讐までをも愛し、救おうとされる生涯路程であったのです。

 さらには、日韓併合の時代、抗日運動をして捕らわれの身となりましたが、拷問を受けながらも、日本の憲兵を、神様にとりなされたのでした。

 「先生はそのような目に遭っても、その瞬間瞬間にその憲兵を絶対に恨まない。このことを通じて将来、日本人の中にみ旨を勝利し全うしてくれる人が必ず出てくれるようにとただ祈っていたのです」

 その文鮮明先生の祈りが、今日になって、実る時を迎えました。それが私たち統一食口なのです。今、私たちが伝道され、教会に導かれたのは、偶然でも何でもなく、真の父母様が私たちを、愛する子供として生まれる前から、祈ってくださっていたゆえなのです。

 文鮮明先生が若き日に、神様に、「堕落以後の神様の苦しみ、その足跡は何ですか?」と尋ねられたとき、神様は、「我は忍耐である」と言われました。

 「自分より悩んでいる天の父がいる。現実的悲しみを背負っているにもかかわらず、祈るその子女たちを慰めてくださり、導いていかねばならない。そういう惨めな立場に立っている。それが神様である」

 そのとき先生は、父母なる天の神様を、慰労し、解放する生涯路程を出発されたのでした。

 本年度は、真の父母様の金婚祝賀の記念すべき年です。真の父母様への最高の祝賀は何でしょうか。アメリカのラスベガスで開催された世界昇華祝祭でのみ言の中に、「私を愛する以上に、み言を愛する人に。歴史に生きる人になりなさい」とあります。

 神様、父母様から受けたご恩を、家族、氏族、そしてより遠い人々、世界人類に返していく私たちになってまいりましょう。


posted by ffwpu at 12:00| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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