2015年06月20日

訓読会の伝統に立つ者になりましょう

藤田敬三.jpg統一教会
藤田敬三
 <2011 春季 牧会者説教集より>

訓読:天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会のみ言から
 「皆様、真の父母様は、すでに人類のための遺言を準備し、残しました。一生に6度、7度も生死を行き来する獄苦を経ながらも勝利し、準備した遺言です。永遠なる人類の教材、教本として8種類の本を残しました。冊数としては1000冊を超える分量です。『文鮮明先生み言選集』、『原理講論』、『天聖経』、『家庭盟誓』、『平和神經』、『天国を開く門 真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』、以上の8種類の書籍です。これらの教本は、皆様が霊界に入っていっても読み、学ばなければならない本です。決して人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。天がかわいそうな人類を救援するために下さった天道を教える教本だからです。

 皆様は、今からまず皆様の家庭から上記に列挙した教材・教本を中心として訓読会の伝統を立てなければなりません。一つの家族三代が新しい一日を始めるに当たって、まず天のみ言を訓読し、新しい心で訓読の人生を実践する伝統を立てなさいというのです。霊界と肉界が同時に真の父母様に侍り、同じ天道のみ言を毎日訓読する世の中をつくろうということです。このようになれば、いくらサタンが皆様の血統に乗じて蠢動するとしても、訓読会の伝統の前では立つ場がなくなるのです。

 正午定着的基準で影のない人生を生きていくそのような家庭に、神様の祝福が下らないとすれば、だれに下さるというのでしょうか。このような天の家庭がこの地に満ちるとき、この地球星は自動的に『One Family Under God』のみ旨が完成した地上・天上天国となるでしょう」

 「ここまで来れば、『一人の人間として、万人の祝福の中で自らの人生を振り返り、満足して余生を楽しむ資格がある』と称えることでしょう。『あらゆる重荷をすべて下ろして、もう思い残すことなく“人生90年の成功”を誇って暮らしなさい』と言うでしょう。しかし、私たち夫婦の生涯は、世俗的な目で見るそのような次元の人生ではありません。人類の縦的真の父母であられる神様の印を受け、実体真の父母の使命を完遂しなければならない私たち夫婦は、今、実体の天一国完成までの最後の3年を残し、いつの時よりも深刻な日々を生きています」

 きのう(2010年12月4日)、韓国・ソウルにおいて天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会が行われました。真のお父様は、天一国創建の日、神の国実現の日が必ずやってくる、必ず成ると宣言されました。準備はすべて整い、あとは私たちが責任を果たすだけだと語られました。

 「天一国」をもう少し具体的に話せば、キリスト教がローマの国教になりましたが、400年の大迫害の時代は、クリスチャンたちは信仰を表に出すことができず、礼拝も地下の墓地の一画、いわゆる「地下墓地」で集会をしていました。
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2015年06月13日

絶対的信仰は運命を変える

統一教会
芳賀幸一
<2011 春季 牧会者説教集より>

 信仰を出発する動機はいろいろあると思います。病気が治りたい、家庭問題やさまざまな問題を解決したい、そして真理を求め、メシヤを求めて来られた方もいると思います。

 私は特に問題意識はありませんでしたが、このみ言を聞いて「これこそ真理だ」という確信を持てたので入教しました。そしてもう一つ、ここに来たら自分が変われると思ったからです。教会に来て強く感じた印象は、この人たちは輝いている、自信と確信を持っている、思いやりがあり愛がある、ということでした。

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2015年06月06日

一人でも多く

統一教会
熊谷栄佐雄
 <2010 夏季 牧会者説教集 P.92~95>

聖書拝読:コリント人への第一の手紙9章15〜27節
 「しかしわたしは、これらの権利を一つも利用しなかった。また、自分がそうしてもらいたいから、このように書くのではない。そうされるよりは、死ぬ方がましである。わたしのこの誇ほこりは、何者にも奪い去られてはならないのだ。わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。
もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。進んでそれをすれば、報酬を受けるであろう。しかし、進んでしないとしても、それは、わたしにゆだねられた務つとめなのである。それでは、その報酬はなんであるか。福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、わたしが宣教者として持つ権利を利用しないことである。

 わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には──わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが──律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人
かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。

 あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない」


 真の父母様の「神様の涙の色を知りたい」という祈祷を聞かれたことがあると思います。その意味をどのように考えたらよいのでしょうか。
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posted by ffwpu at 14:03| 統一教会牧会者説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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