統一教会
田中敏明
<2012 春季 牧会者説教集 P.87~95>
訓読 :『天聖経 』「祝福家庭 祝福の意義 」P1332〜1334
「先生が生涯で最も貴いと考えたものとは何でしょうか。祝福です。皆さんにとっても、人類歴史始まって以来、最高の贈り物は、祝福です。
今日、皆さんは、まだ真の父母と完全な因縁を結ぶことができないでいます。ですから、その因縁を結んであげるためにしてあげるのが、統一教会の祝福です。
祝福を受けた人は、霊界に行っても先生が永遠に責任を負います。先生が主管して指導します。祝福とは、このように先生と永遠の因縁を結ぶものでもあります。
祝福をしてあげるということは、天の全権を委譲してあげることを意味します。
祝福は、天国の門を開くことであり、天国は、子女をもって家庭が入っていく所です。
祝福とは、永遠の宝物です。子孫万代を今から出発するという、一つの契約です。ですから、それを汚す時には一族が関係します。イエス様を十字架につけることによって、一国家が関連することになったように、一族に連結されます。
祝福とは、歴史が追求してきた万民解放の門を開く鍵なのです。
祝福を受けるということは、とてつもない事実です。祝福を受けた人は、神様の代わりに『私が定めれば、天宙も定める』という心で、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が備わってこそ、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。
神様の祝福は、絶対的に公的なものです。その祝福は、ある個人だけのためのものではなく、またある家庭だけの、ある国家だけの、ある世界だけのためのものではありません。神様の祝福は、宇宙全体のためのものです。
『祝福』という言葉は、福を祈るということです。祝願するの『祝』という字です。福を祈るのに、どんな福が一番貴いのでしょうか。愛の福が一番貴いのです。統一教会は、そのような意味で『祝福』という言葉を使うのです。一番貴いもの、宇宙の公約を代表した一番核心的な起源が、男性と女性が結合するところから始まるので、その祝福が一番偉大だというのです。
その偉大なものが福を祈れば最高の福になるので、統一教会では結婚式を『祝福』と言います。初めて来た人々は、こういうことを知らなければなりません。統一教会で『祝福を受けた』というのは、今日この世で『福を受けた』というのとは違います。神様の立ち会いのもとに、真の父母を通じて結婚式をしてもらったということです。
今、あのイギリスの王室にある530.2カラットのダイヤモンドは、昔アフリカでは石ころの扱いを受けていたのです。ダイヤモンドが世界で最も貴い宝石になることを、誰が知っていたかというのです。きらきら光るのを見て、単なるガラスの塊だと思っていたのではありませんか。
全く同じです。この貴い祝福を受けたことは受けたのですが、これがダイヤモンドであるにもかかわらず、単なるガラスだと考えているのです。何も知らずにいたのが、先生から話を聞いてから『ああ! 貴いんだな』と言っているのです。
祝福の中で一番重要なものとは何でしょうか。お金ではありません。名誉でもありません。いかなる権力でもありません。息子、娘が栄えていくことです。
皆さんがそれを知らなければなりません。祝福の中で一番良い福とは何でしょうか。息子、娘が天の愛を受けることができるように生まれることです。それは立派に生まれることです。
すると、どうなるのでしょうか。その息子が私より神様の愛をたくさん受ければ、恩恵を受けるようになります。そうではありませんか。山の谷間の向こうからこのように下りてきた電線のようなもの、この送電線のようなものを見れば、伸びていますが、ここでぎゅっと引っ張ればピンと張るのです。同じように、子供が天の愛をたくさん受けるようになれば、私がそれだけ落ちたとしても、ぐいっと上がることができるのです。恵みを受けるのです。 祝福の場に参加する人がいるならば、彼はただそのまま一人の男性、あるいは一人の女性という立場で参席してはいけません。その場は、今まで6000年間この世に来ては逝った数多くの男性、あるいは数多くの女性を代表した場です。その場に皆さんが招請を受けたという認識をもたなければなりません。皆さんは、そういう事実を、内情的な心情で体恤しなければなりません。
祝福が成される今の時は、どのような時でしょうか。今は、神様の願いが成される最高の時であり、6000年間苦労してきた神様の恨が終わる時であり、この地へ来られ、御苦労された神様の息子、すなわちイエス様の願いが成される時です。それだけでなく、人間が創世以後、初めての愛が始まる時であり、万物の歓喜と尊貴と栄光を受けることができる時です。神様にとっても、この日がどれほど良いでしょうか。罪悪がみな消え、光明の太陽が昇った明るい天地を迎える日、全ての自然が和動し、全ての万象が踊る明るい朝、勝利の朝を迎える日です。
先生は今、現実はこうですが、後日、先生が祝福した者の中から最後に残った一人が、世界的な人的資本として残り、栄光を受けることを希望して生きています」
いよいよ2011年を閉じて、2012年に向けて出発しようとする時です。2011年をどのように終えて、2012年をどのように出発していくのか、そこが焦点です。
私たちには、さまざまなことが起こります。お父様がいつ霊界に行かれるか分かりません。分からないけれど、必ずそういう一日が来るでしょう。その時に、「お父様が生きておられたら、こうしておけばよかった」「あのようにしておけばよかった」と、そういう悔恨の言葉を語る愚かな者になることがないようにしないといけません。
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posted by ffwpu at 11:00|
統一教会牧会者説教
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