梶栗玄太郎
<2012 秋季 牧会者説教集より>
イエス様の死と再臨主の死の違いはどこにあるのでしょうか。
死ぬことはみな同じです。肉体的な死は、生理的機能が停止した時に迎えます。また死の概念には、もう一つの「霊的な死」もあります。
さて、イエス様は完全に勝利して亡くなったのでしょうか。イエス様は地上での最期に「メシヤのための基台」全てを失われました。しかし、再臨主であられる真の父母様は、勝利して霊界に行かれたのです。
基台を失って霊界に行くか、それとも、勝利して霊界に行くのか。未完成で霊界に行くか、完成して霊界に行くのか。これらは全く違うというのです。
私は、「もしも、真のお父様が、イエス様と同じように、使命を未完遂のまま亡くなったなら、どうなったであろうか」と考えてみました。なぜなら、私は「文鮮明天地人真の父母天宙聖和式」の実行委員会の共同実行委員長に立っていたからです。韓国の石俊B会長、米国のトーマス・ウォルシュ会長と私の3人が、その位置に立ちました。
その事実を知って、私は驚きました。もしも、真のお父様がイエス様と同じような死を迎えられていたならば、その後はどうなるのか。イエス様当時、十字架の死後に起こったことが、そのごとく再現されるでしょう。そうすると、最初に逆さ十字架にかけられるのは第一弟子です。私は、「この共同実行委員長の3人は、その位置に立てられた者たちだ」と思い、覚悟をしました。
イエス様の死後、キリスト教史において、おびただしい数の信者が十字架につけられ、山や谷を埋め尽くしました。そのようなことが起きたら大変なことです。皆さんは、そのような覚悟をしましたか。
しかし、それは真のお父様が失敗した場合に起こる現象です。真の父母様は勝利され、蕩減復帰を全て成し遂げられました。あらゆる方面において完成された真の父母様です。
その方が霊界に逝かれる時、勝利して、天寿を全うされたのですから、過去の歴史が再び繰り返されることはありません。真のお父様の勝利された恩恵を受け継いで、新しく出発すべきです。
残されたみ旨は、全て私たち子女の責任分担です。それは、氏族的メシヤの使命を果たして、来年の基元節のお祝いを立派に成し遂げることです。それが私たちの使命です。ですから、悲しむことなく、止まることなく、その目的に向かって前進し、勝利を収めるべきです。
真のお父様は勝利されました。皆さん、拍手をもって真のお父様の勝利を称えましょう。そして、新しい決意を持って、神様と真の父母様の前に誓う時間を持たなければなりません。
下手な考えを持ってはいけません。横からの言葉を聞いてはならないのです。「もう統一教会は終わりだ。だから俺について来い」などと言う人が出てきます。とんでもないことです。
真のお父様は霊界で、天と地を主管されます。真のお母様のそばにおられて、直接世界を指導される時が始まりました。
そのようなことを知って、私たちはますます一致団結して基元節に向かって疾走していきましょう。